⑥成人映画Ⅳ
ピィーチク
パァーチク
小鳥が囀ずる都会近郊の早朝である。
自然に囲まれた静かな住宅街に黒塗りの高級車スーパーサルーンがゆっくりと走り抜けていく。
お抱え運転手はハンドル横の時計をチラッと見て豪華な邸宅の前に到着する。
先代が築き上げた豪邸は高級住宅街にあって一際目立っていた。
「おはようございます。本日もお天気がよろしくてなによりでございます。いやはやっ快晴はなによりでございます」
出迎えたお手伝いさんと運転手。とりとめのない挨拶をかわすのが日課である。
定刻に奥さまと常務が玄関先に姿を現す。
「旦那さま。しっかりでございますよ。旦那さまのお作りになる映画は素晴らしいでございます。わが社の映画フアンの皆様がお待ちでございますね」
お抱え運転手は常務の顔を見るなり言葉を続けた。
うん?
映画を手掛けることは久し振りである。映画会社としてはテレビドラマやスチール写真にモデル配給が主な営業利益を生んでいる。
先代から贔屓にしている老いた運転手の激励に身の引き締まる思いとなる。
常務が怪訝そうな顔つきをすると運転手は"しまった!早合点したかっ"と帽子を握りしめ頭をさげた。
「旦那さま。いえっお坊っちゃん。しっかり頑張ってくださいましっ」
映画界の巨匠と呼ばれた先代の長男が常務である。
先代が作り大きくした映画会社の御曹司に生まれたからには…。
お坊ちゃんは今や会社になくてはならぬ人材となるべきである。
代表取締役に就任をされて会社経営者となるべきである。常務取締役と言えども多数いるヒラ常務の数のひとりに過ぎない。
お抱え運転手は考える。
映画フアンのために大作を作製していくのは先代の息子に生まれた役割であり使命感であると信じていた。
名作を次々に世に発表していくのが映画会社である。
安易なテレビドラマ製作にうつつを抜かす社長の方針は苦言である。
「あっしは…お坊ちゃん。先代さまからご奉公しております。お坊っちゃんがわが社で映画製作に携わることが一番好きでございます」
採算性の悪い映画製作に見切りをつけテレビドラマに走った現・社長の方針は好きになれない。
「しっかり頼みます」
僅かに味方がここにいたかっと常務はにっこりした。
奥様とお手伝いさんに見送られスーパーサルーンに乗り込む。
社用車の人になれば七人の敵がいるビジネスマンとなる。
社内は社長派ばかり。常務の肩書きはあれど子会社の経営責任だけであるから四面楚歌である。
スーパーサルーン内は快適なアメニティ空間となる。
常務のための座が用意されさしずめは走る執務室である。
書類の棚にファックスやインターネット。携帯(移動)電話が調っている。
「"お坊っちゃん"スタジオまでゆっくりされてくださいね。早朝でございますから渋滞もないようです。ゆっくり参ります」
今日と言う日は特別な意味がある。お抱え運転手もなんとなくソワソワとして気が落ち着かないのである。
映画製作会社にも
常務その人にも
今日は特別な日となっていく。
運転手は重々承知をしているのである。
気を使ってくれる老人の好意はありがたかった。スタジオに着くまでしっかり目を通しておきたい書類が数枚単位で残っていたのだ。
運転手は亡くなった先代のお抱え時代を思い出す。
話しの好きな先代は車中で運転手相手に撮影する映画の内容を愉しそうに教えるのである。
映画が好きな先代は撮影進行がうまくいっているといつもにこやかに穏やかな顔つきであった。
先代と親子になる常務に映画製作そのものに熱意を感じて欲しいのはやまやまであった。
都内に入るとスタジオはすぐである。
「おやおやっ常務さんではありませんか。お久しぶりでございますね。また映画をおやりになられるのですね」
スタジオの守衛がスーパーサルーンをひょいっと覗いた。
常務のID(身分証明)をしている最中にも老齢の守衛から親しげに声を掛けられた。
「久しぶり…ですかっアッハハッ。私は危うく(永年の会社のスタッフにも)忘れ去られてしまいそうだな」
にこやかな笑顔だった。
久しぶりに見る守衛に常務は手を振るとスーパーサルーンはスゥ~ッとスタジオに消えていく。
定刻より早いスタジオ入りの常務に続き次々とスタッフが出勤してくる。
「えっ常務さんは先に来ている?もうインしていらっしゃるの。参ったなあ」
トップが一番入りを知り裏方スタッフ一同は気が引き締まる。
「常務はこの作品に賭けていらっしゃる」
"成人映画"というインパクトを最大の武器に起死回生のヒットを飛ばしてみせる。
陽子はタクシーで余裕綽々である。
「(IDは)陽子さん?…でございますね」
守衛は見馴れぬ女だなっとジロリっとみる。提示されたIDをパソコン処理し身分証明をスタジオ入居時に管理する。
出演者の欄が開示されて"女優"陽子と表示がなされた。
同じ俳優の欄には見慣れた名前が連なるが女優は陽子など見知らぬ女ばかりだった。
"常務の製作する映画の俳優や女優のはずだ"
はてはて?
どんな映画を製作なさるおつもりなんだ?お坊ちゃんは
「新しい女優さんでございますね。しっかり撮影を頑張ってください」
先代の時代から映画スタジオに勤務する守衛は幾多かの美女に謁見している。
「ハイッありがとうございます。(スタジオ撮影を)頑張ってみます」
タクシーの中から軽く頭を下げる。優しい声は興味をそそったからだ。
守衛は礼儀正しい女だなっと好印象を受ける。女優という人種は有名どころから守衛などに愛想を振る舞うことはまずなかった。
チラッとだが顔を見たくなった。
ジロリ~
女優という割には…
なんだか平凡な女の子
声の優しさと裏腹に陽子に美形さを感じはしなかった。
女優として歓心はなしという反応であった。
女子大生の陽子がスタジオに入っていく。
子役時代から通い馴れた映画の撮影スタジオである。
子供心に陽子は誓っていた。
"大人になったら…。将来は主役を張る有名な女優になりたい"
女優を目指す陽子の究極の目的である。
『成人映画』のクランクインのスタジオに到着する。
撮影現場には主役女優の名前が掲げられている。
陽子の《芸名》が真新しい看板に飾り付けられていく。
※芸名は『陽子』とさして違いはない
掲げられた看板を眺めて陽子はひとつ大きな息をつく。
「私が主役…」
主演女優に陽子の芸名がある。
「私は女優としてスタジオにいるの。クランクインをして主役を演じるの」
陽子は憧れのスタジオの空気を楽しみたい。
普段映画雑誌や芸能雑誌でお目にかかる巨大な建物。
有名な俳優や女優にならなければ出入りを許されないスタジオという世界。
陽子は自問自答を繰り返すのであれ。
女優になるの私
私は映画の主役なの
子役の陽子は成長をして
今から主演女優さん
『アダルト映画』でも…
女優さんなの
陽子の父親がアダルト出演者となって不機嫌さを露にしても
映画の『主演女優』という役割。
陽子という女の子はプロ意識が芽生えてしまう。
「おはようございます。陽子さんお互いに頑張っていきましょう」
ジーパン姿の爽やかな青年が挨拶にくる。愛想のよい男は大学を二年前に出たばかりのアシスタントディレクター(AD)である。
"主演の女優"に気持ちよく演じることを心掛けていく。
「僕は"陽子先生"のアシスタント(AD)です。どんな些細なことでもお気軽に申しつけください」
陽子先生?
「ハイッ陽子先生でございます。主演の陽子先生がいなければ映画撮影は進行いたしません」
ADはビジネスモデルとして撮影を捉え妥協はしない構えであった。
ADとさして年齢の違いのない女子大生の陽子。違和感のある《先生敬称》だった。
スタッフは定時きっかり監督や裏方さんが集まりいよいよ撮影の本番であった。
陽子を含む出演者は手の空いた者から順次メイクを終え控えに集まる。出演場面の想定をしながら台本の下読みである。
出演者に台本はあらかじめ手渡されて想定演技を稽古してある。
台本ひとつで陽子は大概が理解できる。さらに記憶力は抜群で現役女子大生の強み博覧強記である。
「はじめまして。ニューフェイスの陽子さん」
端役を演じる役者さんがひとりひとり"主役"にいの一番に挨拶する。
陽子におはようございますと挨拶した端役の役者さん。テレビ映画でいつも見掛ける柔和な顔もあった。
「陽子さんは女子大生なんですか。偉いなあ~主演女優なんですね。(脇役でバックアップしますから)頑張ってね。今回は私が主人公の父親の役柄でございます」
後ろからこっそりと母親役も顔を見せた。
陽子は挨拶された役柄の両親を見てギクッとしてしまう。
脇役の二人の芸名は知らなかったが父親も母親もテレビホームドラマでお馴染みではないか。
お茶の間に温かみのある熟年夫婦を届けて演じる名俳優さんである。
"いいイメージでテレビドラマを演じているのに。なぜ『成人映画』に出るの"
挨拶をされながら陽子は訝しげであった。
※役者と看板を掲げても出演の"お声"がなければ一文にもならない。
この時に主役を張れない脇役役者という華やかではない地味な世界を見てくれたら良かったのだが。
スタッフ全員がスタジオにスタンバイして緊張感が走る。
中堅どころの会社所属監督(30)が撮影椅子にドカッと座る。
メガホンをADから受け取るとスタジオ撮影は始まる。
ADが忙しなくし黒子に徹する。撮影進行はADの手腕ひとつである。
「本日の撮影っよろしくお願いいたします。テイクNo.1から3をスタジオ収録です」
役者らは緊張感を張り詰め本番に臨むのである。
主人公の陽子は18歳の女子高生役。ブレザー服に身を包み私立校のイデタチで登場する。
恵まれた家庭環境の娘さんを演じる陽子。
中流家庭のサラリーマンの普通の娘さんをうまく演じ切れるか。
脇役の父親と母親はベテランである。こじんまりとした家庭の雰囲気を醸しアトホームな両親をうまく演じる。テレビドラマそのものがスタジオにあった。
ベテランの演技はまるで教科書のようなもの。監督は安心をしてゆったりと構えていた。
テイクNo.1が終わってADが陽子にいきなさいとサインを出す。
早くも主役登場の場面である。良いとこのお嬢さんで陽子は張り切るのである。
「お母さんただいま」
学校帰りの陽子が明るく登場した。
台所から母親がお帰りなさいと優しく声をかける。
陽子は2~3の短めなセリフを母親との場面で収録であったが。
「カット!カット!」
順調な撮影スタジオに監督の怒号だった。
「おいAD!陽子の…ホラッ」
ホラッ?
撮影照明がきつく熱いのか。陽子の顔に汗が滲んでしまう。
「メイク!メイク早く来てくれ」
極度の緊張感が子役出身と言えども陽子を襲った。
「ハッハイッすいません」
カメラが止まる。陽子はドタッとその場にへたりこんでしまう。
「緊張感かっ!AD聞いておけ」
監督は台本を捲り陽子の登場しないテイク(場面)を撮影する。
「陽子先生。監督さんからブレイク(休み)でございます。休憩室へ参りまして気を鎮めましょう。約10分インターバルもらいました」
フゥ~
陽子は全身から脱力感であった。
極度の緊張感は陽子の想像を遥かに越えていた。
ADに付き添われてスタジオを去る陽子だが足がガタガタ震えてしまい思うように歩けもしなかった。
「気にしないでくださいね。新人女優さんはちょくちょくあることなんです」
スタジオ収録は始まったばかり。新人女優陽子のまわりはベテランや中堅の俳優ばかり。
セリフのトチりやミス演技などほとんどない完璧な布陣であった。
子役程度の芸歴では太刀打ちのできぬハイレベルな俳優の世界を知らず知らず実感をしていくのである。
「陽子は大丈夫か。OKなんだな。テイクNo.2からやる」
監督がADに陽子の様子を打診する。主役女優は大半が出番である。いつでも休憩室はいけない。
初っぱなからしくじりを許し甘やかせては先行き映画は完成しないのである。
「すいません監督さん。休憩しましたら楽になりました」
監督はニコリともせずメガホンを振り上げた。
「テイクNo.2をいこう」
新人女優は脇役の俳優さんと裏方さんに手助けをされなんとか予定の収録(初日)を終える。
「陽子ちゃん頑張ってね。今日だけで僕ら両親の家族収録はおしまいなんだ」
ベテランたる俳優の両親は出番をさっさと収録してしまい居なくなる。
ふたりのお迎えの車は個別にベンツだった。
端役で役者稼業を営むモノはかようなものである。
初日の収録は家族団欒のヒトコマだけである。
四方八方から舐めるようにカメラで全身を映し出された。
じろじろと四六時中見られた陽子はぐったりしてしまう。
「簡単なセリフを言うスタジオ撮影だけなのに。やだなぁなんでこんなに私は疲れるのかしら」
顔は浮腫み化粧の荒れ肌。足はパンパンに腫れて筋肉痛である。
陽子は主役というポジションを簡単に考えたと後悔する。
明日からはスタジオ収録の残りと街ロケである。
この街ロケが終わるといよいよ成人映画の…
まあ主役の陽子は『成人映画』のヒロインだから(笑)