銀鐘の魔術師
助けを求める声が聞こえ続けている。
俺はそれを聞かないふりをした。
視界の端に親子の姿が見えたが、それも無視をした。
ただ、一心にヨクルの足跡を追い続けた。
紫色の霧の先、かぼちゃ頭が見えた。
ヨクルだ。
俺がホッとしたのも束の間、ヨクルに襲いかかる異形の姿が見えた。
これは幻影じゃない。
俺は腰に提げていた剣を掴み、雪を蹴って、異形の前に飛び出した。
剣を横に薙ぎ、異形を斬った。
異形が断末魔を上げて、黒い塵となって、空中で消えた。
「フロスティ辺境伯、無事か!?」
俺は振り返って、ヨクルに問いかけた。
ヨクルは驚いたようにかぼちゃの被り物を揺らした。
「ティルヴィングさん……? 霧に惑わされていたはずでは……」
「話は後だ。まずは、異形を倒さないと……」
俺は視線を前に向けた。
異形が立ち上がるように地面から生えてくる。
濃い紫色の肌をした、顔のない人型生物。表面はゆらゆらとうねり、何人もの息遣いのような声が聞こえてくる。
いつ見ても、おぞましい。
「……ええ、そうですね」
ヨクルはランプの杖を積雪に差し、自身の剣を抜いた。汚れ一つない、綺麗な銀色の剣だった。
「直ぐに殲滅しましょう」
剣を構えたと思った瞬間、ヨクルの姿が消えた。
ぎゃ、と横で異形の短い悲鳴が聞こえた。
ヨクルはいつの間にか異形に迫り、三体の異形の体を真っ二つにしていた。
俺はごくりと息を呑んだ。
流石、一人で異形と戦ってきた剣士だ。その強さは俺とは比べ物にならない。
俺も遅れを取るわけにはいかないと、剣を握り直して、異形の群れに向かっていった。
一体、二体、と倒してくが、霧の向こうから次々と異形が現れる。
息を整えようと、手を止めたとき、異形の影が俺の背に迫った。
まずい──そう思った時、ベルの音が響いた。
すると、異形は苦しそうな呻き声を上げた。
俺はその隙に、異形の腹へ剣を差し込んだ。
音のする方を見ると、ヨクルがシップスベルを鳴らしていた。
「異形除けのベル──」
そのおかげで、異形が怯んだのか。
俺は村長から貰ったハンドベルのことを思い出した。
確か、ポケットに入れてそのままにしていたはず。
俺はハンドベルを取り出し、上下に振った。
からんからん、と軽い音が鳴ると、異形達の足がぴたりと止まった。
今だ。
俺とヨクルは示し合わせたかのように、異形を斬り伏せた。
「良い剣筋ですね、ティルヴィングさん」
「あんたほどじゃないさ。なあ、その被り物をしてると周りがよく見えないんじゃないか?」
「これは人と良好な関係を築くために必要なものでして」
再び、異形の雄叫びが上がり、妖霧の中から異形が現れる。
「くっ……! これじゃキリがない!」
「ティルヴィングさん、ランプの元へ避難していて下さい」
「あんた、何をする気だ」
「一掃します」
強い意志が感じられる声だった。
俺はヨクルの言葉を信じて、ランプの近くに移動した。
異形達はヨクルに集まっていく。
大丈夫なのだろうか。
焦る俺に対して、ヨクルは非常に落ち着いていた。
シップスベルを目の前に出し、目を閉じた。
「『我が愛しき雪達よ、我に力を分け与えたまえ。銀鐘のヨクルの名において命じる』……」
雪の上に、じわじわと氷の結晶のような紋様が浮かび上がった。
「──凍結せよ」
ヨクルがシップスベルを揺らすと、一帯にベルの音が鳴り響いた。
次の瞬間、氷柱が地面から針山のように出現し、異形の体を突き刺していく。
俺は瞬きを忘れてしまっていた。
これは……魔術だ。
「彷徨い続ける戦士達よ、雪解けにはまだ早いだろう。眠っていたまえ」
異形が黒い塵となって空中に消えていく。
最後の一体が消えると、徐々に霧が晴れていった。
「妖霧が晴れましたね。もう大丈夫でしょう」
ヨクルは、ふう、と息を吐くと、剣を鞘の中に収めた。
俺は剣を握ったまま、ヨクルを見つめて言った。
「あんた……魔術師だったのか……」
「ええ。お見せするつもりはなかったのですが……」
ヨクルは戦いでずれたかぼちゃ頭の位置を両手で調節した。
魔術師の存在は聞いたことがある。
呪文や儀式などによって、超常的な力を発動出来る者達のことだ。
魔術の才がある者はごく僅かで、国で保護されているのだとか。
魔術の鍛錬をしたのち、階段飛びで宮廷に仕えることとなる。
その希少性から魔術師は滅多に表舞台に顔を出さない。
そんな魔術師がこんな辺境の地にいるなんて……。
ヨクルは俺の視線に気づいたようで、こちらを向いた。
「魔術は恐ろしいですか?」
「まさか!」
俺は首を横に振った。
「魔術なんて初めて見た! あんなに簡単に異形を倒すなんて……あんた、最高だ!」
興奮が抑えられず、ヨクルの肩を掴んだ。
「はて」とヨクルが首を傾げると、かぼちゃの被り物もことりと動いた。
「都にも魔術師がいるはずでは?」
「魔術を使える人が一握りなように、間近で見られる人も一握りだ」
正直、目覚ましい成果も聞こえてこないから、存在自体が怪しいと思っていた。
「だが、俺は今この目でいると確信した! 魔術師は実在すると!」
「……お褒め頂き、光栄です」
ヨクルはやんわりと俺の手を退け、少しだけ距離をとった。
興奮して唾を飛ばしてしまったのかもしれない。
俺は「すまない」と謝ったが、どうしても高鳴る胸を抑えられなかった。
「あんたは英雄になれる……。なあ、都に行く気はないか? そこにはあんたの力を必要としている人達がたくさんいる!」
「……申し訳ありませんが、僕はこの森から離れるつもりはありません」
「何故だ? 宮廷魔術師になったら、富も名誉も手に入れられるんだぞ?」
「どちらにも興味がありません」
ヨクルは俺に背を向け、空から落ちてくる雪を見上げた。
「僕はこの森での生活が気に入っているのです。一面に広がる雪達、森の静けさ、凍えるような寒さ……どれも僕の心を満たしてくれるものです」
かぼちゃ頭に静かに降り積もる雪。
ヨクルの白い服装も相まって、雪に溶け込んで見えた。
切っても切り離せない何かが、ヨクルと森にあるのかもしれない。
「そうか……。なら、無理にとは言えないが……。勿体無い。こんなところにいても、宝の持ち腐れだろうに」
「僕の力はこの森の雪達を守るために使うと決めています」
「さて」とヨクルは俺に向き直った。
「僕は魔術が使えます。しかし、それを国のためには使いません。ティルヴィングさんは僕を危険分子だと思いますか?」
その物言いは、俺がヨクルに疑いを向けていたことを知っているかのようだった。
俺は笑ってしまった。
もうとっくに、答えは出ていたからだ。
「いいや、全く思わない。あんたは悪い奴じゃない」
俺はハンドベルを鳴らして見せた。
ヨクルはそれを見て首を傾げた。
その仕草が何だか子供のようで、また笑ってしまった。
「そのハンドベルは……」
「村の爺さんから貰ったんだ。異形除けのお守りだと」
「ああ、ホヴズさんですか。なるほど」
俺はハンドベルを見つめた。
「異形除けのベルなんて、最初はうさんくさいと思ってたんだが……。ちゃんと異形を退けた。あんたは本物の森の守り神だ」
「守り神などと。僕はそんな大それたものではありませんよ」
ヨクルは自嘲気味に笑った。
「ティルヴィングさんは……不思議な方ですね。森の雪達に好かれているようです」
「そうか?」
「ええ。僕の元に来ることが出来たのも、雪達が導いたからでしょう。まあ、ただの気紛れかもしれませんが」
「認められたなら、それは光栄なことだな……」
突然、ヨクルのかぼちゃ頭がぼやけ始めた。
おかしいな、と俺は頭を振った。
すると、頭が思った以上に大きく揺れた。
「ん……? あれ……?」
「ティルヴィングさん? どうしましたか?」
ぐるりと世界が一回転したかと思うと、俺は意識は途切れた。




