混沌
車で埋め尽くされた道路にもう裏返されない喫茶店のOPENの看板。
三日前まで人でにぎわっていた池袋の街は異常なまでに静まり返っていた。
女子高生の志村彩はラブホテルの一室にある窓から、うごめく死体によって埋め尽くされた道路を見下ろしている。
「そんなに何回も見ても変わらないだろ。緊急事態宣言。ここで大人しくしてればいつか救助が来るって。」
「その救助のヘリがさっき向こうで墜落したように見えたけど。」
「うそっ。まじで?」
そう言い、音無裕也は窓から身を乗り出した。
「馬鹿ね、そんなわけないでしょ。」
「びっくりさせんなよ。」
「もし本当にこれから救助が一生来ないとしたら、私たちは死ぬまでここに閉じ込められることになるわね」
「そうなったら確かに怖いなぁ。」
そういいながらも、裕也は彩の太ももを撫で始めた。
「残念ながら、ここを出られるまでそれもお預けね。」
「なんだよ、もう。」
「こういうのはムードが大切なのよ。」
裕也はそっちが誘ってきたくせにと文句を言いたげな顔で彩を見上げた。
「スマホが充電されなくなったわ。本格的に日本も崩壊し始めたようね。」
「げっ、充電し忘れてた。40%しかねぇよ。」
ことは遡るに一年と半年前。
島根県の奥出雲町で未知のウイルスが蔓延した。
感染した人は人間を襲いそして襲われた人間もまた感染。
政府は感染者を全員保護しようとしたが、
何者かが保護施設に保管されていた感染者を開放。
そして首都圏にも感染が広がった。
そこから、東京が崩壊するまでにそこまで時間はかからなかった。
渋谷区、新宿区、中野区そして彩が今いる池袋。
あっという間に感染が広まり、東京は終焉を迎えた。
「ねえ、もしほんとに救助が来ないとしたらどうする?」
「どうするって言ったってな。この数を俺たちで逃げ切れると思うか?」
「食料ももう十分にないわ。それに、体力がある今のほうが時間がたった後よりは安全だとはおもわない?」
「そうはいってもなぁ。」
裕也の判断のあいまいさには、彩も普段から不満を抱いている。
「あなたは、いつもそうね。前の女がすり寄ってきたときも、私がセックスを迫ったときも。いつになったらまともな判断ができるわけ?。まぁ、あなたがいなくても私は勝手に一人で行くけど。」
「わかったよ、わかった。外に出よう。」
彩も不安がないわけではなかった。
おびただしい数の生きている死体に、完全に崩壊したインフラ。
無策で逃げだしても見つかって襲われるのは目に見えていた。
「馬鹿みたいに走っても、あれの餌食になるだけだわ。作戦を考えましょ。」
「えっ、作戦?。」
「なによ。」
「いや、彩のことだからもう算段が付いてるんだと。」
心の中でため息をつき、彩は本題に入った。
「先ずはこのホテルを抜けない限りは話にならないわ。武器が必要ね。」
そう言い、彩は自分のカバンからナイフを取り出した。
「えっ、何それ。もしかして普段から持ち歩いているわけ?」
「もしもの時の自衛用よ。まぁ、果物用ナイフだけど。」
そういいながら、ナイフの持ち手を裕也に向けた。
「これはあなたが持ちなさい。もしもの時はこれで解決して。」
戸惑いながらも裕也は彩からナイフを受け取った。
「それで、ここを抜けたら板橋区の方面に逃げましょ。向こうならここほど混雑していないだろうし、余裕ができたら車に乗って東京を出るわよ。」
「彩もしかして運転できんの?すげー。」
「免許は持ってないわよ。ここまで来たら道路交通法も何もないでしょ。」
「でもどうやって、あの数のゾンビから逃げるわけ?」
「渋滞した車の上に載って逃げるわよ。どこまでいけるかはわからないけど。」
しばらく沈黙して、二人は目を見合わせた。
「もう出ましょう。日が出ているうちに。」
「そうだな。」
お互い余計なことは言わないほうがいいような気がした。
裕也が先頭に立ってドアの前に立った。
「俺、ここを出たらタバコやめるわ。」
「そう。」
また、沈黙が間を埋める。
裕也は深呼吸をしてドアを半分開けた。
周りを見渡し、あれがいなかったのか顔から緊張が抜ける。
ドアを完全に開け、彩も三日ぶりに部屋の外にでた。
「ここからはあれに気が付かれないためにも、なるべく声は抑えましょう。」
黙ったまま裕也もうなずく。
エレベーターの前に立ち、裕也は後ろに振り返った。
それに彩も首を縦に振った。
二人はエレベーターに乗り、ボタンを押す前に一息ついた。
「ここまでは順調ね。後は一階がどうなっているか。」
「あー、心臓がやべぇよ。こんなんもつ気しねー。」
しばらく体の正面を密着させ、お互いが生きていることを再確認した。
「そろそろ。」
意外にも、最初に声を上げたのは裕也だった。
それに彩も反応し、一階のボタンを人差し指で押した。
チーンという音が鳴りエレベーターのドアが開いた。
その時彩の目に飛び込んできたのは、10体以上のあれだった。
一瞬躊躇した後に、閉のボタンを押そうと彩が手を伸ばそうとした瞬間、
裕也が出入口めがけて全速力で走り始めた。
「ちょっ…、」
それの背中に引かれて彩も遅れて走り出す。
出入り口の前に2,3体いたが、
裕也はそれらを吹き飛ばし外に出た。
彩も裕也のおかげで簡単に外に出られた。
「車の上に飛び乗るのよ。」
彩の声を聞く前に裕也は渋滞に向かって走り出した。
近くのが反応するが、動きが緩慢で元スポーツ部の二人には追いつけない。
そのまま裕也は車に飛び乗り、後ろを向いた。
彩もボンネットに着地し少し体勢を崩したが裕也に支えられ何とか持ち直した。
そのまま二人は、板橋方面に向かってボンネットの上を走り始めた。
車がぎちぎちに配置されているおかげで簡単に大群の中を前に進めた。
10分くらいたっただろうか。
渋滞ももうすぐ終わりに差し掛かった。
「裕也、適当な車に乗って。」
「えっ、でも動くの?。」
「賭けてみるしかないわ。」
渋滞が終わり、交差点のわきに止めてあった車のドアを開けた瞬間、
「ぐあぁぁっ。」
持ち主であっただろう男が裕也に襲い掛かった。
裕也は難なくそれを投げ飛ばし、車に乗り込んだ。
「彩、早く。」
彩も助手席に乗り込んだ。
「よし、キーが刺さってる。」
そのまま裕也はエンジンをかけ、レバーを引き、アクセルを踏む。
車が前に前進するが、目の前には大量のあれがいた。
しかし、裕也はアクセルを踏み続けた。
大量のあれが、車ではじかれていく。
「ちょっと、ハンドルを動かしてかわすとか工夫してよ。」
裕也は興奮しているのか全く聞く耳を持たない。
「ちょっと、ねぇ。」
その時、やっと裕也は我に返り彩の顔を見た。
「なんだ?。」
「なんだ、じゃないわよ。もっと冷静になって。」
裕也は我に返ったのか、自分の足元に吐いてしまった。
「ここからは交代しましょ。だいぶ少なくなってきたし。」
そこから、彩は車を走らせ20分がたった。
看板にはあと5kmで川口に到着すると書かれている。
「ひと段落したようね」
そういい、彩は隣の裕也に視線を投げた。
「ねぇ、まだ気分悪いの?」
板橋に到着したあたりから裕也の体調はみるみる変わっていった。
目は充血し、顔色もだんだん蒼くなっていく。
「あぁ、車酔いかな。結構しんどい。」
しかし、お互いとっくのとうに気が付いていた。
裕也は感染しているのだ。
彩は事前にネットで観戦前の兆候を調べていたし、裕也も大普段は雑把な男だが、彩の焦ったような視線から何となく感づいていた。
「東京を出たわ。しばらくして、もっと落ち着いた場所に付いたら車を降りて、どこか拠点を探しましょ。」
その言葉を聞いた瞬間、裕也の目から大粒の涙がこぼれだした。
「ごめん、本当にごめん、彩。」
「何、泣いてるのよ。高校生なのにみっともない。」
裕也は子供のように泣きじゃくった。
「俺は…、ここで降りるよ。」
その言葉に彩は何も言い返さなかった。
車のスピードはだんだんと低下していく。
車のドアが開いた。
裕也は何も言わずに降り、そしてドアを閉めた。
車は再び走り出し、後方で立ち尽くす人影は、振動するバックミラーの中で次第に形を失っていった。
やがて道路は緩やかに曲がり、その姿は完全に視界から消える。
アクセルを踏み込む音だけが、崩壊した街に虚しく響いていた。




