奇妙な森への左遷通告
ここは、雪と風、そして異形に愛される国。
人々が暮らす雪の下には、異形が湧き出る穴が存在する。
異形は禍々しい瘴気を纏い、人々の心身を蝕んだ。
人々は奴らに怯えて暮らしていた──あの竜が現れるまでは。
突如として、銀色に輝く竜が空に現れた。
銀竜は天へと昇り、大雪を降らせて、異形の湧き穴を覆った。
異形の襲撃は大幅に減り、人々は銀竜を讃えた。
だが、異形の脅威が完全に消えた訳ではない。
奴らは度々、雪の下から這い出ては、人を襲った。
そこで立ち上がったのが、【銀竜騎士団】である。
彼らは世界を救った伝説の銀竜のエンブレムを身につけ、日夜、異形と戦っている。
□
俺──ティルヴィング・イアリは今、その銀竜騎士団に籍を置いている。
「ティルヴィング・イアリ、お前には奇妙な森へ行って貰う」
騎士団長室に呼び出された俺は、銀竜騎士団団長グラム・ヴェイグに開口一番にそう言われた。
「奇妙な森……とは?」
聞き覚えのない言葉に俺は首を傾げた。
「聞いたことはないか? 異形が頻繁に出現し、数々の異変が起こる、辺境の森の噂を」
「……いえ」
俺は首を横に振った。
グラム騎士団長は地図の北端、静雪の村と霜降り町の間にある地点を指し示した。
地名すら書かれていないその空白地帯を、現地では『奇妙な森』と呼んでいるという。
「現在、奇妙な森では、ヨクル・フロスティ辺境伯が一人で異形の殲滅に当たっている」
「辺境伯が自ら……?」
「あの森はかなり特殊でな……。彼がいなければ、森を歩くことすらままならないのだ。『辺境伯』というのも名ばかりで、軍隊はおろか家臣の一人もいない。ただ、森を通行するのには辺境伯の許可がいる──それだけのための『辺境伯』だ」
グラム騎士団長は目を伏せた。
「フロスティ辺境伯は優秀だ。一人で異形を抑え込めている。だが、一人では手の届かないところもあるだろう。お前にはフロスティ辺境伯の補佐を命じる」
俺は地図に目を落とした。
地名も何もない場所で一人、戦っている人がいる。
それは立派なことだ。
だが、国からの支援がないということは、国にとってそこは〝どうなっても構わない場所〟だということ。
俺は拳を握り締める。
「……何故、俺が辺境伯の補佐を?」
「銀竜騎士団とフロスティ家には古い縁があってな。お前のような若い騎士を送り、鍛えて貰うのが、一種の通例となっている」
そんなもの、建前に決まっている。──これは左遷だ。
俺はたくさんの人々を異形から守るために剣を取った。辺境の森で、人知れず異形と戦うためじゃない。
「……納得がいかない、という顔だな」
心を読まれて、俺は動揺して体を揺らした。
「先日の作戦……お前は分隊長の指示に従わなかったそうだな」
「それは……助けを求めている住民がいたので救助を……」
あのとき……。
目の前に、瓦礫の下敷きになっていた女性と、泣きながら母親を助けようとする少年がいた。
「放っておけ」と分隊長は言った。「今は異形を倒すことが最優先だ」とも。
わかってはいたが、俺はその親子を見捨てることが出来なかった。
「我々の使命は何だ」
グラム騎士団長は静かな声で言った。
「……異形の殲滅です」
「そうだ。あのとき、異形を殲滅することが最優先だった。今回はたまたま、死亡者なしで異形を倒せただけに過ぎない。一歩間違えれば、その親子だけでなく、大勢の住民や騎士が犠牲になる可能性もあった」
俺は何も言い返せなかった。
「お前の正義感は立派だ。だが、お前の勝手な行動で、人々が危険に晒されたことは事実。上の指示に従わず、私情を優先する者は、いずれ取り返しのつかない過ちを犯す」
「経験則ですか?」
グラム騎士団長はフッと笑った。
「いいや、確かな経験だ」
グラム騎士団長は立ち上がり、後ろで手を組んで、窓の外を眺めた。
雪が太陽の光を反射し、眩い光が視界を刺した。
「奇妙な森では数々の異変が起こる。命が惜しければ、フロスティ辺境伯の指示に従うことだ。それが、お前の信念にそぐわないことであってもな」
グラム騎士団長は遠くを眺めた。
「彼は森の恐ろしさをよく知っている……」
彼は地図の端にある森に、恐れと不安を抱いているように見えた。
一体、そこには何があるのだろう。
□
俺は静雪の村に辿り着いた。
奇妙な森に入るには、そこを通り抜ける必要があった。
地名の通り、静雪の村には静かに雪が降り積もっていた。
子供達は鼻と頬を赤くしながら、雪玉を投げ合っている。
異形が湧き出る森と面している村にしては平穏だ。
「ティルヴィングさんや、本当に一人で奇妙な森に入るつもりかね」
村の老人が俺に声をかけてきた。
彼は昔、銀竜騎士団の騎士だったらしい。
今は静雪の村の村長をしているという。
俺は村長の質問に「はい」と答えた。
「奇妙な森を甘く見ちゃいけん。ここで待っておれば、ヨクル様が迎えに来て下さると思いますがな」
「俺一人のためだけに、お忙しい辺境伯の手を煩わせる訳にはいきません」
「そうですか……。どうしてもというなら、これを持っていきなされ」
村長は銀色のハンドベルを俺に手渡した。チリ、と軽い音が鳴った。
「これは、ハンドベルですか?」
「ここ静雪の村では、銀色のベルには異形除けの効果があると言われとりしてな。村にある鐘塔もその一つなんですじゃ」
「異形除け……」
どうやら、奇妙な森に異形の湧き穴があるのは事実のようだ。
「森の中で迷った時は、このハンドベルを鳴らしなされ。きっとヨクル様も音を聞きつけて来て下さるじゃろう」
「辺境伯はかなり耳が良いらしい」
俺は鼻で笑った。
ベルを鳴らせば駆けつけるなど、まるで英雄のようではないか。
「今は信じずとも良い。ヨクル様は我々を守って下さっている……。それをお忘れなきよう」
ヨクル・フロスティ辺境伯は村人達にかなり慕われているようだ。
彼は一体、どのような人物なのだろう。
村人に利用されている世間知らずな人柱か。はたまた、閉鎖的な空間で村人を洗脳する教祖か。
悪人であるなら、俺は……。
俺は腰に下げた剣を握った。これを使う機会はない方が良い。
俺はハンドベルをコートのポケットに突っ込み、ボロボロの柵の先で、奇妙な森の新雪に足跡をつけた。




