第二十六話「悲しみのその前に」
とりあえず昼食は軽めのものにして、夕飯はお鍋にしようと材料を選ぶ。今はお肉という気分ではないので、お魚を中心に見ていく。
その途中、私の頭の中は先のさなえの一言が支配していた。
恋人、恋人かぁ。
まぁ私も過去にゆりちゃん以外の人と付き合ってはいたが、ゆりちゃんはなんだかそういうのに慣れていないと言うか、どこか初々しい感じがしていた。そんなゆりちゃんに恋人がいたのは、正直驚いた。いやまだ確定ではないけれど。
メインの食材選びがおわり、今度は野菜コーナーへと向かう。私もゆりちゃんも野菜が好きだが、姉はどうにも苦手らしい。妹としては姉には長く健康でいてほしいので、姉が苦手な野菜を買って行こうと思います。けっして嫌がらせとかそういうことではございません。
「ねぇねぇ、クリスマスとかは何かご予定は?」
後ろをチョロチョロとうろついていたさなえが、最近私が頭を悩ましている話題に触れてきた。去年はクリスマスまで学校があったので私は少し勘違いしていたが、今年はクリスマスの数日前に冬休みに突入しているので、このままクリスマスまでゆりちゃんがお泊りしてくれればいいなとか思っていたりしている。むしろ大晦日も元旦もいてほしいくらい。
「そうね、まだ決まってない」
私はあえてそっけなく返すと、さなえの表情が華やぐ。こいつ余計なことを考えていないだろうか。
「そうなのかー、そうかそうか。だったらさ比奈理、みんなで私の家でクリスマスパーティしませんか?」
これはきっともう外堀埋められている気がする。ここで私が断れば今年のクリスマスはぼっちがほぼ決定する。
「私の学校の子が中心だけれど、比奈理の学校の子もいっぱい誘ったから大丈夫だよ」
「ちなみに誰を誘ったの?」
「ゆりちゃんでしょ、遥ちゃんにえりさちゃん、雨喜と、他数名って感じかな。あっ、ちなみに夕莉も来るってよ」
その名前を聞いた瞬間、一気に行く気が失せてしまった。
「その顔は行く気が失せた顔だ。だいじょうぶ、夕莉も中学の時からだいぶ大人になったし、当時みたいなことにはならないよ」
うーん、さなえのことはあまり信用していないが、それでもさなえが大丈夫だと言うのであれば大丈夫なのだろう。さなえは自ら相手を嫌がらせることはするが、本当に相手が嫌なことをする子ではない。たぶんだけれど。
火代夕莉。
中学時代の私の友人であり、さなえの親友。これがまたいたずら大好きの困った子で、さなえと私は事あるごとに被害を被っていた。高校は別々の学校に進学してしまったため、もう二年近く会っていない。会いたいとは思うが、会ったら会ったでちょっとめんどくさそう。それにゆりちゃんをどう紹介するかが問題になる。確か夕莉はそういうのがあまり好きではなかった気がする。
あれ、でも夕莉が進学した高校って……。
「そうそう、夕莉って一里岡女子高に行ってレズに目覚めたんだって。恋人もできたみたいで、パーティにも連れてくるってよ」
ちょっと見てみたい気もする。恋愛にとことん鈍感だったあの夕莉が、一体どんな子を選んだのか。むしろどんな子に選ばれたのか。
「私は一回あったことあるけど……うん、そうだね、そうなるよねって感じだった」
むふふと気味の悪い笑い声を出すさなえ。なんだろうか、どことなく嫌な予感がしないでもない。
「まぁ、今私たちが一番気にしないといけないのは、ご飯のことだと思うの」
私は腕時計を見る。ふむ、確かにこれは早く帰らないと姉に文句言われてしまう。
「おっそーい!」
帰宅早々頬を膨らました姉が出迎えてくれやがった。
「はやくお昼ご飯を作ってちょうだいな。もうお腹すいて力がでないよ」
それに関しては私に非があるので、言い返すことはしない。
気付けばもう一時をゆうに過ぎていた。これからご飯を作るとなると二時近くなってしまうので、本当に申し訳ないと思っている。
「あ、そうそう。ゆりちゃんがね、なんだか気分悪そうだったから比奈理のベッドで寝かせておいたよ。あと下着とパジャマ借りたから」
きっと姉は嬉々として私のお気に入りを貸したんだろうな。まぁ私としても私のパジャマやベッドにゆりちゃんの匂いがつくのは願ってもないことなので、これは許そう。
「あとお姉ちゃんもちょっと下着借りたから」
「それは早々に返して貰おうか」
なんでついでに私も的な感じでやってしまうのだろう。姉の悪い癖だ。
「それはどうでもいいので、早く中にはいりませんかね?」
私の後ろでさなえが心底寒そうにしている。荷物を持って歩いていたのでいくらか身体も温まってはいるが、しかしそれでも外は寒い。さなえは私を押して中に入ろうとする。
「おっとごめん、そうね、早くあったかい部屋でご飯でも食べましょうか」
今日はなんだかさなえに迷惑ばかりかけている気がする。まぁさなえだからいっか。
「それで、今日は一体何をつくるの? なんだったらお姉ちゃんがつくってあげようか?」
「お姉ちゃんはオムライス以外まともにつくれないじゃない」
そのオムライスがすごく美味しいのは悔しいので言わないでおこう。
姉のオムライスという選択肢ではなく、私は無難にグラタンあたりをつくることにした。簡単なものなら三十分程度でつくれるが、しかしそれを待てない騒がしい子がひとりいた。
「まだー? ねぇまだー? おねえちゃんもう待ちきれないよー」
待たせているのは申し訳ないと思うが、こうも周りをうろちょろされるとうざったらしいことこの上ないな。まぁでも、わざわざグラタンなんぞにしなくとも別のものにしてもよかった気がするが、そこは私の気分ということで勘弁してもらいたい。もちろん病床のゆりちゃんにはおかゆをつくる予定だ。
「もう、帰ってきてるのなら言ってくださいよ。私ひとりで退屈だったんですから」
姉の騒がしさですっかり忘れていたが、繭染さんも来ていたのだった。
「もうすぐお昼できるけど、食べるよね?」
人数分作ってしまったのでいらないと言われても食べてもらうけれど。
「うん、もちろん食べるよ」
いつもと変わらぬ態度で、いつものように話す。なんら変わったところはないように思えるが、それでもどこか違和感が拭えない。その表情に、その言動に、いつもの気楽さが失せてしまっているようで、何もかもを手放したように見える。
やはりこの子はゆりちゃんとなにか関係しているのだろう。
「それでそれで、一体何作ってるのかな?」
「ちょいとグラタンを食べたくてね、作ってる」
「で、ご飯が遅くなってるからお姉さんが文句を言っていると」
リビングのソファでさなえに絡んでいる我が姉を見て察したらしい。おそらくこの様子だと部屋でも色々と文句を言っていたに違いない。
繭染さんはこちらにはもう手伝いの必要がないと見たのか、じゃれあっている二人のところに向っていった。
もうそろそろかなと思い、私はオーブンをのぞき見る。うむ、出来上がりだ。熱々のグラタンを取りだし、ダイニングのテーブルに並べる。
「ほら、できたぞー」
テレビの前でなにやら盛り上がっていた三人に声をかける。私もゆりちゃん用のおかゆと自分のご飯をお盆に乗せる。
「やったーごはんだー!」
即座に反応したのは言わなくても分かるだろう。私はその姿を一瞥してから少し気合を入れる。これから向かう先での会話によっては、今年のクリスマスもまた諦めなければならない。
「じゃ、私はゆりちゃんにご飯届けてくるから」
そう言い残し、私はダイニングを後にする。
部屋に入るとまず目に飛び込んできたのは、頭を抱えながらベッドから起き上がるゆりちゃんの姿だった。ゆりちゃんはどんな姿でも可愛いが、こればかりはいただけない。
「あ、比奈ちゃん。おはよう」
ゆりちゃんは眠そうに垂れた目をこする。
「おはよう、ごはん持って来たよ」
テーブルにそれぞれの食事を用意し、ゆりちゃんがベッドからテーブルまで移動するのを待つ。
「ごめんね、勝手にパジャマ借りちゃった」
「いいよそんなこと。それより体調は大丈夫?」
むしろ毎日着てくれてもいいのよ。
体調は朝に比べれば比較的良くはなっていると思うが、どうだろうか。ゆりちゃんは表情や態度に出やすいが、本当に重要なことは絶対に人に悟られないようにしている。今回も体調が悪いのに我慢しているかもしれない。
「大丈夫だよ。徐々に良くはなってるし、これなら明日には治ってると思う」
それなら良かった。
「それで、明日はどこに行く?」
「明日も大事をとって休むという選択肢はないのね」
大人しい性格なのに行動は積極的なんだよな。更に妙に頑固だから何を言ってもきっと聞く耳持たないだろうし。
「せっかくの休日なんだから、部屋で寝ていたらもったいないじゃない。ね、どこ行く?」
こんなに元気なら、すでに体調万全なんじゃないだろうか。
「とりあえず、ごはん食べよう」
そうしなければこの勢いのまま午後には出かけてしまいそうだ。
「そうだね、比奈ちゃんが愛情こめて作ってくれたごはんが冷める前に食べないとね」
ああ、今ならきっとゆりちゃんのどんなことも許してしまいそうだ。
そう思えるくらい、その笑顔は輝いていた。




