恐ろしい雪の怪物《ザーネン視点》
ティルヴィングが森の中に狼の少年を追いかけていった。
突然のことで、残された俺と部下のキャラバンメンバー達は呆然と二人の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
俺はハッとして、二人が消えていった先を指差した。
「にっ、逃すな! てめえらも追え!」
「えっ……」
「早くしろ!」
俺は部下達を急き立てた。
部下達の体はロープで繋がれて、直ぐには駆け出せなかった。彼らは手でロープを解こうとしている。
俺は鈍間な部下達に舌打ちをする。
「剣でロープを切れ! 追いかけろ! あれを捕まえるのにいくら金を積んだと思ってる!? くそ……変な森を抜ければ、足がつかないと思ったのに……!」
部下達はロープを剣で断ち切ろうとした。しかし、それも上手くいかず、まごまごとしている。
その姿を見て、俺はますます腹が立った。
「やめておいた方がよろしいかと。僕から離れたら、雪に惑わされ、二度と森から出られなくなりますよ」
ヨクル・フロスティ辺境伯は落ち着いた口調で彼らを制止した。
「じゃあ、あの騎士はどうなる!?」
「ティリルさんは……残念ですが、もう会えないかもしれませんね」
「そんな、嘘だろ!?」と部下達は顔を青くさせた。
「僕の案内がなければ、森で迷うのは当然のこと。彼が森に来たのは最近ですから、一人で森を抜けることは出来ないでしょう。貴方がたも彼のように、森の一部になりたいのであれば、止めませんが」
それを聞いて、部下達は手を止め、顔を見合わせる。追いかけるか迷っているようだ。
「おい、どうした。早く追いかけろって!」
俺は尚も追いかけるよう命じた。しかし、部下達は動かない。
「どうして追いかけない!? 金を払ってやっただろう! 俺の命令が聞けないってのか!」
「ザーネンさん、流石に割に合わないっすよ。金払ったっつっても、たった数枚じゃないですか。それっぽっちで命張れる訳ないでしょ……」
「お前ら……!」
やはり、適当に見繕った人間達を雇うんじゃなかった……!
部下達は金で雇った臨時の仲間だ。盗みや恐喝でちまちま稼ぐような小物達に俺が声をかけた。そんな奴らを使うと安く済む。少ない金に喜び、危険な旅についてきた。
今まで俺の言うことを素直に聞いてきた奴らだったが、死に直面するとなると話は別だ。結局、犯罪者は我が身が一番可愛いものだ。
フロスティ辺境伯は俺達に背を向けた。
「それでは、出発しましょう。月追い狼の子がいなくなったことで、異変はなくなりましたから」
「え……」
キャラバンメンバーは目で人数を数えた。俺含めて七人──正しい人数になっている。
「今日中に霜降り町の到着しますよ。僕についてきて下さい」
「ま、待て! あの異形のガキを追うんだ! お、俺は雇い主だぞ! 俺に従え! フロスティ辺境伯!」
「ええ。僕は貴方がたを無事に送り届ける義務があります。その中に、あの月追い狼の子は含まれていません」
「な……」
「言ったでしょう。『荷物紛失の補償は出来ない』と」
「そんな……! くそっ!」
俺は足元の雪を殴った。
「迷われたいなら、どうぞご自由に。異形が出現し、異変が起きる、この森で」
異形のガキを追わない部下達。反対方向に歩き出す辺境伯。俺は異形のガキを諦めるしかなかった。
□
俺達は黙ってフロスティ辺境伯の後に続いた。
暫く歩くと、霜降り町が見えてきた。はね橋の前で俺たちは立ち止まる。
「到着しました。あの橋を越えたら、霜降り町です。今はね橋を下ろしますね」
フロスティ辺境伯がベルを鳴らすと、はね橋がゆっくりと降りた。
橋が完全にかかったとき、部下達が剣を抜いた。
「……おや、皆さんどうされたんです? 町は目と鼻の先です。もう異形に怯えなくても良いのですよ」
「フロスティ辺境伯、あんたのせいで俺達は大事な商品を失った」
俺は荷物の中に隠していた猟銃を手に取った。そして、フロスティ辺境伯に銃口を向けた。
「なら、その特別な力があるベルだけでも渡して貰おう……!」
この猟銃は異形のガキを捕まえるために買ったものだ。異形に効く弾丸が込められている。勿論、人間も貫ける。弾丸はただではないが、あのベルが手に入るなら安いものだ。
フロスティ辺境伯の魔術には長い詠唱が必要だ。詠唱の前に撃ってしまえば、彼から簡単にベルを奪える。
俺はフロスティ辺境伯の胴体を狙って引き金を引いた。銃声が森にこだまする。
着弾する直前、弾丸が徐々にスピードを落とし、フロスティ辺境伯の目の前で完全に止まった。俺達は目を疑った。
フロスティ辺境伯は徐に弾丸を掴み、まじまじと観察した。
「銀の弾丸……なるほど、月追い狼を捕えられたのはこれがあったからですか」
フロスティ辺境伯は弾丸を握り締めた。
「銀とは僕そのもの。僕を害せるはずもありません」
彼が手を開くと、弾丸は跡形もなく消えていた。
「う、うおおおおおおっ!」
俺達は雄叫びをあげ、一斉にフロスティ辺境伯に襲いかかった。
フロスティ辺境伯は呆れて息をつき──ベルを胸の前に突き出した。
「──凍結せよ」
鐘の音が響き渡る。
すると、地面から氷が現れ、俺達の足を一瞬で覆った。
「なっ……!」
氷が、膝、腰、胸まで氷が広がっていく。
『痴れ者め』
耳にではなく、頭に直接声が届く。フロスティ辺境伯のものではない。
『銀鐘様に触れようなどと』
『おこがましいにも程がある』
『人間如きが』
『なんと浅ましい人の欲か』
『氷漬けにしてやろう』
『しからば、害心も凍りつくであろう』
『溶けぬ氷の中で猛省するがいい』
男の声、女の声、子供の声、老人の声……様々な声が次々に聞こえてくる。
これは森の声だ、と俺達は即座に理解した。
吹雪が吹き荒れ、指先から体温が奪われていく。恐怖で奥歯ががちがちと鳴った。このままでは凍死してしまう。
フロスティ辺境伯は冷たい視線で俺達を見下ろしていた。
「ここはまだ、森の雪達の領域。凍え死にたくなければ、今すぐ立ち去りなさい。そして、二度と、奇妙な森に近づきませんよう」
「ひ、ひい……!」
逃げようと体を捻れば、体を覆っていた氷が簡単に砕け、俺達を自由にした。俺達は一目散に霜降り町へと走った。
俺達がはね橋を渡り終えたのを見届けると、フロスティ辺境伯はもう一度ベルを鳴らした。
はね橋が上がっていき、フロスティ辺境伯の姿が見えなくなっていく。
完全に見えなくなる瞬間、彼は白い雪となって消えたように見えた。
雪の怪人──。
俺達はそれに目をつけられた。
次に会ったら、命はないだろう。




