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ヨクルと奇妙な森  作者: フオツグ
第一話

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6/11

冷たい人

 マグカップ越しにホットミルクの温かさが手に伝わる。

 ぼんやりと白いミルクを見つめていると、自分の中の真っ白な部分を思い浮かべてしまう。


「俺は、自分が何者なのかずっと考えている……」


 寒さで震えていた唇が勝手に動いていた。


「俺にはある地点から以前の記憶がない。子供の頃、異形に襲われてから。名前、家族、故郷……俺は全て失ってしまった。気づいたら、銀竜騎士団に助けられてた。異形に襲われてたってのも、そのとき初めて知ったんだ」


「変な話でしょう?」と俺は笑いながらヨクルを見た。

 ヨクルはじっと俺を見下ろしていた。

 どんな表情をしているか、被り物越しにははわからなかった。


「瘴気に晒され続けた人間は、記憶が混濁することがあります。残念ですが、失われた記憶が戻ることはないでしょう」

「医者にもそう言われたな」


 俺は失笑して、話を続けた。


「俺を憐れんだ一人の騎士──俺の師匠が養育者になった。『ティルヴィング』という新しい名前をくれて、剣術と文字の読み書きを教えてくれた」

「優しい御仁ですね」

「ああ。本当に優しい人だった……」


 俺はかぶりを振った。


「でも、俺に優しくされる資格はない。騎士団は俺の家族を探してくれたけど見つからなかった。それに、どこか安心したんだ……」


 覚えてない家族と会うのが気まずかったから、とか。師匠と離れることが嫌だったから、とか。そんな理由では説明してはいけない気がした。

 家族はいなくなった自分を心配してるだろうし、騎士団の人は寝る間も惜しんで探してくれた。

 みんな、俺のために必死だったのに、当の俺は、他人事だった。


「親から貰った大事な名前を忘れ、育ててくれた親を忘れ、帰る家を忘れ……。俺はいずれ、貴方のことも忘れるんだろうな。……俺は冷たい人間だ」


 目元が熱くなる。

 俺は手の甲を目に当てた。

 ひんやりとしていた。


「俺は優しい人間になりたい」


 助けを求めている人の手を取りたい。

 銀竜騎士団のように。師匠のように。

 師匠には騎士団入りを反対されたけど、俺は押し切った。

 それが優しい人間になれる近道だと思ったから。

 ……そう思った時点で、俺は何処までも薄情な人間だって感じた。


「……森の雪達が貴方を好く理由がわかりました」

「……?」

「凍りついた記憶、寒さに震える心、純粋で無垢で、貴方はまるで真っ白な雪のよう……」

「茶化してるのか」


 俺はむっとした。


「そんなつもりはなかったのですが」


 ヨクルはくすりと笑った。


「冷たい心を放っておくと凍えてしまうものです。貴方のそばには温かい方達がいたんですね。彼らに罪悪感を抱く必要はありません。いずれわかるでしょう。優しさの理由を」

「……訳がわからない」


 もっとわかりやすく言ってくれないと困る、と俺は眉を下げた。


「今言えることは……そうですね。雪達は冷たい人間が好きとだけ」


 ますますわからなくなった。

 彼なりの励ましなのだろうか。


「じゃあ、森に住んでいるあんたも冷たい人間なのか?」


 俺は冗談まじりに言った。

 ヨクルは「いいえ」と低い声で言い、俺に背を向けた。銀糸の髪が揺れた。


「僕は裏切り者です」


 自戒の念を含んだその声に俺は黙り込んだ。


「……朝日が昇ったら、森を出て行くことをお勧めします」


 ヨクルは部屋を出て行こうと、ドアの方に向かった。


「フロスティ辺境伯、俺はここを出ていくつもりはありませんよ。貴方がどれだけこの森を危険だと言おうが」

「……物好きな方だ。ここには木々と、雪と、異形しかありません。変わり映えのしない風景に飽きることは、何も恥ではありません。いつでも、森を出て行って構いません」


 追い出しはしないようだ。

 俺は口元が綻んだ。


「感謝します、フロスティ辺境伯」

「ティルヴィングさん、僕のことはどうぞ、『ヨクル』とお呼び下さい。毎回、そう呼ぶのは大変でしょう」

「え? しかし……」


 ヨクルは俺の主君だ。

 ファーストネームで呼ぶのは躊躇われる。


「異形を前に、毎回その呼び名で呼ぶおつもりで?」


 ヨクルは悪戯っぽく言った。


「敬語も必要ありません。ティルヴィングさんはどうやら、敬語が苦手なようですから」

「う……バレてましたか」

「結構、敬語を忘れていましたよ。瘴気を浴びて、正常ではなかったのもあるでしょう」

「昔から気を抜くとすぐに敬語を忘れてしまって……」


 俺は照れ臭くささを誤魔化すように咳払いをした。


「では、お言葉に甘えて──よろしく、ヨクル!」


 ヨクルは驚いたようにかぼちゃ頭を揺らした。


「あ、あれ? 俺、何か間違えたか?」

「今までの方達は敬称をつけたので……」

「あ……!」


 俺はしまった、と思った。

 師匠に「額面通りに受け取るな。お前は素直過ぎる」と師匠に言われたのをすっかり忘れてた。

 普通の人は自分に敬称をつけて呼べ、などとは言わない。

「ヨクルと呼ぶように」の正しい回答は、「ヨクル様」だった。

 俺は記憶どころか、常識まで落としてしまっていたらしい……。


「す、すみません……」

「いえ、驚いただけですので、お気になさらず。どうぞ、『ヨクル』と。僕もそちらの呼び方の方が好ましいです」

「……本当に?」


 俺はヨクルの顔をうかがった。

 かぼちゃのせいで、表情は見えない。


「ええ。親しい仲のようで」

「それなら、俺のことも『ティリル』と呼んでくれ。みんなからそう呼ばれているんだ」

「では、『ティリルさん』とお呼びしましょう。……ふふ。まるで、友人のようですね」

「友人なら、お互い敬語もなしでも良いな!」

「それは遠慮します。僕はこの話し方が口に馴染んでますから」

「そ、そうか……」


 主君が敬語で、騎士が砕けた口調だなんて、あべこべではないか。

 だが、楽しそうに声を弾ませるヨクルを見て、嘘はないのだろうと感じた。


「懐かしい……。初めて会った騎士団長さんもフレンドリーなお方でした」

「グラム騎士団長の前の?」

「どうでしょう……。僕は騎士団の内情をあまり知らないので。もっと前かもしれません」

「前か……。そういえば、フロスティ家は銀竜騎士団と古い縁があるって聞いたな。一体、どんな縁なんだ?」


 俺は何となく聞いた。

 すると、ヨクルは少しだけ俯いた。


「迷われたんですよ、この森で」

「……それだけ?」

「縁というのはそういうものでしょう? 袖が触れ合って深い縁が出来ることもあります。貴方とのこの奇妙な縁も……遠い未来の何処かで繋がるのでしょうね」


 ヨクルはそっと俺の肩を押して、ベッドに寝かせた。

 俺の体がベッドに沈む感覚がする。


「まだ夜は深いですから、お休みなさい、ティリルさん──僕の新しい友人」


 手袋越しの冷たい手が俺の額を撫でる。

 俺は自然と瞼を閉じた。

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