第二十八話「お買い物」
目覚めると、目の前には狂おしいくらいに可愛いゆりちゃんの寝顔があった。
ちゅーしていいかな。ちゅーしていいよね。ちゅーしよう。
私はゆりちゃんの潤った唇に軽く触れるだけのキスを数回する。
はじめの一回で起きてしまうかと思ったが、よほど熟睡しているのだろうか、起きる気配すらない。
それからもう少しだけ寝顔を見てから、ゆりちゃんとほかの二人も起こさないようにゆっくりと起き上がる。
そういえば、昨日は下着のまま寝たのだった。部屋は十分に暖かいが、しかしよくよく考えれば下着姿を誰かに見られるというのは恥ずかしい。私は自分のパジャマを取り出して着ることにする。
いや待て私。この場にいる全員が下着のままだとすれば、もしかしなくともゆりちゃん着用済みの洋服があるということではないか。
これは千載一遇の好機。
この機を逃せば次いつゆりちゃんに内緒でゆりちゃんの匂いがついた洋服を身につけられるだろうか。いやこれを逃せばそんな機会など一生来ないかもしれない。
そう、実行するのならば今しかない。
私は迅速に行動に移すことにした。物音で気付かれることのないようにゆりちゃんの荷物に近づき、中身を物色。洋服からは微かにゆりちゃん特有の甘い匂いが漂ってくる。ほうほう、これは中々に興奮する。
いけない。寝起きのせいか頭がうまく働かず、本能のままに、思うがままに行動してしまっている。と一瞬思ったりもしたが、私という人間はゆりちゃんが絡むと大抵こんな感じだなと思い直し、作戦を続行する。
荷物の中身の洋服もいいが、いつも着ている制服も捨てがたいな。
私は入り口付近に掛けられているゆりちゃんの制服を見やる。
けれど、制服ならば今後いくらでも着用の機会はあるだろう。今回は中々入手しにくい私服を中心に攻めていこう。
「お、これは」
思わず声が出てしまった。
荷物の奥のほうには、未使用の下着がいくつか入っていた。
私はその中から一番きわどい下着を取り出し、着用する。
「おお、これはゆりちゃんにしては攻めてますな」
見たときも思ったが、すごく布面積が小さい。それになんだか大事なところ以外の布部分が若干透けているような気が……
私は姿見の前へ移動して後姿なども確認していると、部屋のドアから床の軋む音が聞こえてきた。
恐る恐るドアの方向を見ると、そこには嬉しさ半分悔しさ半分といった感じの表情を浮かべた姉が立っていた。
すっかり失念していた。このやっかいな姉の存在を。
「……ねぇお姉ちゃん。ちょっとだけお話があるんだけれど、いいかな?」
どこまで姉に見られていたかは分からないが、しかし一部始終を見られていたとしても、こちらには交渉に使えるカードがいくつもある。焦ることなどひとつもない。
そう、冷静に対処しなければ。ここで焦っては相手の思うつぼだ。
それに、私が今問題としなくてはいけないことは姉にこの行為を見られたことではなく、一刻も早くこの場から離脱しなくてはいけないということ。ここでもたもたしていたら、いつ誰が起きてくるかもしれない。
そう思って一旦この部屋から出ようとした次の瞬間、ベッドのほうからも布の擦れる音が聞こえた。
これはまずい。
「ん……あれ? ひなちゃん?」
私はゆりちゃんが起きたことを横目で確認すると、今現在出しうることのできる最高速度で部屋の外まで移動する。
「ふふ、寝起き姿の可愛い彼女さんを置いてきて大丈夫かい?」
確かに寝顔も可愛かったけれど、その数倍寝起きの顔は可愛い。しかし、今避けなければいけないことはこの姿をゆりちゃんに見られてしまうことだ。
「さてぇ、お姉ちゃんは比奈のすごいところ見ちゃったなー。このことを今誰かに猛烈に話したいきぶんだなー。主に今比奈のベッドの上にいる子とかに」
そしてそれが回避できた今、今度はこの困った姉をどう処理してやろうか頭を悩ませることにする。
取りあえずのところ、姉には黙っておいてもらう代わりに週に一回は必ず一緒にお風呂に入るという約束を交わした。
「まぁ、どこまでいっても私たちは姉妹ってことよね」
と、最後にそんなことを言われてしまったが、そこは私も思うところがないわけではない。
好きな人の下着を着用したいだなんて、普通の人は思うことすらないだろうから。そこらへんはさすが姉妹って感じだ。
愛情表現が似ている。
どころではない。私が姉にされていることを、私はまんまゆりちゃんにしているのだから。似ているのではなく同じなのだ。
根本的なところが決定的に違うのに、行き着く結果がこうまで同じとは、本当にやっかいな姉妹だ。
「それで、今日は何をしましょうかね」
私はゆりちゃんの下着をつけたままだったので、姉に服を借りて部屋へと戻ると、今日は何をしようかという話題になった。
姉と話していたらだいぶ時間も経っていたので部屋で寝ていた三人はもちろん目を覚ましていた。覚ましていたばかりか、服もちゃんと着ていた。やはり冷静になると下着だけの姿というのは恥ずかしいものだったのだろう。昨日は勢いだけでああなってしまった感が否めないばかりか、どうしてあんなことをしてしまったのだろうかということも結構深刻に悩んだのだろう、心なしか三人とも表情が暗い。
それでもなんとか場を盛り上げようとさなえが話を切り出した。
私としてはゆりちゃんが数日はうちに泊まることが決まっていたので部屋で二人きりという素敵な時間が一日あっても良いのではないだろうかと考えていたが、さなえと繭染さんが来たことは結構な誤算だった。それにゆりちゃんも今日はなんだか外出したいような感じだったので、私の提案は即刻却下されてしまうだろう。
「何しようかねぇ。といっても私もお友達が多いわけではないので、こういうとき何をすればいいのか分からないのですです」
相変わらず何を考えているのか分からないし、キャラがぶれすぎなのよね。繭染さんは。
「でも、こんなに寒い日はあんまり外に出たくないよね」
この中でも特に寒がりのさなえはこの時期冬眠でもしているくらい外での遭遇率が低下する。なんだかんだで行動力があるさなえがここまで動くのを億劫だと思わせる冬という季節は、やはりというか流石というか、とにもかくにもみんなにとって嫌な季節なのだ。
「んー、私もどこか出掛けたいとは思ってたけど、特にここって場所もないし、というか私は、その、ひなちゃんと出掛けられればどこでも良かったし」
ゆりちゃん。なんだかごめん。そんな私は朝から欲情して恋人の下着を盗み穿いたような変態なのに、なのにこんなにも私を好きでいてくれるだなんて。
「あ、そうだそうだそうだった」
ついさっきお外出たくないって言ってたさなえが何かを思い出して立ち上がる。
「ほらほら、明後日は私の家でクリスマスパーチィでしょ。その中で当然のごとくプレゼント交換が組み込まれているのさ。そのプレゼントまだ買ってなかったからさ、なんだったらみんなと買いに行こうかなと思いまして」
「ほほう、それはいいアイディアですな」
私はめずらしくさなえに同意する。いや別にめずらしくはないか。
しかし、クリスマスプレゼント、ねぇ。
ここ数年では貰ったことはおろか、誰かにあげたこともないような気がする。
去年は去年でゆりちゃんと過ごしたのだが、プレゼントを交換という雰囲気でもなかった。用意はしていたけれど、渡せるような気分ではなかったし。
とはいえ、クリスマスプレゼント。
今回は別にゆりちゃんと二人きりというわけではないし、プレゼント交換も不特定多数で行われるので貰っても困らないような無難なもので構わないだろう。それとは別にゆりちゃん用の贈り物を準備しておけばいいか。
「それじゃ、真冬のプレゼント選びにれっつらごー」
やる気が一切感じられない声でさなえが言うと、他のみんなもだらけきった声で「おー」と返事をする。
そんな中、私は見てしまった。
繭染さんが、ゆりちゃんを悲しげな目で見つめていることに。
結論から言えば、私は後悔していた。
この時期寒いのはもちろんだが、どこに行っても人で溢れかえっていた。地元の駅から数駅行った場所にある大きなショッピングモールに来ていた私たちだったが、どこもかしこも人、人、人。うんざりするほどに人しかいなかった。こんなんでまともに買い物ができるのか不安である。
「どこから見て回りますかいな、姉御」
ここにきてもキャラがぶれている繭染さんは、しかし例に漏れずこの人混みに辟易しているようだった。表情がいつもより暗い。
「うーん。とりあえず上の階に女性ものとかが集まってるっぽいし、上にあがるか」
「そうだねー」
さなえや繭染さんはこういった場所に来なれているのか、この人混みでもすいすいと歩いていってしまう。私とゆりちゃんはそれに付いていくだけで精一杯だ。こんな感じでプレゼントなど選べるだろうか。
私はなんでも地元で済ませてしまうので、こういった場所に来ることはあまりない。新鮮といえば新鮮だが、来る季節を間違えた感がある。
平時であればもう少し歩きやすいのだろうが、年末、特にクリスマスが目前に迫った今の時期は私のような人混みが心底苦手な人が来ていい場所ではなかったのだ。
さながら魔窟である。
「ほんと人多いねー。半分くらい消え去ってくれればいいのに」
「怖いこと言うなよ」
まぁ私も同じようなことを思っていなかったと言えば嘘になるが。
そんなこんなで到着したのが最上階手前の五階、婦人服売り場。
クリスマスプレゼントで服はないだろと思ったが、マフラーや手袋、セーターやカーディガンなどもあるので、意外とありかもしれない。
さなえと繭染さんは五階に着くなりお気に入りの洋服店へとすっとんでいってしまった。クリスマスプレゼントを選ぶとか口実で、実は自分の洋服買いに来ただけなんじゃないだろうか。まぁそれでもいいけれど。
「この辺りで買うとすればマフラーとか手袋あたりが無難かな」
「思い切って下着とかプレゼントするのもありかもしれないね」
「うーん、下着かぁ。なんだかセンスが問われるよね」
下着というよりも、洋服をプレゼントにするというのは結構なリスクがある。同じようなセンスを持った人たちの集まりならば、そういった悩みはないのかもしれないが、私自身がもう既にセンスの欠片もないから、ここでは見ているだけにしよう。
「ひなちゃんひなちゃん。これ、どうかな」
二人がどこかに行ってしまったので、適当に入ったお店で物色していた私とゆりちゃんだったが、なんというか、こう、こういったお店はそわそわしてしまう。
姉とかと来るときは姉がテンション高いせいで、私は落ち着いていられるのだが、今はゆりちゃんと二人きり。しかもそんな無防備な笑顔を見せられてしまったら、色々と我慢ができない。
こんな中では手を出せないけれど。
ゆりちゃんが私に見せてきたのは、フリルなどがあしらわれた白とピンクのボーダー柄のスカートだった。いや可愛いけれど。可愛すぎるほど可愛いけれど。
「ゆりちゃん、ちょっとそのスカートの丈、短いんじゃないかな」
実際のところ丈は膝上だったが言うほど短くはない。しかしここで言っておかなければゆりちゃんに悪い虫がついてしまう可能性がある。それほどに破壊力があるスカートだった。
「そうかな。でもこれくらいのスカートなら何着も持ってるけど」
「なに、私見たことないけれど」
ゆりちゃんが私と出かけるときに着ているのは大抵ロングスカートである。あっ、でも制服はこのくらいの短さか。いやいや制服は私服には入らないからノーカンだな。
とりあえず、私に内緒で丈の短いスカートを持っていて私に見せていないなんて、ゆりちゃんには何かしらのお仕置きが必要ですな。
「だって、ほら、ひなちゃんの前だと恥ずかしくて」
「大丈夫。何も恥ずかしくはないよ」
「でも、足が出てる服って落ち着かなくて」
「大丈夫。ゆりちゃんの足は美味しいから」
「意味が分からないよひなちゃん」
いけない。この特殊な環境でだめな方にテンションが高ぶってしまった。
「……ねぇゆりちゃん。繭染さんのこと、どう思う?」
変なテンションになったついでに、訊きにくかったことを訊いてみる。
でもどうしてだろう。私はその質問をしたことを今酷く後悔している。
そんなことを訊きたかったわけじゃないのに。そんなことを聞きたかったわけじゃ、決してないのに。
「……そうだね。なんだか、とても懐かしい。って言うのが素直な感想かな」
やわらかくて、暖かくて、優しい笑顔。
私はその笑顔の正体を知っている。
それは、恋心からくる笑顔だ。
「結局いいプレゼントなかったなぁ」
「そうですねぇ」
その後合流したさなえと繭染さんと昼食をとることになった。ちょうど六階がレストラン街ですぐにお店を決めたことと、このショッピングモールの一階もフードコートということもあって、お昼時にもかかわらずあまり待たずに席へ案内された。
「まぁ、まだ下の階見てないし、何階か覚えていないけれど雑貨屋とかが集まった階もあるんだろ。そこで適当に見繕えばいいじゃないか」
「ひなちゃんの適当は本当に適当だからちょっと心配」
え、そんな適当かな私。
いやいや私の適当は適切かつ妥当の意味の通りな気がするが、第三者から見ればそれはそれは酷かったのかもしれない。今度からは気をつけよう。
「比奈理の場合妥当の基準が低すぎるのが原因よね。中学のときとかどうでもいい子のプレゼントとかお店で最初に目に入ったものとか多かったし」
あれ、私そんなにテキトーだったっけか。覚えてないな。
「ひなりんって友達以外には当たり厳しそうだもんね」
え、出会って間もない繭染さんにまでそう思われてたのか。これは本格的に直さなければ。
「その分友達には優しいから、ちょっと複雑かな」
ゆりちゃんはフォローに回ってくれているのか、それとも遠まわしに「私以外には優しくしないで」って言っているのか判断が難しいのだが。
「わ、私のことは置いておくとして、みんな大体はこんなプレゼントにしようとかあるわけ? 一応被るといけないからさ」
これ以上は私も耐えられないので話題を軽く逸らしておく。というか本題に戻したというのが正しいかもしれない。
「そうだねー、私はもう選ぶのめんどいから自分用に買った小物からなにか出そうかなって思ってる」
人のことテキトーとか言ってた奴のプレゼント選びがテキトーなんだけれど。
「私は実は目をつけてるものがありまして、午後はそれを買いに行こうと思ってますます」
ぼけぼけした発言が目に付く繭染さんだが、意外とそこらへんのやりくりは上手いようだ。ちゃんと自分なりの計画を立てて買い物をしている。
「ただ、午前に買い物しすぎたせいでお金足りるか不安です」
計画していても上手くいく保障はどこにもないもんな。
「私は、まだもうちょっと色んなところ見たいかな」
午前に二人で回ったときもいくつか候補はあがったが、どうも人にあげるって感じではなかったんだよなぁ。
「それじゃ、午後も私とうきちゃんペアと、比奈理と百合子ちゃんペアで行動かな」
「みんなで行動するっていう選択肢はないのか」
「効率が悪いじゃない。それじゃあ」
「友達との買い物で効率とか考えるなよ」
「友達との買い物だからこそ効率よく回って一緒の時間を増やそうとしているんじゃない」
言っていることとやっていることが矛盾しているのだが、こいつの頭はどうなっているのだろうか。やはり学校の勉強ができるだけでは頭がいいとは言えないのか。
「あー、まぁいいか。そうと決まればちゃっちゃとご飯食べて買い物行こう」
「そうだね。そうしよっか」
そこで私たちは気付いた。
席に案内されてかれこれ三十分も経つのに、なにも頼んでいなかったことに。




