第四十話「歪な愛と記憶の落とし子」
次の日のHRは今私たちの間で話題になっている修学旅行に関するものだった。
案の定修学旅行の行き先は事前に調査した結果を反映させていて、私たちは無事五人とも沖縄へと旅立つことができるらしい。
班編成もほとんど決まっていたようなもので、すぐに自由行動にどこに行くかを決める時間へと移った。
「やっぱり中心街の散策って感じかね」
パラパラと旅行雑誌をめくっては楽しそうに話す遥。それちゃんと見てないだろ。
「でもちょっと足を伸ばせば色々あるっぽいし、迷うわよね」
ナチュラルに遥に触っていくスタイルを貫くえりささんは意外と可愛らしくてちょっと素敵。というか明言していないだけでこの二人の関係は周知の事実とかになってるの? みんな反応しなさすぎじゃない?
「自由行動が二日あるから、結構いろんな場所行けるし、とりあえず今日はみんなが行きたい場所を挙げて、次の機会にどういうコースで回るかを話せばいいんでない?」
この五人で話す時はたいていまとめ役が繭染さんになってしまうので、面倒な役回りを押し付けてしまって申し訳ないという気分になる。
「で、みんなどこ行きたい?」
そろそろ時間もいい頃合いらしく、他の班もまとめに入っているようだ。それを見て繭染さんも話をまとめにかかっている。
「私はね――」
テンションの上がった遥が身を乗り出して旅行雑誌を私たちに見せながら、若干興奮したように話し出す。
そこからは遥とえりさの独壇場だった。
みんなから意見を求めたはずの繭染さんも、息をつく暇もないくらい饒舌に語る遥を止めることはできず、結局私たちの班はこの日何も決定させることが出来ずに終わってしまった。
だから遥とは一緒になりたくなかったんだよ。
まぁ、こういう話し合いにおいて私は自分の意見というものを言うのが苦手なので、私が意見せずに物事が決まるのであれば、それに越したことはないのだが。
修学旅行まで時間があまりない。
いや、おおよそのことは決まっているとは思うが、いかんせん生徒たちが自由に行動できる、いわゆる自由行動の日にどこへ行くかという話をする時間が、あまりとられていないというのが正確だろう。
だがまぁ、そこはいい。HR以外で話せばいいのだから。
問題は旅行へ行く際の荷造りをいつからするかだろう。
早ければいいというわけでもないし、遅ければ不安になる。その間のちょうどいい頃合いを見計らうのは意外と大変なのだ。
そして荷造りというのは一緒に住んでいる家族にばれてしまうもので、私は現在困ったことになっていた。
「お帰り比奈!」
「お姉ちゃん……、何してるの?」
修学旅行用に物置から取り出したキャリーバッグにはまだ何も入れていなかったのだが、家に帰るとそこには下着姿の姉が入っていた。寒くないのかその格好。
「荷物として一緒に修学旅行に行きたいなんて、私思ってないから。全然思ってないから」
「ならそこから出てきなさい」
そして私の部屋からも出て行ってほしい。
「私を置いて比奈だけ楽しい楽しい旅行に行くなんてずるい! 私も連れて行ってくれないと比奈が不在の時にお部屋に入っていろんなことやらかしちゃうんだからね!」
今の発言は心に留めておこう。帰ってきたら家族会議不可避だからね。
「心配しなくてもいいのよ。帰ってきたら部屋の装飾が少し変わってるだけだから」
確か中学の時の修学旅行でもやられた記憶があるな。
楽しい旅行が終わり、ちょっとした疲労感といっぱいの幸福感で満たされた私が愛すべき我が家に帰ると、部屋中に『姉といっしょ♡』とか『姉妹えっち』とか女の子同士が絡み合っている訳の分からん本とか、裸の女の子がいやらしい表情で密着したポスターとかが張られていたという事件があったのだ。
あの時も確か家族会議を開いた気がする。
姉への厳重注意だけでその場は落ち着いたけれど、それでも思うところがあったのか、姉はその日から一か月ほど私に絡んでこなかった。
二度目ともなると注意だけでは済まない気がするが、大丈夫か姉よ。
「あと、向こうで必要になるだろうから、『愛しのお姉ちゃんグッズ』を入れておいたよ!」
「いらん、必要ない。邪魔」
その『愛しのお姉ちゃんグッズ』とやらが一体なんなのかは知らないけれど、絶対に必要ないものだということは分かった。
「いや絶対に必要になるから! 向こうでお姉ちゃんシックになっても大丈夫なように持っていったほうが絶対いいから!」
お姉ちゃんシックってなんだよ。ホームシックみたいなものか? 今後一切そんなものにはなることないだろうから安心してほしい。
しかし、いくら拒否しても絶対受け取るまで部屋から出て行ってくれないだろうと考えた私は、その場では「はいはい分かったから。持っていくから」と言って姉をなだめ、部屋から追い出した。
これでやっと一人である。
冬休みが終わる直前までこの部屋にはゆりちゃんが泊まっていたからか、部屋に一人というのがちょっとだけ寂しく、けれどまだゆりちゃんがいたという温もりが残っているようで嬉しかった。
私は制服から部屋着に着替え、ゆりちゃんと一緒に使っていたベッドへと倒れこむ。
嗅ぎなれた匂いの中にゆりちゃんの優しい匂いが混ざって、とてもではないがゆっくりと休めはしない。
今頃どうしているだろうか。一人で寂しくはないだろうか。
私は独りに慣れてしまっているからいいけれど、それでもゆりちゃんのことを想うと寂しさが徐々に大きくなって、心が不安定になる。
うたた寝をしていたらしく、気付けば既に帰宅から二時間が経っていた。
どうやら今日は両親も帰りが早かったらしく、下の階からテレビの音と話し声が聞こえてきた。うっすらといい匂いもしてきているので、もうすぐ夕飯の時間だと分かる。
それにしても、なんだこれは。
私の眠っていたベッドには私だけでなく、さっき追い払ったはずの姉が眠っていた。いつの間に入ってきたんだこの人は。
姉を起こすとまた面倒なことになりかねないので、私は慎重にベッドから出て部屋を後にする。ご飯の時間になればきっと起きてくるだろう。
リビングにはやはり母と父がいた。
黙々と夕飯の支度をする母と、ニュースを見ているのかどうか判断に迷うくらいぼーっとしている父とは、言葉を交わすことが少ないけれど、ちゃんと私たちのことを見ていてくれている。高校生になった今でも苦労せずに勉学に励めるのは、そうした両親の保護があってこそだろう。感謝せねば。
しかし、姉の行き過ぎた妹への愛は、両親でさえどうこうできることではないらしく、最近は見て見ぬ振り状態になってしまっている。
少し前に姉のひとり暮らしを提案した私だが、それでもきっと何か理由を付けては実家に帰ってくるだろうから無駄だという結論に至った。ならばと、私のひとり暮らしを提案したのはつい最近。しかしそれも姉が通い妻状態になって、しかも二人きりという空間を作り出してしまうのであまり良い案とは言えなかった。
それでもこの姉の状態を良くは思っていないのは家族共通の見解なので、最終手段として住所を姉に伝えることをせずに私がひとり暮らしをするという案が可決した。まぁその時はきっと私の学校で張って、家までストーキングするくらいのことはするだろうから、それもまた即実行とはいかなかったわけだが。
でも、ひとり暮らしという選択肢があるということを姉に認識させるという心理的な働きは功を奏しているようで、つい最近は変態的被害にはあまりあっていない気がする。
「ところで」
私がリビングに来たこと自体認識されていなかったのではないかと思うくらい無視をされていたので、急に母から声をかけられた私はびっくりして少し浮いてしまった。
「な、なに?」
「もうすぐ修学旅行よね。準備はしているの?」
「う、うん。少しずつだけれど、してるよ」
私がすっかり忘れていた学校行事も母はしっかりと覚えていたようで、ちょっと嬉しかったりする。
「お姉ちゃん、騒いでたでしょ」
そりゃもう駄々っ子のごとく騒いでました。
「たかが二日三日程度家を空ける程度であんなに騒がなくてもいいのにね」
「そうだね…………」
でもきっと、姉にとっては二日三日もなのだ。
姉は楽天的なようで、ものすごく現実的な考え方をする人間だ。
そして自分から人が離れていくのを酷く嫌う。
たった一日だろうと私がこの家から姿を消すことが、耐えられないのかもしれない。
母も父も、それは理解しているだろう。あれは過保護とか私への愛とかだけではないことを。
縛りつけておきたいのだ、私のことを。
汚れてしまわないように。傷つかないように。苦しまないように。自分だけが楽しむための芸術品のように。自分だけが知っている名作のように。私を見ているのだ。
歪んだ愛の形。
汚れた自分への嫌悪。
それが、姉の私へ向ける愛情の正体。
「でもまぁ、お姉ちゃんはもうああいう風にしか生きることが出来ないのよね」
姉にとって私を離すことは、死ぬことと同義なのだ。
だから、私は姉から離れることが出来ない。
私はもう、人を殺したくはないから。




