第十七話「想うだけの幻想」
「まぁ、二人きりではないと思ってましたが、まさかお姉さまが一緒とは予想外でしたよ」
焼肉屋には既に朝約束していた姉の日和がいた。
「遅かったね比奈。お姉ちゃんもうお腹すきすぎて死んでしまい……そうって誰それ!? 比奈まさかお姉ちゃんに内緒でこの女の子と付き合ってるわけじゃないよね!? だめだよそんなの! お姉ちゃん許しませんからね! 比奈は一生私の面倒を見ないといけないんだから、他の子と付き合うなんて絶対だめだよ!」
机に突っ伏していた姉は私と私の隣に立つ繭染さんを見て勢いよく立ち上がると臨戦態勢に入る。あんたどれだけ私のこと好きなのさ。
「近親相姦……悪くない」
「おい。今なんて言った? すごく不穏で恐ろしい単語が聞こえた気がしたんだけど」
「いえ何も」
繭染さんは嘘をつくのが得意なのか、本当になんでもないような笑顔を見せる。いや、嘘をつくのが苦手な人なんていないか。それを自覚してできる人が少ないだけで、人は無自覚に嘘をついている。自己防衛の一種みたいなものだ。って、今はそんなことどうでもいいよ。
「じゃあこの子とはどういう関係なの? やましいことがないのならお姉ちゃんにちゃんと説明しなさい」
ない胸を必死に主張するような体勢を取る姉。繭染さんを意識しているのがばればれな上に全く勝ててないし。それにしても我が姉妹は本当に胸がない。というか中途半端に育ってしまった。でも私は胸は大きさでなく感触や形で評価するべきだと思う。いや別に私が大きくないから僻んでるわけじゃないよ。無駄に大きくても困るだけだろうし、宝の持ち腐れだろうし。
「この子は繭染雨喜。ただの友達だよ」
「繭染雨喜と言います。ひなりん、じゃなかった比奈理さんとは同じクラスで――」
「ひなりん!? ひなりんってなに!? 私だって遠慮して比奈って呼んでるのに! この子はもうそんな親しそうな呼び方してるんだ! お姉ちゃんだって! お姉ちゃんだって比奈といちゃいちゃしたい! もっともっといちゃいちゃして「お姉ちゃん一緒に寝よ?」とか言われて朝まで濃密に絡み合いたい!」
今気付いたがこいつ私の服着てきてやがる。家に帰ったら説教ですな。それと言ってることすごい恐ろしいぞこの姉。
「そうだったんですね。ひなりん、今日はちゃんとお姉ちゃんを構ってあげるんだよ」
繭染さんの可愛い笑顔に免じて今だけは姉の猛攻撃に我慢してあげよう。そう、繭染さんの可愛い笑顔に免じて。
「わかった。そうするよ」
「今日はなんだか比奈が優しい」
家でも優しくするとは誰も言ってないから安心してくれたまえ。
「こうして話してるのも楽しいけれど、もうそろそろ何か食べない?」
私は椅子に座ってメニューを開く。隣の繭染さんも私の隣、ではなく姉の隣に座るとニコニコしながら姉に何か話している。余計なことを吹き込まなければいいが。
「二人とも注文決まってるの?」
「うん。私がここ来るときは大体同じもの頼むからいつでも呼んでいいよ」
「お姉ちゃん馬刺しね」
「はいはいじゃあ呼ぶよ」
私が呼び鈴を押すと近くの店員が寄ってくる。
さて、何食べようかなっと。
それから焼肉屋では三人ともお肉を食べることに集中してしまい、中身のない会話を繰り広げながら二時間ほどを過ごした。
繭染さんとはお店の前で別れ、今は姉と二人星たちが煌く空の下我が家へと向かって歩いていた。夜ってロマンチックとか思うほど乙女じゃないが、しかし今夜の星は一段と輝いて見えた。
あの子が、現れたから。
「あっ、比奈ちゃん……」
「百合子……」
こんな時間にこんな場所で百合子と会うなんて思ってもみなかったから、私は表情を取り繕うことができなかった。しばしの間、私たちは見つめあい、そしてまた歩みはじめる。
「……」
「……」
近づき、すれ違うその瞬間でさえ私たちは一言も発さず、けれど視線だけは合わせて言葉を、想いを探りあう。もう交わることのない私たちだけれど、もう戻ることのできない関係だけれど、それでも思ってしまう。また、出会ったときのように出会えるのなら、あの時のように想い合えるのかもしれないと。
そんなもの、幻想なのに。
「……いいの?」
「何が?」
隣でその様子を見ていた姉が、心配そうに私を見る。
「だって、比奈もあの子も悲しそうな目してるし」
「……そんなこと、ないよ」
「なら、いいんだけど」
それきり会話は無く、家に着くまで二人とも無言だった。いつの間にか雲がかかって星が見えなくなっていたが、月だけは雲を通り抜け私を照らす。
心を見透かされているような感覚に陥る。けれど不思議と嫌ではなかった。むしろ心地よいとさえ思えた。
「……お姉ちゃん」
「なに?」
「洋服の件でお話があります。お風呂の後私の部屋に来るように」
「……はい。ごめんなさい」
その輝きを見て、私は少しだけ本来の自分を取り戻して姉にそう告げる。
これが今の私の、精一杯の強がりだった。




