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百合生活  作者: 和菓子屋枯葉
冬の章
39/67

第三十話「大切な記憶」


 何分も試着室の中に二人でいたので、だいぶスタッフには怪しまれたが、ゆりちゃんはなんとか洋服を数点買い、お店を出た。

 その間私たちは終始無言だった。

 気まずかったのもあるが、ずっとゆりちゃんが何かを話したそうにしていたので、私は余計なことを言わずに黙っていた。

「……」

「……」

 さっきまで邪魔だった喧騒が、今は心地良い。

 ゆりちゃんと二人で歩くのがこんなにも辛いことは、なかったと思う。

「……ちょっとだけ、休もうか」

「……」

 私はその空気に耐えることが出来ず、近くにあったベンチでの休憩を提案する。ゆりちゃんは私の提案に無言で頷いた。

 もちろん、歩いていても座っていても私たちの間に流れた重い空気が変わることはないが、ここなら周りが騒がしいので他人の目を気にせずに済むだろうし、いくらかは話しやすいだろう。

 しかし、ゆりちゃんはなかなかその重い口を開かない。

 しばらく待ってみても一向に話す気配も感じられなかったので、私は少し行った場所にある自動販売機に飲み物を買いに行く。

 その途中ですれ違う人たちは、みんなが笑っていて、とても楽しそうで。

 なのに私は、どうしてこうもうまく笑えないのだろう。

 人とうまく付き合えないのだろう。

 私以外の誰もが普通に、考えずに出来ていることが、私はどうして出来ないのだろう。

 どうして、私たちはこうも歪んでしまったのだろう。

「っと、いけないいけない」

 いつまでもこうして自動販売機の前で考え込んでいては迷惑になる。

 私は飲み物を買うと、急いでゆりちゃんのところへと戻る。

「おまたせ、はい」

 私はゆりちゃんに買ってきた飲み物を渡す。その時もゆりちゃんは何も言わずそれを無言で受け取った。

 私もベンチに座り、飲み物のキャップをあける。

 再び沈黙が私たちの間に流れる。

 こちらから話を切り出すことも出来るが、今回のことはやっぱりゆりちゃんから話をする気になるまで待たないといけないと思う。

 しかし、だ。

 こうも沈黙が続くと私も時間を持て余してしまう。なので、特に何かを考えるでもなく目の前を通り過ぎていく人たちに目を向ける。

 モール内の温度が高いせいなのか、お客さんの中には上着を脱いでいる人もいた。

 綺麗に包装された箱を大事そうに抱える人もいた。

 そのみんながみんな、とても幸せそうで。そんな眩しく暖かな光景を直視できずに俯いてしまう。

 どうしようもないことなんて、はじめから分かっているのに。

 どうにもならないことなんて、はじめから知っていたのに。

 この気持ちを、苦しくて辛くて苦くて冷たくて寂しくて、切ない気持ちを、一生抱えて生きていくって、覚悟は出来ていたのに。

 こうして他人を見ていると、羨ましくなってしまう。

 私にはもう、この生き方以外は出来ないから。

「…………ひなちゃん」

 か細く弱い声が、隣から聞こえてきた。

 時間にしたら一時間も経っていないだろうが、なんだか久しぶりにゆりちゃんの声を聞いた気がした。

 多分だが、ゆりちゃんと一緒にいてこれだけ長く言葉を交わさなかったことは今まで一度もなかった。

「ひなちゃん、私ね……」

 今にも泣きそうな表情。

 さっきもそうだったけれど、このままではまた泣き崩れてしまって話どころではなくなってしまう。

 私はゆりちゃんの手を優しく握る。

 大丈夫だと。

 心配要らないと。

 そう、伝えるように。

 ゆりちゃんが私のそんな思いを感じたかどうか分からなかったけれど、微かに微笑んで私を見る。瞳には薄く涙が溜まっていたが、奥の奥に固い決意が見て取れた。

 やがて、その口が小さく動く。

「私ね――」

 その先は、私の頭の処理能力が上手く機能せず、言葉を飲み込めずにいた。

 ゆりちゃんが抱えていた問題は、私の予想を遥かに上回っていただけでなく、誰にも、それこそ本人にもどうしようもない難題だった。


 ――私ね、生まれてから中学までの記憶が、ないの。


 ゆりちゃんが放ったその言葉がずっと耳から離れず、頭の中で繰り返し響いていた。



 詳しく聞いたところ、ゆりちゃんの記憶はまるまるごっそり無くなっているわけではなく、所々記憶があるにはあるらしい。しかし、ゆりちゃんの言葉を借りて言うならば『大切な記憶』が抜けているらしい。

 ゆりちゃん自身その『大切な記憶』というものが何に関連しているのかははっきりと分かっていないらしいが、私はなんとなく分かる気がする。

 ゆりちゃんに欠けた記憶の部分には、きっと『好きな人』が関わっているのだ。

 しかしどうして『好きな人』の記憶が欠けてしまったかは私にも想像がつかないし、そんなことは知りたくもない。

 真実を知っても、癒えない傷が増えるだけだ。

 ならば、何も知らないほうが良い。

 けれど、私は思う。

 たとえ真実を知って傷つくだけだとしても。

 知らないほうが幸せだと思っても。

 それは間違いなく自分にとって『大切な記憶』だから。

 無くしてはいけない、忘れてはいけないものだから。

 傷を抱えて生きていくことはとても辛いことだけれど。

 知ることは苦しいことだけれど。

 それがなくては自分が成り立たないから。

 全部がなくては、とても自分としては生きていけないから。

 忌まわしくても、汚れていても、その身に持っていていなければならないものなのだ。

 それが、私の生きる道であり、私たちの進む道だと思うから。

「ひなちゃんがそんなに思いつめないでよ。こればっかりはどうしようもないことだし。まぁ記憶が抜け落ちてることで、たまにすごく不安になることもあるけど、私は今、とても幸せだよ」

 こうして、ひなちゃんと一緒にいれることが。

 そう言って笑顔を浮かべるゆりちゃんはとても儚かった。

「ひなちゃんと初めて会ったあの時、”ああ、この子私と一緒だ”って思ったの。何もかもなくした顔して、生きてること自体が辛くて、どうして自分なんだろうって苦しんでて。でもね、なんていうか、こう言ったら怒られちゃうかも知れないけど、嬉しかったの」

 自分と同じ傷を持った人がいたのが、とても嬉しかった。

 そう言ってゆりちゃんは照れ笑いを浮かべた。

「私はね、このまま何も思い出せなくてもいいと思ってるの。だってね、思い出しても思い出せなくても、今の私にとって大事なことは、こうやってひなちゃんと一緒に幸せな記憶を積み重ねていくことだから」

 だから、泣かないでひなちゃん。

 そう言ってゆりちゃんは悲しく笑ってみせた。

 そのどれもがゆりちゃんの偽らざる本心だと思う。それは信じて疑わない。

 けれど、何かが欠けている気がした。

 まぁ、私たちには欠けているものが多すぎて、どこが欠けているのかさっぱり分からないが。

「ねぇひなちゃん」

 この人が多く喧騒が絶えない場所でも、ゆりちゃんが私を呼ぶ声ははっきりと聞こえる。

 大好きよりも、もっと。

 愛してる、以上に。

 ゆりちゃんはもう、私の一部だから。

 いなくなることが想像もできない。

 突然どうしてこんなことを思ったのか、理論的な説明はできないけれど。

 なんだか、今のゆりちゃんは、私から離れていきそうで、怖かったのかもしれない。

「私、ひなちゃんが大好きだよ」

 ゆりちゃんのこの言葉さえ、私は素直に喜ぶことが出来ずにいた。

 なんだか、無理をして言っているような気がしてたまらないからだ。

 だからこそ、私はその言葉でゆりちゃんに欠けたものが何か分かった。


 ゆりちゃんは自分の過去に何があろうとも、私への愛情が揺るがない確かなものが欠けていると思っているのだ。


 それを今、無意識的に私に求めているのだ。

 形あるものでも、形のないものでも、どんな形であれ、私がゆりちゃんをこの世で一番大切にしているという確証が欲しいのだ。

 ならば、私が取れる最良の選択は一つしかない。

 この冬休みの間に、私の心からの贈り物をしよう。

 そうと決まればこんな所で座っている場合じゃない。

「この話はもうおしまい。それじゃ、プレゼント選び再開しようか」

 ベンチから立ち上がると、私はまっすぐにゆりちゃんを見つめる。

 信頼と愛情に満ちた強い瞳でゆりちゃんも私を見つめてきた。

 大丈夫、私たちはきっと幸せになれる。

 そんな想いを右手に込めて、私はゆりちゃんの左手を握る。

 ゆりちゃんも私と同じ強さで、その手を握り返してくる。

 とりあえず直近の問題は、二時を既に回っているのにも関わらず、私のクリスマスプレゼントが未だに決まっていないことだ。



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