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百合生活  作者: 和菓子屋枯葉
秋の章
20/67

第十六話「甘く腐る」



 浮かぶ雲を眺めつつ、紅葉に染まる窓の外の景色に思いを馳せる。

 町を一望できる立地に建つその屋敷は周りの樹木に隠れてしまい、そこに建物があると知っていなければ見つけることができないくらい風景に溶け込んでいた。お昼前の明るい時間にも関わらずそこだけ暗くて寂しそうに見えてしまい、私は目を逸らした。

 自分で選んだ授業なのだが、どうしてか退屈に感じてしまう。というよりかは今授業でやっている範囲は予習し過ぎてもう完全に覚えているので、聞いていなくてもあまり問題ない。とは言いつつも成績は主に態度などが原因でよろしくないから普段の授業も真面目に受けないといけないのだけれど。黒板の上に掛けてある時計に目を向けると、あと残り十分程度だったので急いで黒板の内容をノートに写す。黒板にチョークが当たる音とノートにシャーペンが擦れる音だけが教室に響き、穏やかさと同時に焦燥感が室内を満たす。

「…………お腹空いた」

 ボソッと誰にも聞こえないような声で呟くが、隣に座っていた繭染さんがそれにピクリと反応した。

「そうですね。私は今猛烈にお肉が食べたいです」

「……今日焼肉食べに行く?」

「いいんですか!?」

 無垢な少年のように目を輝かせながら繭染さんが立ち上がると、板書をしていた先生が手を止めて普段の至極冷静で無感情な表情で「そこ、うるさい」と言い、再び板書を開始する。

「あ、ごめんなさい」

 繭染さんもワンテンポ遅れて謝ると、ちょっと顔を赤らめて席に座る。なにその表情可愛いんだけど。髪の毛くるくる指に巻く仕草も繭染さんの可愛さをさらに強調している。なにこの可愛い生物。今日の予定は放課後繭染さんと焼肉行った後にお持ち帰りで決定かな。

「それで、焼肉本当にいいんでしょうか?」

「うん、繭染さんが良ければだけど」

「もちろん行きます行きたいです! 憧れだったんですよねぇ、放課後デート。しかもしかもそのお相手がクラスメイトに人気のある綺麗な女の子だなんて。私本当に幸せだなぁ」

 目を閉じ感動に打ち震えている繭染さん。私、そんなに人気ないし綺麗でもないけれど、まぁ別に訂正するようなことでもないか。

「それじゃ、今日の放課後正門前で」

「はい! じゅっと待ってます!」

 噛んでるし、それに気付いてないし。ほんとなにこの愛らしい生物は。性的に食いたいわ。

「だから、そこうるさい」

「ご、ごめんなさい」

 こうして二度目のうるさいを貰った繭染さんは、残りの五分ほどを赤面姿で過ごすことになってしまった。いや冗談抜きで本当に可愛いなこいつ。






 昼休み、教室から漏れる喧騒を背中に受け、私は一人静寂に向かって歩く。友達と一緒にお弁当を食べるのもいいが、たまには一人で静かに食事をしたくなる。ふと私は立ち止まり空を眺める。廊下の窓から差し込み足元を照らすその陽の光は悲しいほど温く、嬉しいくらいに苦しい。私が忘れ、そして再び手に入れようとしている感情の正体に似ているようで、今の私を否定し拒絶し尽くしてくれるような感触とも同じだった。

「……いや、今のじゃないな。私の全てか」

 自身を否定するときに時間や状況を理由にするのは逃避だ。今の自分は何一つ悪くないと、あの時の自分は正しくなかったと、どうして同じ自分という人間の過去と思い出をひとつずつ切り取っては否定と肯定を繰り返さないといけないのか。悪いのは今も昔も自分なのに。いつも正しいのは自分だけだったのに。

「さっさとお昼食わないと」

 考えるのはまた後にして、陽の当たらない場所へと移動する。曜日ごとに食べるところは変えているのだが、しかしいつも人がいないとも限らない。そう、だから今日もいつもの場所に人がいたとしてもあまり驚かないのだが、今回ばかりは例外だった。

「やっほー。遅かったね。ささっ、早くご飯食べよう」

「……遥、あなたさっき教室にいなかった?」

 今日は校舎最上階の一番端の空き教室が私の独占食堂となるはずだった。なのに遥が先に来ているなんて予想外だ。

「いやさ、あんまりにも比奈理が暗い顔で出て行くからさぁ、気になっちゃって先回りした」

 気持ちを察してくれたことは嬉しいが、ありがた迷惑も甚だしい。こっちは一人になりたかったのに、これでは一人になれない。他の友達であれば軽くあしらえるのだが、遥はどうしても振り払えない。そればかりか、私の考えていることや思っていることをなんとなくだが分かってしまう。それが良い方向で作用すれば私も助かるのだが、今回のように悪い方向へと逆流してしまうことが多く、頭痛の種になることもしばしばある。まぁ友達の表情が暗ければ心配して当然だが。

「それで、今回はなんで悩んでるのさ」

 この子は私の心の在りようを知ったらどう思うのだろう。悲しむだろうか、苦しむだろうか、どれも遥は持ち合わせていないだろう。だから遥はきっと何も思わない。私の心に、なんの感情も抱かない。それが正常な反応ではないのは承知だが、それが遥という人間だ。けれど最近少しずつだが変わってきている気がする。昔のように偽って騙って本心を見せないことも無くなってきて、自分の気持ちに正直になっているようだ。夏に何かあったのだろう。それはそれで気になるが、しかし私と遥の関係性は徹底的に不干渉であり続けなければいけない。友達としてなら軽い悩み事も話すが、自分を決定的に変化させてしまうようなことは絶対に話はしない。昔からそうだった。だから今もこれからも変わることはない。踏み込まないかわりに、踏み込ませない。

「なんにも、ただ今日も朝から姉さんが付きまとってきてうざかっただけ」

「それだけかな?」

「それだけだよ」

 私も嘘をつくのが上手くなったと思う。最初はたどたどしくてばればれな嘘も、つき続ければさも事実のように語ることができる。慣れとは怖い。自身の本質さえも無意識に変化させてしまう、言わば遅速性の毒だ。どこから変わり、どこまで変わったかまるで解らない。今と昔がどれだけ違って、どれくらい同じなのかを知覚できない。

 不変性の変化、か。まるで矛盾したことを言っているようで、しかしこれほど正鵠を射ている言葉はない。これを私に言い放った人は、はたして誰だっただろうか。

『変わらないものなんてないんだよ。何物も何人でさえも変化し、劣化し、風化し、濃化し、透化する。それは避けることのできない運命だ。しかし変わったことを自覚し、知覚できる人は少ない』

 何年前かも忘れてしまった出来事なのに、言葉だけは何故か覚えている。

『君もいつか変わる。その変化を君が自覚したとき、どう思うか。何を感じるか。私は楽しみだ』

 あの時あの人は、一体どんな顔をしていただろうか。思い出せない。思い出したくない。

「まぁ、比奈理がそう言うのなら、私はそれでいいよ」

 いつもの笑顔だ。人を寄せ付けるが、一定の距離まで突き放すような笑顔。偽り騙りで塗り固めた真っ黒な仮面。

「よし、話はこれでおしまい! ちゃっちゃとご飯食べて教室戻ろう!」

「……そうだね」

 私も遥の隣に座り、お弁当を広げる。気になって時計を見れば、お昼休みもあと十五分もない。

 私は今日も自分で作ったお弁当を、自分で食べる。

「いただきます」





 真っ赤に染まる地平線と藍色の夜が混在する空を眺めながら、正門前で繭染さんを待つ。

 それにしてもこの学校の制服、本当に統一感ないな。フレアスカートがいたかと思えばコスプレと見間違うほど装飾されたスカート穿いてる子がいたり……私はコスプレ寄りだが。そうすると普通の制服を着ている子が逆に目立ってしまう。特に委員会や生徒会に入ってる子は学校指定を着ているので分かりやすい。

「ごめんなさーい。待ったですかー?」

 駆け足で私に近づいてくる繭染さん。そういえばこの子もまだ学校指定の制服だなぁ。可愛いからいいけど。

「すごく待った」

「あはは、ちょっと単位申請とかなんやかんやで忙しくて。ささっ、早く行きましょう!」

 すごく張り切って私の腕を引っ張ってくれるのはありがたいが、君も結構育っているのでひじに当たる感触が悩ましい。大体の子は私より大きいが、この子は見た目通り群を抜いた大きさだ。張りもあってさぞ揉みがいがあるのだろう。

「それよりひなりん。ひなりんは昔からこの辺りに住んでたの?」

「そうだよ。生まれてからずっとこの町で暮らしてる。それが何?」

「いや、訊いてみただけ」

 そんなはずない。その表情は訊いてみただけでは絶対にない。あなたは私に言外で訴えている。その態度で。その微笑で。

「ねぇひなりん。今度は――」

 前を歩く繭染さんの言葉は、最後まで私には届かず、風に溶けて消えていく。

「ごめん。最後なんて言った? よく聞こえなかった」

「ううん、いいの。今は、これで。ほらほら、こんなにとろとろ歩いてると明日になっちゃうよ!」

「はいはい」

 既に星が輝くほど暗くなった空を見つめながら、私たちは焼肉屋へと急ぐ。




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