檻の中
ギックリ腰で眠れないので、短編書いちゃいました。
弟視点のヤンデレも書く予定。長いの書くの限界なので次回書きます。
あたしは、今日高校の入学式だ。
早くおきたものの、高校の制服に手を通すのが何だかひどくめんどくさかった。
けれど我が保護者や弟達の期待にみちた目に、こうして結局お披露目会をしている。
「ねね可愛いよ!」と弟達はソファーから立ち上がり左右から抱きしめてくる。
それに私達の保護者は、うん、うん、と何度も頭を上下にふり、涙ぐむ。
一見、暖かいアットホームな展開に見えるけど、私を抱きしめる双子の弟は、身長153センチのあたしに比べ190近くあり、泣きながらこちらをみる父親も同じように大きい。
「ねね」・・お姉さんでも姉さんでもなく「ねね」と呼ぶ弟たち。
バカじゃなかろうか、これで中等部では強面の生徒会だというから驚く。
まあ確かに誰もが目をみはる存在感と美形ぶりは父親譲りではあるけれど。
何が言いたいかというと、マジうざい。
私は確かに、この家の長女だし、このデカイ一つ年下の弟達とも血がつながっちゃいる、半分だけど。
私は別にこんな家どうでもいい。
18になったら出ていくつもりだから。
私がものごころがついて、初めに覚えたのは、泣いてばかりいる自分の母親とそれを慰める祖父母の姿だった。
そうして私を、その恨みつらみの原因の男の娘である私への、愛憎の混じったきつい視線だった。
母親が泣きわめくたび、祖父母は私を容赦ない視線で何度も殺した。
身体的な意味ではなく精神的にだけど。
考えても見てほしい。
幼児の私は自分が生きるために最初に身につけなきゃいけなかったのは、できるだけ自分の存在がなくなるように、だったのだから。
まあ世の中にはもっと悲惨な話しがごろごろしているのは今になってわかるけど、その当時の私には、あの閉ざされた世界がすべてだったのだから。
小学校に上がる前には、だから私は自分の事情を嫌というほど理解していた。
離婚調停中の父親には、愛人がいて、それを隠そうともせず、ましてや私と同じような歳の子供がいるという事。
母親はそれを知り怒りにまかせて私を連れて実家に帰ってきた。
そうしていざやはり父親の元へ戻ろうとしたら、待っていたのは離婚調停。
で、こうして数年来争っている。
だけどどうやらそれもやっと正式に離婚になるらしく、最近私を見る母親と祖父母の視線が痛いくらいだ。
私さえいなければ母親は新しい道が歩めるのに、そういって泣くようになったから。
離婚が決まる前は別れたくないと泣いていた。
子供の私はそれらをずっと本当にそれが子守歌がわりに聞いて育った。
で自分で言うのも何だが、小学校入学時にして既に冷めた大人のような子供がこうして出来上がっていた。
子供は子供として扱われるから子供でいられる。
子供、いや人として扱われないものは独自の進化をとげて、私みたいな変なのが出来上がる。
小学校の担任達は私をいろんな言葉で呼んだ。
低学年の時は自閉症気味だと病院を進められ、それを聞いた母親と祖父母の私への切れようは凄いものがあった。
あの担任、ほんと自分の手に負えない子供に対してなんてことしてくれたんだ。
私はあの担任にただ遠回しに、「私の事はほおっておいてくれ」そう頼んで以後無視していただけだ。
それで学んだ私は以後のスタンスを歩み寄りに変えたはずなのに、それからは早熟な生意気な子供扱いだ。
家に帰ってからがめんどくさいので何とか私が立位置を模索している内に小学校生活は終わってしまった。
自分の不器用さに絶望した。
そこで中学生活は心機一転、全寮制のところを希望した。
祖父が亡くなり祖母も腰を痛め母親もさすがに忙しくなって私への怒りの矛先を向けている暇がなくなったから。
今がチャンスとばかりに全寮制の中学を希望した。
祖母もまた身体の調子がただでさえ悪いのに、私の顔を見るのも嫌らしく好きにすればいいと言ってくれた。
お金ばかりはあるので、まさかの大逆転ホームランで私はあの憎しみの檻から解放された。
中学生活では私のような大人子供が思いのほか多く、それぞれの事情は深く詮索せず、けれど心地好い距離感を持つ友人達が初めてできた。
そうしてはじめて落ちついた時間を過ごし、年相応のおしゃれやガールズトークの洗礼で人との会話も学んでいた。
けれどそれも祖母の死と、続く母親の自殺で幕を閉じた。
本当に最後までつかえない母親だった。
死んでさえいなければどうにかなったのに。
あのしつこさで植物状態であと数年くらい生きていればいいものを。
結果、私は中学三年の途中から父親だという人に引き取られた。
ドンマイだ、私、それしかない。
初めて会ったこの父だと言う人に、私は遺産があるんだからこのまま今いる学校にいらせてほしいと心から頼んだ。
もしそうしてくれるのなら必要外の遺産はすべてあげようとも言った。
ところがこの父親の方も大層な資産家らしく一笑にふされて終わった。
何なんだろう、初めて神様がいるのなら恨ませてもらいたいと心からそう思った。
嫌々引き取られた家は最悪だった。
お前ら本気か?という感じの大歓迎。
ふわふわした感じの義母が初対面で私に言ったのは
「ごめんなさい、怨んでいるでしょう?でもね、私にはこの人だけだったの」
続けていろいろ泣きながら言っていたけど、正直私にはどうでもいい話だった。
別にあなたがこうして泣くのは誰に対して?そう思っただけだった。
少なくても私じゃなければ死んだ私の母親でもなかった。
この人はこのふわふわで生きてきたんだな、ぐらいしか思わなかった。
本気でそのものごとのうごめく底を見ないで、浮かび上がる泡の一つをつかんで自己完結してしまう人。
父親はその彼女の泣く姿に思わずといった感じで抱きしめて慰めていた。
こりゃあ、私の母親が負けるわけだ。
こんなふわふわ相手じゃ勝負にゃならないわ。
それが私が引き取られての初対面の風景。
そうこの家の人間は皆それぞれで完結している勘違い人間ばかり。
父親は政略結婚とはいえ私という存在がいるんだから、少なくても死んだ母親に何かしらの気持ちはあったはず。
死んだ母親はこんなバカな男のどこが良くて壊れたんだろう?
弟だという二人も、何やら辛そうにそんな両親を見てる。
ねえ、何が辛いの?
愛し合ってるらしい親がいて、自分たちもいて今まで「普通」に生きてきたんでしょ?
私はこの勘違い家族のていの良いスパイスってとこ?
やってらんないわ。
この先の生活に思わず天を見上げた。
それからは絵に描いた家族。
「ねね」と甘えてくる一つしか違わない弟たち。
義母につれられていくショッピング。
私は18まで、18までと心の中に呪文を唱えて生きている。