食料調達へ
俺が静雪の村に着く頃にはすっかり空が明るくなっていた。
雪が降る日は外を出歩く者が少ない。
元々、住人の少ない静雪の村なら尚更だ。
俺は人を探そうと、村の中心にある鐘塔へ向かった。
鐘塔の下に村長が立っていた。
異形除けのハンドベルをくれた人だ。
村長は俺を見つけると、顔に皺を作って笑った。
「おお、ティルヴィングさん。あのあと、ヨクル様とお会い出来ましたかな?」
「ああ、お陰様で」
「それは良かった。少し待っていなされ。すぐに迎えを呼びますんで……」
「ん……?『迎え』って?」
俺は一瞬何を言われているかわからなかった。
「おや? お帰りになるんでは?」
どうやら村長は、俺が森を恐れて逃げてきたと勘違いしているらしい。
俺は手を横にぶんぶんと振って否定した。
「ち、違う違う! 逃げてきたんじゃない!」
「へ?」
「フロスティ邸に食料の備蓄がなくて、調達しに来たんです! 俺、昨日の夜から何も食べてないんですよ……」
ぐう、と返事をするように腹の虫が鳴いた。
恥ずかしさよりも呆れが勝った。
「なんと、そうでしたか。でしたら、わしの家に残り物のシチューがあるんで、食べていきますかね?」
「良いのか!?」
俺は目を輝かせた。
しかし、すぐに我に返った。
「いや、でも、悪いですよ……」
村長には貰ってばかりだ。
ハンドベルの件のお礼もまだしていない。
「空腹の中、お屋敷に戻るのも大変でしょう。うちで温まって行きなされ」
村長は微笑み、家の方向に歩き出した。
俺は逡巡したが、すぐにあとを追いかけた。
□
村長の家で頂いたシチューはとても美味しかった。
とろみのあるシチューの中には、ごろごろと大きく切られた野菜と肉がよく煮込まれており、まろやかな口当たりをしていた。
口に入れてすぐ、体がぽかぽかと温まり、満たされる感覚に目頭が熱くなった。
よく味わっていると、村長が「美味しそうに食べますなあ」と笑った。
恥ずかしかったが、食べる手が止まらなかった。
「ご馳走様でした!」
空になった器に向かって、俺は手を合わせた。
「お粗末様でした。良い食べっぷりでしたな」
村長はニコニコと笑った。
その笑顔を見ると、何処かくすぐったい気持ちになる。
俺は後頭部をかいた。
「すみません。あまりにも美味くて……。おかわりまでして」
「何の何の。若者はたくさん食べてなんぼです」
そう言いながら、村長は皿をシンクまで持っていった。
「これ、シチューのお代です。足りますか?」
俺はそう言って、数枚の紙幣を差し出した。
村長は手で押し戻した。
「お代なんて要りません」
「受け取って下さい。材料もタダじゃないんだ」
「目の前で人が腹減らしてたら食わせる、それが人情ってもんです」
「人情だけじゃ懐は寒いままでしょう」
村長はくつくつと笑った。
「確かに。じゃあ、代わりに一仕事頼めますかな?」
「任せて下さい! 俺に出来ることなら何でもしますよ!」
俺は自分の胸をどん、と叩いた。
村長は頷いて、家の外に出た。
「ヨクル様のお屋敷まで、こちらを運んで頂けますかな」
村長の家の外には、二つの木箱が乗ったそりがあった。
どちらもものがぎっしりと詰められているようだ。
「これは……?」
「食料と日用品などの物資を詰めたもんです」
フロスティ邸に食料がないと聞いた村長は、村人に準備させていたらしい。
俺がのんびりとシチューを食べている間にそんなことをしていたとは。
「これは元々俺の仕事なので、シチューのお礼にはなりませんよ」
「何を言いますか。本当はわしらでヨクル様に届けねばならんのですが、森に入れんので。お屋敷に戻るなら、届けて貰えんかと思ったんです」
「野菜と肉も入れておきました」と村長は木箱の蓋を開けてみせた。
木箱の中には食料がぎっしりと詰められていた。
ヨクルは食事をしないようだから、俺のために詰められたと言って良い。
「こんなにたくさん……ありがとうございます。これのお代は……」
「要りません。既にヨクル様から有り余るほど頂いておりますんでな」
ヨクルは慕われているようだ。
「ところで、ヨクル様は元気にしていらっしゃいましたかの?」
「俺は普段のヨクル……様を知らないから何とも言えないんですが……。朝から森の巡回に行ってましたよ」
「元気そうならええんです。ヨクル様は最近、村に顔を出してくれませんで、あの方の身に何かあったんじゃないかと心配しとったんです。ずっと、お一人で森におられますからな」
「様子を見に行ったりしないんですか?」
「わしらは森が怖くて入れんのです。ヨクル様のように異形を退ける力も、異変に対する知識もありませんでな」
異形除けのハンドベルも万能という訳ではない。
異形を一瞬怯ませるだけだ。
その一瞬の隙に倒さなければならない。
武術に精通してなければ難しいだろう。
「ヨクル様に伝えてくれますかな。『また元気なお顔を見せて下さい』と」
それは切実な頼みのように聞こえた。
「……わかりました。伝えておきます」
俺がそういうと、村長は笑顔でお礼を言った。
□
俺は木箱を乗せたそりを引きながら、フロスティ邸へと戻った。
「ただいま! ヨクル、帰ってるか?」
ドアを開け、屋敷中に響き渡るように叫んだ。
すると、奥の方からヨクルが顔を出した。
「ティリルさん……? 戻ってきたんですか?」
ヨクルが驚いたように言った。
「巡回を終えて戻ってきたらいなかったので、てっきり都に帰られたのかと」
「何でみんな、俺が帰ると思ってるんだ……」
村長もヨクルも。そんなに俺が不誠実に見えるのだろうか。
「空腹に耐えきれなくなって、先に村に行ってたんだよ。書き置きしておいただろ?」
俺はそう言いながら、積荷を屋敷の中に運んだ。
「確かに書き置きはありましたが……。一人で村に行って、帰ってこれるなんて……」
「村長さんにシチューをご馳走になって……物資も貰ってきた!」
「ほら!」と二つの木箱を見せた。
「ああ……。ホヴズさんが用意して下さったんですね。あとでお礼をしなければ」
「え?『お代は頂いてる』って言ってたけど……」
「何も差し上げていませんよ」
「え」
「村人達は僕が村に行く度、あれもどうぞ、これもどうぞ、とものを持たせてくるんですよ」
「ええ!? 嘘だったのか!?」
「彼らが言うには、『お代は貰い過ぎているくらいだ』だそうで。困ったものです」
ヨクルは肩を下げ、俯いた。
「出来るだけ、貸し借りはしたくないんです。僕には僕の生活があり、彼らには彼らの生活があるのですから。僕は借りを返せないことがあまりにも多い……」
ヨクルは悲しそうに言った。
借りを返す前に、亡くなった人がいるのだろう。
雪と異形の国ではそれが日常だ。
「じゃあ、一つ伝言だ。『また元気なお顔を見せて下さい』だとさ」
「僕の顔を見せて、いくらになると言うんです? 精々、かぼちゃ一つ分──中身がないので、一つ分にも満たないと思いますが」
「値段じゃないんだよ。そういうのは」
そう言って笑うと、ヨクルは俺の顔を見て固まった。
「どうした? 黙り込んで」
「いえ……それは理解出来ているんだな、と」
「馬鹿にしてるのか?」
俺は眉根を寄せて、不快感を表した。
「すみません。そういった好意には疎い方なのだと思っていましたから」
「ヨクルが村人に好かれてるってのは俺にもわかるさ。だから、たくさん物資をくれるし、心配もする」
「僕が好かれているというのは、些か疑問ですが……そうですね。近いうちに、顔を出すとしましょう」
俺はぱっと顔に明るくさせた。
「今日は少し休みます。新しい人が来たからか、異形の動きが活発で」
「ああ、夜も二回鐘が鳴ったんだったな。ゆっくり休んでくれ」
「ティリルさんもお疲れ様でした」
──ゴーン、ゴーン。
そのとき、異形を知らせる鐘が鳴った。
「休むのはまたあとで、ですね」
「……そうみたいだな」
俺とヨクルは屋敷の外へ向かった。
結局、ちゃんと休めたのは日が落ちてからだった。




