三時のお茶をご一緒に
夜は冷えるが、晴れた日のお昼はすこし暖かくなりはじめた今日この頃。
日本のどこかにある凪町の片隅、藤城家の廊下で、古びた柱時計が三回鳴る。
お茶の間で急須に茶葉を入れる鞠子の背中へ、とてとてと歩いてきた少女がぽふっと抱きついた。
慣れた鞠子は驚かず振り向いて言う。
「すずちゃん、今お茶いれるから、縁側で座って待っててくれる?」
赤い着物に金の帯、艶やかな黒髪に青い石をはめた金の簪をさした可愛らしい少女「すず」は、ちょっと間を置いてからこくんと頷いて縁側の方へ歩いていく。
ちいさな女の子にしか見えないすずは、古くから藤城の家に棲む座敷童子だ。
鞠子は彼女の世話役として雇われている分家の娘で、高校卒業後にすずのいる藤城本家で暮らすようになり、今年で三年が経つ。
藤城家では座敷童子を「一族の守り神さま」として大事にしているので、すずの姿を見て話ができる鞠子も「お世話役さま」として一緒に大事にされていた。
凪町にはモノノケも神もごく当たり前に現れ、人々は彼らに慣れている。
しかし、なかには「自分の気に入った者にしか姿を見せない」という、少々気難しいものがおり、座敷童子もそうだった。
鞠子の前の「お世話役さま」が役目を降りると、すずは五十年近く人に姿を見せなかったというから、何を基準に選んでいるのかは分からないが、なかなか厳しいことである。
そんな鞠子の仕事は、「すずの相手」と「家事」、「たまに帰ってくる藤城家の当主さまのお世話」の三つ。
すずは人間の子どもと違ってほとんど手がかからないし、当主さまは一ヵ月に一度くらいしか帰ってこないので、主な仕事は自分の生活を維持するための家事だ。
ちなみに「一族の守り神さまのいらっしゃる家」には「お世話役さま」以外、当主とその妻子だけが住む、という昔からの決まりがあるため、藤城家の他の人々はこことは別の家に住んでいる。
が、今の当主さまは独り身で、しかも藤城が家族経営する会社の社長として本社近くのマンションに寝泊まりしているため、ほとんど本家に帰らない。
鞠子にはそれが、すこし寂しい。
「当主さま」が「次期さま」だった頃から彼を知る鞠子は、きっと仕事が忙しいんだろうな、と理解はしていたが。
落ち着いた低い声で「ただいま」と言う彼をずっと、心ひそかに待っている。
ともかくそんなわけで、現在の藤城家はすずと鞠子の二人住まい。
鞠子は日々のんびりとすずの相手をして暮らしているが、最近になって、すずの元を訪れるモノノケのお客さま達のおもてなしも、よくするようになった。
「すず、鞠子さん、お邪魔するよ。」
「鞠子、遊びに来たぞー!」
「すずちゃん、まりちゃん、こんにちは~」
鞠子が三時のお茶をいれはじめると、どこからともなく次々と現れるモノノケ達で、藤城家の縁側はとてもにぎやかになる。
純和風なお屋敷の藤城家は庭が広いので、元気のよい者たちはぱたぱたとあちこちを走り回りながら、顔を上げた鞠子に手をふった。
「はーい、こんにちはー」
こたえて手を振り、鞠子はお茶をいれた湯のみと草もちを山積みにした菓子器を縁側へ運ぶ。
すると尻尾が二股にわかれた猫や、頭にみどりの葉っぱを乗せた少年たち、獣のような眼をした青年や、ふわふわと空を歩くようにたわむれる少女たちが集まってきて、鞠子からお茶と草もちをもらい、それぞれのお気に入りの場所へ座った。
訪れた者たち皆にお茶と菓子が行き渡るのを見届けると、鞠子もすずの隣に座ってお茶を飲んだ。
その隣に早々と草もちをたいらげた青年が座り、一緒に遊ぼうと鞠子を誘う。
彼がトランプを持っているのを見た子供姿のモノノケ達がわらわらと寄ってきたので、鞠子は皆にカードを配った。
そしてさあ、遊ぼうか、という時に。
ふっと皆が空を見る。
「どうしたの?」
不思議に思って一緒に空を見あげた鞠子は、青い空を渡る白い雲の中からぬうっと大きな手が現れ、庭へ向かっておりてくるのに目を丸くした。
凪町の住人として、奇妙なものには鞠子も慣れていたが、さすがにこれには驚いた。
鞠子の周りのモノノケ達があっという間に姿を消し、縁側には鞠子とすずだけが残される。
あむあむとのんびり草もちを食べるすずの横で、鞠子は内心どきどきしながらその手の行方を見守った。
人と同じ五本の指のあるその大きな手は、藤城家の庭に指先が当たると下りるのをやめ、ゆっくりと鞠子とすずの傍へきて動きを止めた。
「もし。童子の隣のお人や。わしにも茶をもらえんだろうか?」
どこからともなく穏やかな男性の声が響き、鞠子は雲の上を見あげて「ああ」と理解した。
すずは草もちを食べるのに夢中で無反応だが、どうやら彼女のお知り合いだ。
ならば藤城家のお客さまである。
持っていたトランプを縁側に置いて、鞠子は急須の置いてある茶の間に戻りながら答えた。
「はい、お客さま。今いれてまいりますので、どうかすこしお待ちください。」
「ふふ、客か。お小さい方、わしは客には大きすぎような。」
「お客さまに過ぎるも足りぬもありません。ここには小さな湯のみしかございませんが。」
「よいよい。わしはそれが欲しいのだ。」
ならば良かろうか、とそのまま皆と同じ湯のみに茶をいれ、鞠子は草もちを持って縁側へ戻る。
するといつの間にか草もちを食べ終えたすずが手を伸ばし、大きな手の指先に触れて、仔犬にするようによしよしと撫でていた。
「久しいなぁ、童子や。此度はまた、良い巡りに逢えたようだのう。」
こくん、と頷いてすずが答えた。
「この子はね、まりこ、というの。」
「ふむ。まりこ。」
低い声が言うと、すずはまた、こくん、と頷く。
そして金の簪をしゃらりと鳴らし、ちいさく首を傾げて訊いた。
「また、いくの?」
「ああ、また行くよ。わしの役目は変わらぬもの。南から北へ、風を連れ。」
声がやみ、すずが振り向く。
鞠子は大きな指の上へ湯のみを置き、草もちをそえた。
「お待たせしました。よろしければ、ご一緒に草もちもどうぞ。」
「おお。ありがとう、まりこ。」
ちいさく一礼して、鞠子はすずの隣へ座る。
大きな手はゆっくりと空へ戻り、不思議と静かな昼下がりの陽射しのなか、座敷童子と人の娘はただ縁側に座って、さやさやと風が庭木を揺らすのを眺めていた。
しばらくして大きな手がまたおりてくると、鞠子はその指の上にある小さな湯のみを受け取った。
「良い茶であったよ、まりこ。童子や、また時の巡りに会おうな。」
空へ消えてゆく手を見送り、すずはひらひらと手を振る。
鞠子は湯のみを手に持ったままぼんやりとしていたが、どこからともなく現れた猫が言うのに我に返った。
「おや、五色雲だ。鞠子さん、渡り神に気に入られたね。また風の変わる頃、おいでになるかもしれないよ。」
「え? 本当? もしいらっしゃるなら、もっと大きな湯のみを用意しておかないと。」
二股尻尾をぶらりと揺らして、猫はおかしそうに笑った。
「いや、鞠子さん。それは要らないと思うよ。渡り神は、茶を飲んだのではないからね。」
「でも、お茶がほしいとおっしゃったけど。」
「渡り神が飲んだのは、鞠子さんがその湯のみにいれた思いやりだ。湯のみの大きさも茶の量も、さして関わりないんだよ。」
「・・・そうなの?」
鞠子はよくわからないと首を傾げ、ゆっくりと空を流れゆく、五色に輝く美しい雲を見た。
その隣にひょいと現れた青年が、鞠子の手にした湯のみを覗き込んで言う。
「もうじき桜が咲くな。」
からになった湯のみの底に、薄紅色の花びらが一枚。
思わず頬をゆるめて「そうね」と頷いた鞠子は、その花びらをすずに見せて言った。
「すずちゃん。桜が咲いたらお弁当を作って、お花見に行こうか。」
すずは鞠子を見あげて嬉しそうに笑うと、こっくりと頷いてこたえた。