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蛍石の環

作者: 星野 琥珀


 窓の外は、雨だった。


 ざあざあざあ、と降り続く雨は止まることを知らない。


 膨大に降る雨のせいで、この島は霧深く鬱蒼とした森に囲まれている。


 木枠にはめ込んだ摺りガラスの粗末な窓を開け放ち、もうずっと雨に濡れる薄暗い森を眺めていた。


 

 -クシュンっ!


 

 「おやおや、蛍。すっかり体を冷やしたのう。」


 そう言って穏やかな声でじい様が私の後ろから腕を伸ばして窓を閉めた。

 

 窓を勝手に閉められた事に小言をこぼそうとした私を予測してか、じい様の顔を見上げた私の顔面めがけてぽふりと毛織物が落とされた。


 「ブっ!」

 「年頃の娘っ子は下手に体を冷やさんことじゃの。ほっほっほ」

 「じい様っ!!」

 

 顔に被された毛織物をかき分けて、好々爺なじい様の後ろ姿を睨んだ。


 「じゃあ、その年頃の娘の大切な顔に物を落とすんじゃねェっ!!」


 私の怒声にもじい様は「ほっほっほっ」と笑うだけだ。

 

 「…まったくもう…。」


 大きな毛織物の毛布を体に巻きつけ、再び窓に向き直ると、完全には閉まらなかった桟の隙間から外の景色がのぞく。

  

 (じい様…)


 ごわごわする毛布は固くて重いけれど、とても温かい。

 確かに肌寒いと感じていたので、毛布と少しだけ開けられた窓に、失っていた体温が徐々に熱を取り戻していた。


 雨の日は、ずっとこうして森を眺めることが多くなった。


 じい様はそんな私を心配しているから、こうやってさりげなく毛布をかけたり、開け放した窓を少しだけ閉じたり、そんな風にふとした時に私を構うのだろう。 


 ふと、自分の手首にある腕輪に目を落とす。


 少し日に焼けた肌に、透き通った緑色の石が数珠繋ぎになっている。緑の他に、淡い紫と紫がかった青い石もいつくか混じっていた。


 ―――――美しいだろう?この森の色のようだ――――― 


 脳裏に蘇る低い声は、記憶そのままに心に響く。


 この腕輪をくれた男は、この島からずっと離れた地にある街から、植物の研究のために来たのだという男だった。

 研究者というよく分からない事を生業としている彼らは、島にとっては貴重な客人。

 もてなしに選ばれたのは、私を含めた数人の娘達だった。


 客人は壮年ながらも屈強そうな男が5人。



 その中でたった一人、一番うんと若く軟弱そうな優男があの男だった。



 男は変な男だった。


 虫も殺せないような優男のくせに、家畜の裁き方は私たち村人と引けを取らないし、細く見えて村の男たちと変わらない働きをする。


 女とともに機織りやママゴトをしたほうがよっぽど似合うなと皮肉る男たちに、怒鳴るどころかヘラヘラと笑うのには、真性の阿呆だと思った。


 しかし根性がない訳ではない。


 連日開かれる村総出の宴会で、澄ました顔で飲んでいた村自慢の地酒が心底苦手なのだと苦笑しながら告げられた時、私は呆気にとられた。


 確かに、地元の人間でも一升瓶を空ける者は数えるほどにしかいない、あまりにも酒精が強いその酒は、宴会で偶に死人も出すほどだった。


 なぜそこまでするのかといえば、村の皆に認めてほしかったからと恥ずかしげもなく言う。


 それを聞いて、素直な男だ、とある意味感動してしまったのを覚えている。


 素直な子供のようでいて、村の男どもにはない視点で語られる、村の全体やその外に及ぶ男の世界の広さは、何か神聖ささえ感じられるほどで。


 男が匂わせる世界の広大さやその神秘さを雰囲気で感じ取った娘達が、男に群がるのも当たり前のことだった。

 

 けれど、男はどんなに美しい娘がいても、首を縦には降らなかった。


 あまりにもつれない態度なので、きっと故郷に恋人がいるのだろうと、皆の噂になったのは必然だった。


 きっと、そうに違いないと私は最初から思っていた。

 何しろ、男はかなりの童顔で、子供の一人、二人居てもおかしくないほどの年齢だった。


 それなりに女遊びもしたのだろう。男のあしらい方に、不思議と腹を立てる娘はいなかった。


 けれど、その矢先。


 男から「好きだ」と言われた。そして「結婚してほしい」とも。


 どうしてあの男に気に入られたのか私には分からない。


 この通り口も悪く、勝気な性格は起こったら口よりも足や手が出るような性格だ。女らしさなど欠片もねえ、と村の男どもにはいつもそうからかわれていた。


 だから、男に嫁になってほしいと言われた時、最初は冗談だと思って相手にしなかった。けれど、冗談にしてはしつこいし、真剣な表情をするので信じざるを得なくなって。


 気づいていたら、頷いていた。


 好きなのかどうかは、分からなかったけれど、男があまりにも直向き《ひたむき》で、自然と、あの男に応えたいと思っていた。



 (雨、か…) 



 男は軟弱そうに見えて、実は一番あのなかで強硬な男なのだと、彼の師匠だという壮年の親父はそう言った。

 だから心配いらないと、最後の晩餐になったあの夜に私にそう言った。

 

 実はすでに、男の裸は見知っていて、男はただ着やせするのだと分かっていた私は、ひそひそと告げてきた男の師匠に曖昧に笑うしかなかった。

(そう、男は顔に似合わず手を出すのも早かったのだ。もちろん、婚前の交渉なんてとんでもないと蹴飛ばしたけど。)


 困ったように笑う私に微笑みながら、師匠はぽつぽつと、男の事を語ってくれた。学生の頃の、今では想像の出来ない悪童ぶりの数々。おもしろくて、つい笑顔がこぼれる。


 師匠の話に相槌を打っていたのだが、酒臭い笑顔で話題の中心である男がそうと知らず邪魔してきたので、むかついた私は男の固い背中を拳で殴ってやった。


 それでも懲りない男の奇行に呆れていると、そんな私たちを師匠とじい様を筆頭に、客人や村人のみんなが生温かい視線で見ていたので、非常に居たたまれなかった。


 男やその仲間を見たのは、その翌日が最後だった。


 彼らはこの島で一番深く険しい山に入るのだと、私たちでも入らないその山に、道案内の隣村の2人のきこりを道連れに、旅立った。






 その、三日後。






 彼らが入った山から地響きが轟いてきた。


 山の一部で、鉄砲水と山崩れが起こったのだ。


 あの男が美しいと賛美していた山は、大きく姿を変えて無残な姿となっていたのだった。




 さらにその5日後。




 隣村の樵が、たった一人だけで帰ってきた。


 その事実が意味する事は、あまりにも明白で。



 

 婚約の証としてくれたこの腕輪が、男の形見となった。


 それ以来、私はずっと雨の森を見ている。


 旅立ったのがまるで昨日のように思い出せる。


 何よりも、彼らはひょっこりと、この雨の森から笑顔で帰ってきそうだから。




 


 ああ、ほら


 今にも私の名を呼んで、


 あの森の道から


 「蛍」と。

 

 そうしたら、私も


 男の名前を呼んで、手を振るのだろう。





 読んでくださってありがとうございました。


 毒にも薬にもならないお話で恐縮です。


 

 


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