サクラ
星新一チックなブラックユーモアを考えて書きましたが、読み返すとイメージとはだいぶ違いました…。長いし…。
でも思い入れは本物なので、是非読んでください。
俺はサクラだ。
今でこそ花盛りとでもいいたげに茂っているが、そのあまりに短い余命宣告をたった今受けたのだ。俺の春はかなり早めに過ぎ去ってしまうとのことだ。皆は笑って俺の肩を叩き、俺もそれに笑顔で答えるに努めたが、内心辛い。それも当初自分が予想していた以上に尋常じゃなく、だ。
事の起こりは大学の春休みが始まるちょうど1週間前。
期末試験に勤しむ中、サークルの仲間の内の一人が俺達に払いのいいバイトを紹介してきたんだ。そいつが言うには、1週間の短期ではあったが、確かに高給だった。
これから始まる、待ちに待った楽しい春休み。しかしながら、そこには相応の出費と、無益な時間の浪費が懸念される。そのような中、特に持て余しかねない頭の一週間をそれらの小遣い稼ぎに充てることができる。願ったり叶ったりではないか。俺達は二つ返事でそのバイトに応じたのだった。
画して1週間後、俺達4人は咲良を名乗るアマチュア占い師の、街頭占いデビューを彩るサクラとして召集されたのだった。
俺達の他にも幾人かサクラ要員は揃えられていた。俺達くらいの若い連中もいれば、咲良さんと同世代くらいのおばさんも2人程顔を連ねていた。なんでも咲良さんのパート時代のお仲間とのこと。パート経験があって、占い師開業という人生もまたユニークよのと、俺達は談笑した。
俺は「でも、こんなにサクラのバイト雇ったら赤字でしょう?」とこっそり尋ねたが、彼女は趣味の範疇よ、と意に介していない様子であり、また俺達も一緒になった他の若い連中7,8人と意気投合したため、気に留めなくなったのだった。
そしてこの日はバイト最終日。
思い返せば、なんだかんだできついバイトだった。昼12時から夜中の0時まで半日に及ぶ拘束時間だったし、あの7,8人の連中の中には貧血で座り込む女の子もいたっけか?
咲良さんは人通りの多い昼の内は最低でも10人、21時以降は6人くらいの行列は作っておきたいとして、それに合わせたシフトを組んでいた。並んでてサクラの番がまわってきたら、咲良さんは形だけ占ってみせ、占い終えたサクラはそそくさと裏の休憩所に足を運んで、行列が不足し始めたらまた並ぶ、を延々と繰り返した。そして再びサクラが並ぶ時に、同じ人間がまた並んでいることがなるべくばれないためとして、休憩所にはカツラやサングラス、メガネといった変装グッズも用意されていた。
他の連中が1週間の内で4、5日くらいであったのに対し、俺達4人は7日間全部をサクラに付き合ったのであった。
最終日の夜中は咲良さん以外に俺達4人の顔ぶれしかなかった。休憩所のシフト表の最終日の欄に載っていたパートおばさん2人は、いずれも急の用事で早退とのことで、やむなく残りの俺達で回したのだった。
そして夜中の0時を回り、休憩所に戻った俺達はいつものように咲良さんから「お疲れ様」の労いの言葉とともに、封筒に入った賃金を受け取ったのだった。封筒の中身を確認し、休憩所の撤去作業を手伝ってさあ解散となった時に、咲良さんが「せっかくだから占ってみない?タダでいいから」と持ちかけてきた。休憩所の撤去作業という時間外労働のお礼も兼ねているそうで、俺達はその好意に乗って、それぞれ占ってもらうこととなった。
これが絶望になるとも知らずに…。
しかし、いざ占ってもらうとなっても、俺達には特に悩みらしい悩みもなくて、何を占ってもらうかなかなか思い浮かばない。するとその時、休憩所にあった変装グッズのカツラが偶然目に入った。この瞬間閃いた俺は「じゃあ、この4人の中で誰が将来禿げるか、を占うことはできますか?」と提案したのだ。
他の3人は大笑いでそれに賛同して、咲良さんも「できる」と承諾したことにより、俺達に対し、禿げるか否かの占いが始まったのだった。
正直、4人の結果が出るまで、どのような占い方法を行っていたか、詳しい記憶はおぼろげだ。ただ、咲良さんがテーブルに並べるタロットカードにあった、人の生首を片手に持つ猫背の死神だったり、三日月にぶら下がって満面の笑みを不気味にこちらへ見せつける悪魔だったり、あまり趣味のよろしくない挿絵がひどく印象的だったのは覚えている。
尤も、結果そのものは忘れたくても忘れられないくらいに衝撃だったけど。
俺、禿げる。あと3人、禿げない。
だった…。
この時程神や仏の存在を否定した日はないと思う。あまりに酷すぎでしょう?俺は禿げの少ない家系であった故、まあ、大丈夫かな?とタカをくくっていたのもよりそれを際立たせた。じいちゃんなんか父方母方いずれも70超えていながらフサフサだしね。なのにこの結果って…。
まあそれでも、一応念のため、禿げると出てもいいように相応の覚悟もしていたさ。しかしそれは、あともう1,2人くらい、願わくば3人の同士がいること前提だった。なのに俺1人って…。
極めつけは何を占ってもらうかを提案したのが、他でもなく俺だったということだ。そういったことも相俟って、3人は俺に気遣うといったことをせず、腹を抱えて「残念だったねえ~」「いいことあるって!」等と言ってバンバン俺の背中を叩いて笑った。まあ、変に慰められるよりかはよっぽど救われる対応であったため、俺も「まじかよ~」とか「ちくしょー」といった言葉で、絶望という本心を塗りつぶそうと必死に励むことができた。
そして俺達はバイトの最終日に予定していた打ち上げのカラオケ大会に、車を走らせるのだった。
たかが占い。俺もヤケになって歌えば今のことを忘れられるかも等と助手席で考えていた。
そして月日は流れ数十年。
大学卒業後から勤めるとある会社で、俺は課長の任に就いていた。そして一部の人間の間で「禿げ課長」なる称号を獲得し、軽蔑されたり尊敬されたりして毎日を過ごしていた。
占いは当たっていたのだ。
2月のとある晴れた日。空から降り注ぐ眩い太陽の光を、圧巻なまでに跳ね返す広いおでこを携え、俺は例の場所に向かった。
目的の場所には既に先客がいたのか、新しい花束がしっかりくくりつけられていた。俺もそれの隣に、ここへ来る途中の花屋で買った花束を申し訳なさげに供えたのだった。
さすがにあの事故から20年以上も経つと、この道路にはその面影はかけらも感じられない。ただ、ガードレールの隅に毎年供えられるこの花束だけが異彩を放って、かつて尊い命が奪われていったというその事実を物語っていたのであった。
しばしの合掌の後、俺は帰宅の途についた。
酒を控えるよう、常に口うるさい嫁もこの日ばかりは口を噤む。水割りを片手に、テーブルにはあいつらと4人で最期に撮った写真がこちらを覗いて満面の笑みを振りかける。
恥ずかしくも生き残っちまった俺をどう思う?
無論、遺影のこいつら3人にそう尋ねたって、やっぱり変わらぬ笑顔とそのただただ頭部に茂った金髪だの黒髪だのを見せつけるだけなのであった。
ブラックユーモアを少ない文で表現したかったのですが若干くどかったかな?
反省して次に生かします。