一日目・リングワンダリング
俺達は静雪の村を出発し、奇妙な森へと入った。
キャラバンととそり犬の歩幅に合わせているのか、ヨクルの歩みは普段よりゆっくりだった。
確かにこのスピードでは霜降り町に到着するまで時間がかかるだろう。
いくら歩いても、木と雪だけの変わらない風景。森を知る俺とヨクルはいつも通りだと流した。
しかし、初めてこの森を歩く商人達は違った。
「へ、辺境伯様! さっきから同じところをぐるぐる回ってませんか!?」
若い商人が声を荒げた。名前はアンゴラと言っただろうか。彼は不安と焦燥感からか、青い顔をしていた。
「心配いりません。予定通り、森を進んでいますよ」
「嘘をつけ! 俺は迷ってると思って、木に目印をつけておいたんだ。……ほら、この傷!」
アンゴラは一本の木を指差した。そこにはナイフでつけたような傷があった。
「これが、同じところにぐるぐる回ってることの証明だ!」
「──森の木に傷をつけたんですか?」
ヨクルの冷たい声に、その場の空気が凍りついた。
「勝手をされては困りますね」
「な、何が言いたいんだ」
「異変は自然に発生するものと、何か要因があって発生するものがあります」
これまた初めて聞く話だ。俺は屋敷に戻ったらメモしようとヨクルの話に耳を傾けた。
「この異変は、『自分が同じところをぐるぐると回っているのではないか』と疑い、木に目印をつけることで発生するのです。目印をつけたが最後、永遠に同じ道に閉じ込められることとなります」
「そんな訳あるか!」
アンゴラは鼻息を荒くして怒鳴った。
「あんたさっき、『予定通り、森を進んでる』って言ってたよな!? 俺が木に傷をつけて、暫く進んだあとに!」
「異変は感覚を狂わせます。それは、僕自身も例外ではありません。貴方が森の木に傷をつけたと知っていたら、返答は変わっていましたよ」
「信じられるか……! あんた、うさんくさいんだよ! こんな辺鄙なところに住んで、顔も隠して、一体何を企んでる!?」
「僕は何も企んでなどいませんよ」
ヨクルは極めて冷静に答えた。
「このっ……!」
アンゴラはヨクルに掴み掛かろうと手を伸ばした。
「まあまあ、一旦落ち着け」
俺は見兼ねてアンゴラの肩を掴んで止めた。アンゴラは体を捻り、俺の手を振り払った。
「触るな! お前もこいつの仲間なんだろう!?」
この様子では何を言っても信じてくれなさそうだ。
俺はヨクルに目を向けた。
「ヨクル、何とかなるんだろう?」
森に閉じ込められたにしては、ヨクルが非常に落ち着いているように見えた。おそらく、彼はこの異変から抜け出す方法を知っている。
ヨクルはフッと笑い声を溢す。
「ええ。そのために僕がいます」
ヨクルは傷がついた木に歩み寄り、傷にそっと手を当てた。
「眠りを妨げて申し訳なかった。安心して眠りたまえ」
小声でそう呟いたあと、木から手を離した。
「ここにいて下さい」と俺達に言い、ヨクルは少し離れたところで立った。シップスベルを掴み、目の前に構える。
「森の雪達よ、森をあるべき姿に戻したまえ」
ヨクルの周辺の積雪に、氷の結晶のような魔法陣が浮かび上がった。
「な、なんだこれ……!?」と商人達は驚き、地面を見渡した。
「我々を正しき道へと導きたまえ──鳴鐘」
ヨクルのベルの音が響き渡った。
ぱりん、と上から割れるような音がした。見上げると、空がひび割れ、破片が雪となって俺達に降り注ぐ。
「ふう。これで先に進めるはずです。もう森の木を傷つけてはなりませんよ。この森の木は雪達にとって特別な意味を持つものですから」
「特別な意味って?」
「この森の木々は……雪達の墓標です」
「え……」
木々が騒めいたような気がした。まるで、肯定するかのようだった。
「雪って……死ぬのか?」
俺は素っ頓狂な声で聞いた。
「雪は溶けるものでしょう。雪が溶けた時、雪達は地上を舞い、雪花を芽吹かせます。ここでは、多くの雪達が溶けました……」
ヨクルは悼むように言った。
「森にある木、一つ一つには多くの雪達が眠っています。ですから、安易に傷つけてはなりませんよ」
俺は「わかった」と頷いた。キャラバンの人達は理解してくれただろうかと、俺はアンゴラ達に目を向けた。彼らはぽかんと口を開けて、ヨクルを見つめていた。
「フロスティ辺境伯……貴方、魔術師なんですか?」
ザーネンの声は震えていた。未知なる力への恐怖か、それとも畏敬か。
「そのようなものです。異変が起こる森に住んでいるのですよ。それくらい出来ても不思議ではないでしょう?」
「……いえ、すみません。驚いたんです。魔術師ってのは、城にしかいないもんだと思ってましたから。流石、辺境伯様ですね!」
ザーネンは爽やかな笑顔を貼り付ける。
「先程はうちのもんが失礼しました。何分、若いもんで。あとできつく言っておきますんで……。今後ともよろしくお願いします、辺境伯様」
へへ、と笑い、ザーネンはあからさまにごまをすった。ヨクルに掴みかかるアンゴラを止めもしなかった癖に、よく言う。
ヨクルの魔術が自分の利になると判断したのだろう。都合の良い奴だ。
「ええ、勿論。無事、森の外までお連れしますよ。それが僕の役目ですから」
ヨクルの返答に、ザーネンは笑顔を引き攣らせた。
森の外でも仲良くしようと含みを持たせたのだろうが、ヨクルには伝わらなかったようだ。俺はざまあみろ、と思った。
□
日が落ちた頃、俺達は立ち止まり、テントを張って、野宿の準備をした。
厚い薪を並べて焚き火台を作り、ヨクルが魔術で着火した。青白い炎にキャラバンのみんなは驚いていた。
「皆さん、明日に備えて眠っていて下さい。僕達が火の番をしますので」
「では、お言葉に甘えて」と商人達はテントの中で眠った。
俺とヨクルは青白い焚き火を囲む。
「見張りは交代でするか?」
「皆さんがいる手前、ああ言いましたが、僕は眠らずとも問題ありません。ティリルさんもテントの中でお休み下さい」
「そういう訳にもいかない。俺も仕事だ──」
ガコン、と荷物の方から音がした。
「この音……」
「し……。お静かに。皆さんが起きてしまいます」
ヨクルは口元に指を当て、荷物に目を向けた。
「……どうやら、もう一人……客人がいるようですね」




