そうはいかない
私にアルザーク様が求婚し、それを私が受け入れたという知らせをシェーヌに届けることになった。私が転移魔法で行くのではダメですか、と問うと正式な婚約式が終わるまではここにいて欲しいとのことだった。微笑んで受け入れたけど、本当に強引な国だな、と思った。正式な婚約式には母や父にも来てもらいたいという旨を伝えると、それがいいということになり、父と母に転移魔法で来てもらうことになった。婚約式まで一週間、その間に私はこの国のマナーを叩き込んでもらわなくてはいけない。ありがたいことに私の指導を受け持ってくれたレティルム伯爵夫人は本当に優しくて、そして厳しく、私のことを指導してくれている間に事件は起こった。
「メル様!」
「どうしたの」
ノックもなく声掛けもなく転がるように部屋に入ってきた侍女に驚いていると、レティルム伯爵夫人も、今は授業中ですよ、と顔を顰めた。
「大広間においでください。シェーヌ王国の王妃陛下がお越しです!」
「ええ!」
慌ててレティルム伯爵夫人に挨拶して部屋を出る。お母様はどうやって来たのだろう。まさか馬を飛ばして来たのだろうか。お母様、そんなに体が強いほうではないのに。大広間へ到着すると、恭しくお辞儀をされてメル様のお付きです!と大声で叫ばれる。開いた扉の隙間から、お母様が大広間の真ん中に立っているのがわかった。ギルタ王国の両陛下は玉座に座らずにお母様の前に立っている。
「メルは、私の娘は、殺されることも覚悟でこちらへ参りました。それが蓋を開けてみれば、開戦の意思はない、メルにギルタ王国に嫁いで欲しいなんて。そんなことをはいそうですか、と受け入れられるとお思いですか。娘は連れて帰ります」
「お母様!」
思わず走ってお母様に声をかけると、お母様が振り向いた。その顔が蒼白なことに気づいて、すぐに侍女に椅子を、と言いつける。かなり無理をしてここまで来たに違いない。
「メル、大丈夫?体は?」
「平気。それよりお母様、座ってください」
「いいのよ。ここに一晩だっていられないわ。メルのことを連れて帰ります」
そう言うとお母様はキッと両陛下を睨みつけた。
「娘は国と民を守るために、身ひとつでここまでやって来ました。その覚悟がお分かりになりますか。まだ齢十七の娘が一人でここまでやって来たのです。シェーヌを馬鹿にするのもいい加減にしてください」
お母様がここまで怒っているのを初めて見た。ここ最近は圧倒されることばかりだ。そう思っていると、アルザーク様がいきなり跪いた。
「お怒りはごもっともです。私のせいで、シェーヌ王国に非礼を働いてしまいました。心よりお詫び申し上げます」
お母様はそれでも怒りが収まらないのか、今度はアルザーク様を睨みつけている。小鳥のように小さなお母様がアルザーク様を睨みつけても怖くはないのだけれど、逆らってはいけない雰囲気があった。
「先月の茶会で一目惚れをし、どうしても妻にと私が請うたのがきっかけです」
「妻にと思うのなら、シェーヌ王国まで来るなりなんなりできたでしょう。それがこんなやり方をするなんて」
「本当に申し訳ございません。恋をするのも初めてのことで、どうしたらいいのか皆目検討がつかず」
本当に申し訳ございません、と謝罪するアルザーク様に、お母様の怒りが少しおさまったのがわかった。アルザーク様の素直な物言いに好感を抱いたのだろう。初めての恋、という言葉も永遠の少女のようなお母様には響いたのかもしれない。
「それでも、やり方があるでしょう」
「本当に言葉もございません」
跪いて深く頭を垂れるアルザーク様にお母様の怒りがおさまってきたのを見て、そっとお母様の腕に触れる。驚くほど冷たくなっている。
「お母様、それよりもお身体が大事です。とにかく私の部屋で休んでください。ごめんなさい、すぐに湯を用意してください」
「大丈夫よ、メル、心配性ね」
そう言ったお母様が私に向かって微笑むけれどその顔はまだ青い。私が言いつけるとその場にいた侍女が急いで大広間を出ていく。
「御前を失礼してもよろしいでしょうか。母の身体が冷え切っております。温めてあげたいのです」
「ああ、もちろんだ。必要なものは全て用意させよう」
そう答えた王陛下に頭を下げてお母様の腕をとって大広間を辞退する。部屋から出ると気が抜けてしまったのか、ヘナヘナと座り込みそうになるお母様の体を支える。
「どうやってここまで来たのですか」
「馬よ。早駆けは得意なの」
「何かあったら」
「メル、無事で本当に良かったわ」
お母様にそう言われて抱きしめられる。その腕に抱きしめられると涙が滲んだ。安心したのだとわかる。
「会いたかったです」
「私もよ。メル」
お母様と連れ立って部屋まで行くと、すでに湯が用意されていて驚いた。お母様にお湯に浸かるように言うと、侍女たちがお手伝いします、とついていく。それを任せて、私は長椅子に座った。
お母様が無事についたことを喜ぶべきだけど、お母様に何かあればギルタ王国を許せなかっただろうから、今回の件については正式にお詫びをしてもらうべきだ。そうじゃないと私の気持ちの落とし所がない。何をねだろう、と考えていると部屋の扉がノックされた。どうぞ!と言う前に、侍女が扉を開いて人を確認する。
「ヴィーン様です」
「今は会えないと伝えて」
お母様が湯に浸かっているのに、人を入れる気にはなれない。夕食の時に会えば十分だろう、と考えて自分が苛立っていることに気づいた。私は今、怒っているのだ。お母様が危険に晒されたことについて怒っている。
「メル様」
侍女が気遣わしげな声を出してくれる。私のことを心配してくれているんだろう。ため息をついて両手を顔に当てる。冷静にならなければいけない。シェーヌ王国に有利な条件で条約を結んでくれる。そのためにギルタ王国に嫁ぐ。自分で決めたことならば、自分でことを進めなければいけない。お母様に食事を用意してもらおう。今日のアルザーク様との食事は中止にしてもらって、お母様に事情をお話ししよう。そう決めて、侍女に紙とペンを、と言う。すぐに持って来てくれた侍女にお礼を言って受け取ると、今日は母と一緒にいたいので食事は遠慮させて欲しい、という旨をできるだけ丁寧に書いた。
「これをヴィーン様に」
「はい」
「あと、食事を持って来てもらえる?お母様に何か食べさせたいの」
「もちろんです」
侍女が出ていって、束の間部屋に一人きりになる。長く深いため息が出た。お母様はかなり無理をしてここまで来られたのだろう。やっぱり帰して貰えば良かった。そう思っても過ぎたことは仕方がない。お母様に婚約のことを伝えて、今日はゆっくり休んでもらおう。そう思っていると、お母様が侍女たちに連れられて戻ってきた。
「お母様」
「浴場ってすごいのね。すごく広くて驚いたわ。お湯もたっぷり使ってしまって良かったのかしら」
「大丈夫です。ギルタ王国は大国ですから」
「そうなのかしら。すごいわ」
顔色が良くなっているのがわかって安心する。お母様が椅子に腰掛けるとすぐに、侍女が食事をワゴンに乗せて持って来てくれた。温かいスープがあるのを見て、さすがだなと感心する。何が欲しいと言わなくてもギルタ王国の侍女たちは察してくれる。
「お母様、食べてください」
「え、でも夕飯にはまだ早いでしょう?」
「夕飯はまた持って来てくれます。食べてください」
私の言葉にお母様が戸惑いながらもスープに手を伸ばす。一口飲んだ後、目を輝かせて次々と口に入れる。その様子にホッとして、侍女にベッドの準備を言いつけた。侍女たちがベッドの準備に出ていくと、部屋の中はお母様と二人きりになる。きっとこの後眠たくなるだろうから、言うならこのタイミングだろう。
「お母様、食べながら聞いてください」
お母様はパンをひとつ口に頬張りながら私の方を見てくれる。もぐもぐと口を動かすことを止めない。その様子にもしかしてシェーヌの王族は食い意地が張っているのかもしれないと思った。そんなことを考えていてはいけないと首を振って、頭を本題に戻す。まっすぐにお母様を見て淀みなく口にする。
「私、ギルタ王国に嫁ぎます」
私の言葉にお母様が口を動かすのを止める。どうして?と言いたげな視線に、微笑んで見せた。
「持参金は必要ないと言われました。シェーヌに有利な条件での条約の締結も約束してもらいました。何よりギルタ王国の後ろ盾があれば、シェーヌに攻め込もうと言う国は無くなるでしょう」
お母様の口がゆっくりと咀嚼し始める。聞いたことのない破格の条件での婚姻だ。断る理由が見つからない。お母様は視線を一度落としてから、そしてまた私を見た。ごくりとパンを飲み込んだお母様が悲しそうに微笑む。
「それは、国のための婚姻ね」
「いつかは国のために結婚しなければなりません。それなら、できるだけ条件がいい方がいいのです」
そう言うとお母様は身を乗り出して、私の両手を取った。手はさっき触れた時よりもずっと暖かくなっていて安心した。ぎゅっと両手を握られて、私もぎゅっと握り返す。
「メル、国のためではなく、自分のために結婚していいのよ」
「これは私のためでもあります。これから一生懸命社交場に赴くのは嫌なのです」
「メル」
私の言葉にお母様が困ったように笑う。私ももう十七だから、都合がいいと言えばいいのだ。社交場に赴いて誰かにみそめてもらうよりも、この婚姻で自分の身の振り方を決めてしまえた方がいい。
「お母様、祝福してください」
「……あなたが決めたのなら、もちろん」
お母様は何か言いたげだったけれど、そう言って頷いてくれた。手を離してお母様が椅子に座り直す。侍女たちが、ベッドの準備が整いました、と入って来てくれた。お母様に、食べ終わったら一度眠ってください、と言うと、お母様もそうするわ、と頷いてくれた。




