第十四話「嘘吐き達の秋」
退屈だ。
長々と話す校長だか理事長だかは、相変わらず退屈でつまらない話をしている。何か大切なことを言っているようで、その実あまり内容はないようだ。要は夏休み終わったから気持ちを切り替えろと言うことらしい。
特に遠出もせずだらだらと夏休みを過ごしてしまったが、もったいないとは思わなかった。夏休みだから何かしたい訳でもないし、夏だからどこか行きたいとか思うこともない。ただ一つ言えることはアイスが美味い季節なので、もう少し食べておきたかった。まだ食べれる気温だが、気分的にあまり乗らない。それよりも夏休みの間私の頭を常に悩ませていたのは、今日の始業式のことだ。ここ何週間かはあまり動きがなかったが、きっと彼女なら実行しかねない。その後のことを考えると胃痛がひどくなりそう。
「ねぇねぇ、私たちの学年に何人か転入生が来るんだって」
「そうなの? どんな子が来るんだろうね」
前にいる女の子達が、ちょうど今私が一番心配している事を話していた。そうか、何人か来るのか。ならピンポイントで私のクラスに来るってことはないだろう。少し安心した。
「三人だったかな。一人は可愛い系、一人は綺麗系、最後の一人はなんて言うか、不思議な子だったよ」
「えっ、もう見てきたの? 流石志有子、仕事が早いねぇ」
「えっへん。このくらい朝飯みたいなもんよ」
「それを言うなら朝飯前だ」
始業式の最中に漫才するなよぉ。仲いいなこの子達。仲良くなりたくなるじゃないか。
「おっすおひさ」
肩を叩かれ振り向くと遥が眠そうな顔でこちらを見ていた。
「おはよ。なにその顔、怖いからやめてくれない」
「べっつに比奈理を驚かせようとしてこの顔してるわけじゃないし。ただ眠いだけ」
「なに? 昨日寝てないの?」
「うーん。そうね、あんまり寝てないかな」
と言った直前欠伸をする。かなり眠いようだ。
「そういう比奈理もあんまりいい顔とは言えないよ。何か心配事?」
私も同じような顔をしていたらしい。頬に手を当てて自分の表情を確認する。
「心配事っていうか……うん、心配事だね」
そう言った私の表情を見て遥は微笑む。その顔は少しだけ嬉しそうで、けれど何よりも哀しく見えた。
「比奈理はいつも何考えてるか分からないけど、ちょっと変わったね」
「……」
変わった。
その一言で私の頭をよぎるのは、あの子のあの表情。やっぱり私は変わってしまったのだろうか。昔から後悔することは多かったし、間違ったことも多かった。だから、私はまた後悔しているのだろうか。それとも間違えたことを感覚的に理解してしまったのだろうか。
あの子はこういうとき私になんて言ってくれるのか、少しだけ気になった。
だからきっとこの声は、この言葉は、私にとって一番後悔を感じさせる。
「比奈、顔色悪いよ。保健室でも行く?」
遥のさらに後ろから声がかけられる。
聞き慣れたどこか懐かしいその声の主は、変わらず私を想っていた。
「いや、いい。保健室はあんまり好きじゃない」
「そう、分かった」
声はそこで引き下がり、私はまた遥と二人の会話に戻る。
「やっぱり比奈理は変わったよ。それがいい変化なのかは、私には判断できないけど」
少し哀しそうな、けれど柔らかい表情の遥は、なるほど綺麗だった。そんな的外れなことを思っていたら、既に先生方の話は終わっていて、まばらだが生徒が動き出している。私たち含め座っている生徒はもうほとんどいない。
「さて、私たちも教室行こうか」
「そうだね」
そう言って立ち上がり、さきほどよりさらに騒がしくなった体育館を私達は無言で後にする。
背中に視線を感じながら。
「はじめまして! どっかの田舎から出てきました繭染雨喜と言います! 仲良くしていただけると嬉しいでっす!」
どうやら私の心配事は杞憂に終り、無事クラスに新しく可愛くてちょっと不思議そうな子が仲間に加わった。敬礼とかすごく似合ってるし、やり慣れてるのかな?
「はい、元気でいい挨拶でしたね。それじゃあ席は……あそこでいいかな」
のっそりした担任の先生が指差した席は私の隣だった。
「席も決まったし、うきちゃんも席着いてねー」
いつ聞いてもなんだか眠そうな声の担任は、転入生を席に座らせると黒板の前に立ち、その手に持った大量のプリントを配り始める。
「まぁなんと言っても貴方たちは二年生で、来年は受験です。そこで今回は進路調査と今後の授業内容への意見、またクラス単位の授業形態も検討していますので、こうしたいこうやりたいということがありましたら何でもいいので書いてみてください」
めんどくさいのかこういう話し方なのか未だに判断できない声で話す担任だったが、その後嬉々として私達の課題を集めだした。この人絶対酷評するのとか好きだと思う。
「ねぇねぇねぇ、貴方のお名前教えて。そんで仲良くしましょ!」
隣からすごく人懐っこい声をかけてきた転入生に、私はちょっとびっくりしてしまった。普段であればずかずかと人に寄ってくるタイプは苦手なのだが、この繭染雨喜という少女の態度には不思議と嫌な気分にはならなかった。
どことなく雰囲気が、どっかの誰かに似ているからだろうか。
「わ、私は、秋山比奈理、と言います」
しどろもどろになりながら自己紹介する私。あれ、普通立場逆じゃない? どうして私が困惑してるのだろう、ちょっと不思議。
「比奈理、比奈理かぁ。それじゃあひなりんって呼んでいい?」
「えっ、ま、まぁいいけど……」
「やったね! それじゃひなりん。早速だけど、この学校の授業形態ってどうなってるの? 説明されてもいまいちよく分からなかったんだよねぇ。授業なんて全部自分で決めれるって言っても、私今までそういう総合学科とかの授業選択は何回か経験したことあるけど、ここのはもう二段階くらい複雑だよね。正直言うとめんどくさい」
ごめんなさい。ここの授業選択が複雑なのは私の姉のせいです。本当にごめんなさい。
とは言っても、この学校に入ってくる生徒はそう言った自由に授業を選択でき、尚且つその場その場で授業の形態を学校や生徒が変化させることができるという想像力と創造力を育てるといったところを気に入って入学してくるのだけれど。まぁ繭染さんは転入だから仕方ないか。……ほんとごめん。
「それくらいなら私も手伝うし、今日の放課後教えてあげるから……」
「いや、なんだか理解するのも大変そうだし、ひなりんの授業選択の紙写すよ」
「……え?」
それはこの半年ずっと私と一緒の授業受けることになると分かって言ってるのかな? 勘違いするよ? 私のこと好きなんだなって勘違いするよ?
「だって、ひなりんの貴重な放課後という時間を私のために使ってくれるのは、嬉しいけれどおこがましいっていうか、会って間もない子に対して図々しいお願いかなとか思ったり思わなかったり」
「そんなこと……」
そんなことない。と言おうとしたが、止めた。
そうだ、私は今日の放課後、というより毎日放課後に行かなくてはいけない場所があるんだった。
あの子が、待っているから。
「うんうん。そうだよ、彼女は大事にしないとだめだしね。私もその彼女さんに目をつけられたくないし。でもでも! ひなりんとはすっごく仲良くしたいの!」
……ん? この子、今彼女って言った?
「あれ? 彼女のこと、もしかしなくても内緒?」
その言葉に、私は無言で頷く。
「そっかぁ。まぁそうだよね。いくらここが女子校だって言っても、そういうの嫌いな人は嫌いだし、受け入れてくれない人はいるもんね」
そんなことより。どうしてこの子は私に彼女がいるということを知っているのだろうか。まさか百合子の知り合い、はないか。多分。それじゃ遥ってわけじゃないよなぁ。誰だろ。まぁどうでもいいか。知られてしまっても別に構わないし、それに隠してるってわけじゃないしね。というか自分でそういう関係を言う人ってあまりいない気がする。
「全員課題を忘れず提出したようなので、今日はこれでおしまいはい解散。散れ散れぇ」
本当にこの人先生とかやってていいのか。すっごくテキトーだぞ。
担任の言葉を聞くと教室は瞬く間に喧騒に包まれた。明日からまた授業が始まると思うとなんだか辛い。
「秋山比奈理」
喧騒の中、その声だけやけにはっきりと聞こえてきて、私の心を深くえぐる。
今の私はどんな顔をしているだろうか。
目の前に立っていた海乃の無表情を見ていたら、ふとそんなことを思ってしまった。
私は無言で立ち上がると、じっと私を見つめる海乃を見つめ返す。
きっと、私も同じような表情をしている。
あの場所で、あの時間で止まって動かない感情は、私と海乃の唯一の共通点。だからこそ私は海乃を見ると辛くて苦しくて、そして許されたような気分になる。私達は似ているから。お互いを見るたびに苦しみ、許され、自己嫌悪に陥る。
そしてあの子も、私が壊して殺したあの子も、あの時あの時間の表情と感情で止まっている。許されないのならせめてこの子達と同じ時間を生きて苦しもう。
「そうだね。うん、分かった」
私は目を逸らし、まだ無表情のまま答える。けれど海乃以外の皆と話すときは、決まってこの表情でいようと思った。偽者だけれど、仮面だけれど、今の私にはそれが必要なんだ。
嘘でも間違っても、笑おう。何度でも。
「それじゃ私帰るね。また明日」
「……はい! ひなりんまた明日です!」
私は、ちゃんと笑えていただろうか。
繭染さんの何とも言えない表情が、その後ずっと頭から離れなかった。
これは罰なのだろうか。
それとも罪なのだろうか。
私は今も答えを探している。
けれどきっと私はずっとずっと答えを持っているのかもしれない。
その答えに納得せず、今も自分が一番良いと思える都合のいい答えを探し歩いているのかもしれない。
そんな、答えが出し尽くされた問いを何度も何度も自分に問い続けながら、私はまたこの扉を開ける。開けた先にいるのは、私が全てを奪ってしまった、無垢な笑顔が似合う少女。
「あら、今日は早かったね。比奈理」
「うん、今日は学校午前で終わったからさ」
私は、ちゃんと笑えているだろうか。
この子のような、空っぽの笑顔のように。
季節は徐々に夏から秋へと変化し、穏やかな天気と安定した気温が続いている。草木はゆっくりと色を変え、鮮やかに景色を彩る。
私の好きな季節だ。
何もかもが止まったような季節の中で、私は独り止まった時間へと向き合う。
間違いを正すために。