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小国の王女です。筋骨隆々の大国の王子に嫁ぎます。  作者: まる


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6/18

婚約は突然

朝早くから畑や農場へ出ていたせいで早起きがすっかり身についていたはずだったのに、昨日はさすがに疲れていたのか寝坊してしまった。目が覚めた時には陽はのぼり切っていて、ベッドの中でぼんやりと部屋の中を見渡す。誰もいない部屋はしんとしていて、ご用があれば鳴らしてください、と渡されたベルはベッドサイドのテーブルにきちんと置かれていた。鳴らそうか迷ってから、鳴らすのをやめておく。まだもう少し一人でいたい。

シェーヌに封書は届いただろうか。その封書をお父様やお母様、宰相は読んだだろうか。そのことが気になる。どういう文面で封書が届けられたかもわからず、自分の身が無事だと伝える手段もない。魔法が使えたら良かったけれど、自分に魔法の才能はなかった。


「困った」


そうだ。私は今困っている。この時間に起きて言うことでもないだろうが、困っている。無事は伝えられたのだろうか。誰に訊けばいいのだろう。そういえば昨日アルザーク様が毎日夕食を一緒に摂ろうと言ってくれた。それならばその時に訊けばいいし、もう一度国に帰りたい旨を伝えよう。ベッドで半身を起こしたままそう決めて、そろりとベッドから抜け出す。

水で顔を洗いたいけれど、水場がどこにあるのかもわからない。お風呂は侍女たちが用意してくれて、洗うのを手伝うと言われたけれど恥ずかしくて一人で入った。ベルを鳴らせば侍女が来てくれるのだろうが、忙しい侍女たちを朝の支度くらいで呼びつけるのも気が引ける。

とりあえず長椅子に座ると、どこかから声が聞こえてくる。その声に惹かれるように立ち上がって窓のそばに寄ると、声は王城の前に広がる庭園から聞こえてきているらしかった。窓を開けてそっと身を乗り出すと、庭園の花壇に水やりをしている人物が鼻歌を歌っている。

その水があまりにも目に眩しく見えて、すぐに着替えることにした。自分の持ってきたドレスの中でも一番汚れても構わないものに着替えて、顔は乱暴に置かれている布で擦っておいた。

「よし」


部屋からそっと出ると廊下にも誰もいない。これ幸い、と廊下を抜けて階段を降りる。正面の玄関には人が多いだろうと予測して歩いていると庭園に続く扉が会った。そこから外に出ると、一面の花が自分を迎え入れてくれた。土と植物の青臭い匂いは自分がいちばん好きな匂いだ。思い切り吸い込んでいると、先ほど鼻歌を歌っている人物がこちらを見ていることに気づいてお辞儀をする。


「これは」

「メル・シルレーヌと申します。見てもよろしいですか」

「ああ、どうぞどうぞ」


鼻歌を歌っていた人物がそう言って水やりを止めてくれた。それが申し訳なくてその人物から離れたところから鼻を見ることにした。広い庭園はきちんと整備がされていて、枯れている花や傷んでいる花が見つからない。毎日丁寧に手入れがされているんだなとわかった。鼻歌を歌ってしまう理由もわかる。ふんふん、と鼻歌を歌いながら庭園の通路を歩いていく。私以外に散歩している人はいない。遠くに王城の入り口が見えて、あれが入り口か、ととりあえず入り口に向かって歩いてみることにした。門の両側には門番が立っていて、不審者の侵入に備えている。シェーヌの門にも門番が立っていたけれど、滅多に来客なんてないから暇そうだったな、と思い出した。

遠くまで続いている庭園の間を歩いていると、ふと自分に影がかかったのがわかった。なんだろう、と思って上を見上げると、見たことのない生き物が私の頭の匂いを嗅いでいた。


「え」


目を瞬かせてみてもその生き物の姿は消えない。ふんふんという鼻息が私の頭にかかって、その大きな口が開かれたら私の人生は終わりだとはっきりわかった。空中に浮いているその生き物は下半身が上で、上半身が下になっていた。私の方へ首を伸ばして匂いを嗅いでいる。



「ディルム、だめだ」


その声にディルムと呼ばれた生き物がパタパタと翼を動かして移動する。少し不満げに長く鼻息を漏らすところがシェーヌにいた猫にそっくりだった。移動してアルザーク様の隣にどっしりと体を下ろしたその生き物は、伝承でしか聞いたことのない生き物だった。


「アルザーク様、それは」

「ディルムと言います。私の守護をしてくれているドラゴンです」


ディルムはアルザーク様に首のあたりを撫でられて、クルルと喉を鳴らしている。じゃれるようにアルザーク様に首を擦り付けている姿はなんとも可愛らしいけれど、人の何倍も大きなその姿に畏怖の方が勝ってしまう。


「あの」

「ディルム、降りてくるなら言わないと。皆が驚いてしまう」

「ウルル」

「お前が来てくれるのは嬉しい。けれど、先に知らせてくれ」


アルザーク様がディルムの顔を両手で挟んで目線を合わせると、ディルムが反省したように鳴いた。意思疎通ができるんだ、と驚く。ディルムはウルル、ウルル、と二回鳴いた後、大きな翼をばさりと広げた。そしてその巨体には見合わない身軽さでふわりと浮き上がると、あっという間に空の彼方へと飛び去ってしまった。呆気に取られてそれを見ていると、アルザーク様が驚いたでしょう、と笑いかけてくれる。


「ディルムは少し気まぐれな性格で、いつ降りてくるのか予想がつかないのです」

「そうなんですね」

「今日は庭園の散歩ですか」

「ああ、そう、そうです」

「よければ、ご一緒してもよろしいですか」

「ぜひお願いします」


心臓の高鳴りはまだ収まっていない。アルザーク様の隣に並んで二人揃って歩き出す。守護のドラゴンは魔力が特別に高い人間に与えられる加護の一つだ。それも伝説級のものだ。門番や庭番が驚いていないところを見ると、アルザーク様に守護のドラゴンがついているのは受け入れられているらしい。


「ドラゴンを初めて見ました」

「珍しいですよね。あまり人前に姿を見せないので」

「伝説の生き物だと」

「ディルムは私が赤ん坊の頃に現れたんです。そのころはディルムもまだ赤ん坊で、一緒に遊んでいるうちに仲良くなりました。私以外とはあまり仲良くはしないので、今日も珍しいのです」


「そうなのですね」


とりあえず怒らせたりしなくてよかった、と胸を撫で下ろす。隣を歩くアルザーク様を盗み見ると、まるでドラゴンのことなんて気にしていない顔をしている。これは普通のことなんだ、と言い聞かせても胸の高鳴りは治らない。


「アルザーク様、夕食の時にお伺いしようと思っていたのですが」

「はい」


私が足を止めるとアルザーク様も止めてくれる。自然と庭園の中で向き合う形になった。


「シェーヌに封書は届いたのでしょうか。国に無事を知らせたいのです」

「……今日中には届くはずです」

「私、やはり家に帰ろうと思います。これ以上心配させたくないのです。わかっていただけませんか」


すがるような視線になったと思う。アルザーク様だからこそだ。優しいお方だとわかっているからこそ、自分の意思を受け止めてくれるのではないかと思ってしまう。私の視線を受けて、アルザーク様が何かを言いかけて、そして口を閉じる。風が私の頬を撫でて、周りの花を揺らす。美しい花のおかげで沈黙が苦には感じなかった。


「封書の件について、本当に申し訳なく思っています。心からお詫びを」

「その件は」

「私のためなのです。私のために皆が考えてくれて空回りをしてしまった。そしてシェーヌ王国に迷惑をかけました。謝罪をしてもどうにかなる問題ではないとわかっています」

「いえ、開戦の意志がないならばそれでよかったのです」


そう言いながら違和感が拭えなかった。アルザーク様のためにあの封書は用意されたもの?なんのために?そう思いながらアルザーク様を見つめると、不意に彼が跪いた。それに驚いていると、そのまま手を取られる。その手が僅かに震えていて、その振動が私に伝わってきた。震えるほど何を怖がっているのだろう、と思ってから彼の表情を見て思い違いに気づく。緊張しているのだ。下がった視線を彼が何かを決意したようにあげる。緑の瞳の中に、不安が見てとれた。


「……私の恋のために、皆が頑張ってくれたのです」

「それは」

「あなたに恋をしています」


まっすぐな視線に捉えられたように視線が逸せない。自分の顔が熱を持つのがはっきりと自覚できて、取られている手と逆の手を頬に当ててしまう。今までの人生で男性にこんなふうに気持ちを伝えられたことはない。自分もいつか結婚をするのだろうとは思っていたけれど、その機会もなかった。赤くなっているのを自覚しながら、どうにか理性的な言葉を返そうと努力する。


「お気持ちは嬉しいのです。でもお付き合いをするということはつまり」

「婚約するということになります」


淀みのない返答にそうですよね、と頷いてみせる。付き合うということは婚約するということで、その先に待っているのは結婚だ。それには大きな問題が付きまとう。


「持参金がどう考えても払えません。国民の生活を私のために圧迫するわけにはいきません」

「その件なら持参金はいりません。あなたが嫁に来てくれるだけでいい」

「え」


思っても見なかった言葉に驚いてしまう。まだアルザーク様は私の目をまっすぐに見つめてくれている。


「無理を言っているのも非礼を働いたのもこちらです。その分、シェーヌ王国に有利な条件での条約を締結したいと考えています」

「本当ですか」

「はい。妻の祖国ですから、これまで以上に大切にすると約束できます」


その言葉に気持ちが大きく揺らぐのがわかった。大国と有利な条件で条約を締結できれば、シェーヌ王国にとってこれほど幸せなことはない。私の結婚は国に有利になることが最低条件だ。それが、こんなに簡単に叶ってしまう。そして、その相手はギルタ王国だ。大陸きっての大国の保護が約束される。そしてアルザーク様は部下からの信頼も篤い誠実な人間だ。その上優しい。そんなかたが私のことを好きだと言ってくれている。国にとっても私にとってもこれ以上いい条件の婚姻は今後ないだろう。そっとアルザーク様の顔を窺うと、視線は少しも揺れていない。きっと私もそのうちこの方のことを好きになってしまう。だってこんなに優しくてまっすぐな方はそういない。

そう考えると気持ちはすぐに決まった。


「思ってもみなかったことです。でも私もアルザーク様となら人生を一緒に歩いていける気がします」


正式にお会いしたのは先月、人となりを知ったのはたった二日だ。早すぎる気もしたけれど、これ以上条件のいい婚姻は今後ない。そして、昨日の食事の時に見せてくれた優しさを信じたい。


「本当ですか」

「アルザーク様はお優しいので」


私の手をとっているアルザーク様の手に手を重ねるとアルザーク様が視線を逸らす。そしてもう一度こちらを見る。


「本当に嬉しいです。それでは正式に両陛下にご報告をしても?」

「お願いします」


私が頷くと、アルザーク様が立ち上がる。こほん、と咳払いをした彼が恥ずかしがるように顔を背ける。その仕草がなんとも可愛らしいと思った。


「婚約の期間や条文の内容、結婚式の様式やどこで挙げるのかについてもゆっくり考えていきましょう。条文の締結は私たちの結婚式の日がいいかもしれません。めでたい日になります」

「そうですね」

「本当に天にも昇る気持ちです」


アルザーク様の言葉に微笑んで、私もです、と答えた。言葉は嘘ではないだろうと信じられるような気がした。知らず知らずに自分の口角が上がっているのがわかって、手をほおに当てる。本当に国のことを考えても天にも昇る気持ちだった。


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