そして臣下は憂う
困ったことになった、とヴィーンは思った。四日前の昼ごろ、倒れているメル様を侍女が発見した。メル様が倒れていることはすぐに王城中に知れ渡り、アルザーク様は知らせを受けてすぐに駆けつけた。倒れているメル様の喉に嘔吐物が詰まっていないかを確認し、横に向けてベッドに寝かせた。
それが終わった後、アルザーク様は何が起こったのかをアメリア嬢に問い詰めた。すごい剣幕だった。アメリア嬢が言うには、メル様は紅茶を飲んだ後すぐに倒れられたと言うことだった。紅茶がすぐに調べられたけれど、何が入っていたのかはわからなかった。メル様を侍医に診せたところ、眠っているだけのようですな、と言われそのままメル様は三日間眠り続け、アルザーク様は片時もそばを離れようとしなかった。ついていた侍女二人は拘束され、アメリア嬢は自宅に軟禁となった。ウルザート家には事情の説明が求められ、ウルザート家からは何がなんだかわからないと言う回答を得た。アメリア嬢は酷く塞ぎ込んでおり、とてもじゃないが喋られる状態ではないということだった。
メル様にはその日についていた二人の他に三人の侍女がついていたけれど、その侍女たちにもアルザーク様は事情を訊いた。そして全員をメル様の侍女から外した。王妃様付きの侍女の中でも信用できる者が選び直され、しかも人数は一人だけに絞られた。毒味役をつけるといったアルザーク様に反対するものは誰もおらずそれどころか王族全員に毒味役をつけた方がいいのではないか、と言うことになった。メル様は反対されていたけれど、それくらい衝撃的な事件だったのだ。毒味役は侍女たちの中から選ばれた。破格の給金とはいえ、自ら名乗り出てくる者は少なかった。当然だろう。もしかすると次は自分が倒れるかもしれないのだ。それでも何人か名乗り出て、とりあえずメル様と両陛下に毒味役をつけることになった。アルザーク様は、昔から毒に体を慣らしているため不要とのことだった。怖い。そんなことしてたんだ。気づかなかった。
「困ったなあ」
何に困ったかというと、アルザーク様が頑なになっていることだ。メル様がアメリア嬢の自宅軟禁を解いてくれと言っても取り合う様子もない。それどころか、あなたに何かあれば国を滅ぼしてしまうかもしれない、と言ってメル様を脅している。メル様は侍女たちと話すことで一応は納得した様子だったけれど、アルザーク様のことを強引な方だと思っているだろう。
アメリア嬢のことは昔からよく知っている。アルザーク様に懸想していることもなんとなく気づいていた。社交界の華と呼ばれるご令嬢で、自分も一緒に踊ったことがある。同じ公爵家ということで昔から交流もあった。金色の髪に金の瞳をもつ美しい女性だ。彼女がメル様の紅茶に薬を盛ったとなれば、ウルザート家は断絶だろう。アルザーク様の怒りを見るに、悪ければ全員が斬首刑かもしれない。王族に対する殺人はそれくらい罪が重いのだ。
「でもなあ」
メル様はそのことをわかっているようでわかっていない気がする。未遂でも大罪なのはわかっているが、結局三日間寝ていただけなのだから事を大きくする必要はない、と言っているのを聞いた。確かに、殺されそうになったというのは言い過ぎかもしれない、と自分も思ったけれど、アルザーク様にそう言うのは憚られた。あんなに怒っている姿を初めて見た。アルザーク様は普段から顔が怖いけれど、使用人たちは彼が優しいことを知っているから気軽に話しかける。最近はメル様の様子を伝えると嬉しそうにするから、メル様の様子を伝える使用人も多かった。なのに今は誰も彼に話しかけない。いや、誰も話しかけられないのだ。
「ヴィーン様」
そんなことを思いながら廊下を歩いていると、後ろから話しかけられた。その声にハッとして振り向くとメル様が立っている。すぐに向き直るとメル様は困ったような顔をしていた。
「アルザーク様に、これ以上お見舞いの品は結構ですとお伝えください」
「申し訳ありません。我が主はメル様のことを何より大切に思っておりまして」
人はところ変わればこんなに変わるものなのだな、と思うくらいメル様はギルタ王国に来て変わられたと思う。レティルム伯爵夫人によれば、マナーを学ぶ態度は真面目で積極的らしい。その彼女の頑張りに応じて、はじめにあった素朴さがなくなっていっているような気がする。所作が洗練されていっている。それに比例するように、最初にあった庶民的な強さがなくなり、儚さが増しているような気もする。我が主が心配するのもわかる気がした。それにしてもメル様の目が覚めてからの主の贈り物の量は確かに常軌を逸している。
「リュナが一人で対応しておりますので、部屋が物で溢れかえっております」
「主にそう伝えましょう」
「ありがとうございます」
メル様は基本的にいきなり執務室に来られることはない。仕事の邪魔はしないと決めているように見える。侍女二人と話をすることになっているけれど、それもアルザーク様がお暇な時でいいです、と言ってしまっていた。そんなことを言われたら主は先延ばしにするに決まっている。その間に、主は犯人の調査を進めるはずだ。侍女たちの身元の再調査、紅茶のカップに触れた人間の調査、アメリア嬢に動機があるかどうかの調査。そこまで考えて、アメリア嬢には動機があることに気づく。彼女はアルザーク様に懸想していた。そのことをアルザーク様が知っているかどうかは知らない。というか十中八九気づいてはいない。自分に対する好意にこれでもかと言うほど鈍感な男なのだ。
「ヴィーン様?」
メル様が不思議そうに自分の顔を窺っているのがわかって、慌てて笑顔を作る。それではこれで失礼します、と言って歩き出すとメル様は何も言わずに見送ってくれた。そうだ、アメリア嬢はアルザーク様にずっと懸想していた。彼女がメル様を殺そうとする動機はある。けれど彼女はそんなに短絡的な女性だろうか。
「ヴィーン」
「はい!」
かけられた声に驚くと、アルザーク様が向かいから歩いてくるところだった。その手には何枚かの紙の束が持たれている。侍女たちに関する報告書だろう。そういえばメル様は、と後ろを振り向くともう彼女の姿はなかった。惜しかったな、と思ってしまう。メル様に話しかけられれば、このピリついた雰囲気も少しは改善されたかもしれないのに。
「ヴィーン、侍女の身元がわかった。二人のうち一人の方がウルザート家で働いていたことがある」
「ウルザート家でですか?」
「アメリア嬢と結託していた可能性もあるな」
「…そうですね」
アルザーク様が歩きながらそう言うのを聞いて、これはまずいことになったぞ、と思ってしまう。メル様は婚約式を終えてから王族として扱われることになっている。アメリア嬢と侍女が結託して薬を盛っていたとしたら、どちらの家族も打首、と言うことになりかねない。いやだなあ、血を見るの。
「メルと一緒に侍女の話は聞くことになっている」
階段を登りながらアルザーク様がそう言ってため息をついた。アルザーク様からすれば、メル様に危害を加える恐れがある者は排除したいだろうし、これを見せしめとして利用することもできると考えているのだろう。それを許さないのが当のメル様だ。彼女は確実に打首に反対するだろうし、そうなれば二人の間にも溝ができてしまう。深い茶色の手すりは今日も使用人に磨かれて輝いている。その輝いている手すりをアルザーク様がそっと撫でた。
「メルにはわかってもらえるだろうか」
聖女顔負けの心美しい我が主にこんな一面があるとは思っても見なかった。ずっとおそばに仕えているけれど、自分に対する敵意や加害はどこ吹く風というふうに受け流すのに、メル様に対しての敵意や加害は徹底的に排除しようとしている。アルザーク様の怒り様を見て、両陛下もこの件はアルザーク様に一任してしまった。けれどウルザート家から公爵の地位を剥奪するとなれば、それなりの証拠が必要だ。アメリア嬢が正直に話すとも思えない。
「メル様とご一緒するのは何時がいいですかね」
とりあえず侍女たちに話を聞いてからだ。侍女が正直に話してくれればいい。ただ、侍女も自分が薬を盛ったとは正直に話さないだろう。執務室の扉をアルザーク様のために開きながらそう尋ねると、アルザーク様はふ、と笑った。今日の午後で、メルの都合の良い時間に、という主の言葉を聞いて、少しだけ安心する。やはりどこまでも優しい男なのだ。
「承知しました」
執務室の椅子に座ったアルザーク様が報告書に目を通しながら、これは、と呟いた。普段なら隣に行って報告書を盗み見るけれど、今日はそういうことが許されると思えない。自分の椅子に腰掛けようとしていると、アルザーク様がヴィーン、と自分の名前を呼んだ。
「はい」
「メルにすぐに時間が取れるか尋ねてきてくれ。これは早い方が良い」
「わかりました」
そう言われてすぐに執務室を出てメル様の自室に向かう。そういえばメル様の部屋は貴賓室だ。本来なら王城内の別の部屋に移ってもいいはずだが、動かさないのはすぐにアルザーク様と同じ部屋になると思われているからだろう。荷物も多いし、いちいち動かすのも大変だ。アルザーク様と同じ部屋になったら、メル様も大変だろうなと思ってしまう。我が主はメル様には過保護だ。やれ咳をした、やれ顔色がいつもより良くないとうるさいかもしれない。階段を急いで降りて、メル様の自室に向かうと、自室の前にも包装された箱が積み上げられていた。自分が手配したものもあるとはいえ、メル様がいい加減にしてほしいと思うのも無理はないなと思った。護衛たちに向かって頷いて見せて、コンコン、と部屋をノックする。
「どうぞ」
中から聞こえたのは王妃様付きだったリュナの声だった。リュナは王妃様について長い。その安心安全優秀な侍女をアルザーク様はメル様につけた。護衛たちが扉を開けてくれるのを待って中に入ると、部屋の中もすごいことになっていた。
「ヴィーン様?」
不思議そうな顔をしているメル様は今も贈り物を開けている最中だったらしく膝の上に箱を乗せている。これ全部アルザーク様からのお見舞いの品か、と思って見ていると何個か自分が手配した物ではないものも混じっていた。アルザーク様が個人的に選んだものだろう。忙しいのにそういうところはまめだ。
「急にお邪魔して申し訳ありません。アルザーク様が侍女に事情を尋ねるのは早い方が良いとおっしゃっていまして、メル様のご都合はいかがですか」
メル様はそれを聞くと、すぐに膝に乗せていた箱をテーブルに置いて立ち上がった。ドレスの裾が気になったのか手で払う。
「すぐ行きます」
その返事にお辞儀だけ返して、メル様を急がせないために先に部屋から出る。アルザーク様にすぐいらっしゃると報告しなければいけない。廊下を小走りで歩いて、階段を急いで上がる。執務室の扉を開ける前に一応ノックをして、ヴィーンです!と声を張り上げると、中から入れ、と声がかかる。
「メル様はすぐにいらっしゃるそうです」
「わかった」
報告書を熱心に読んでいたアルザーク様がそう言ってご苦労、と付け加えてくれた。報告書に新事実があったのだろうなと思うけれどそれを問いかけることはしない。アルザーク様の頭の中の考えを邪魔するようなことはしたくなかった。自分の椅子に座ろうか迷ってやっぱり座ることにした。メル様がすぐに行きます、と言っていたから座る余裕もないのではないかと思ったのだ。立ったままでいるのも不自然だろう、と思って椅子に腰掛けた瞬間、扉がノックされた。
「メル様でございます」
扉の外から聞こえた声はリュナのものだ。それにアルザーク様が入ってくれ、と答える。中に入ってきたメル様は急いだのだろうな、とわかる様子だった。
「メル、今から侍女に話を聞きに行きます。一緒に」
「はい」
アルザーク様がそう言って席を立つ。自分もそれに引き続いて席を立った。侍女たちが拘束されているのは地下牢だ。暗くて寒い。あんな場所に行きたいという方がどうかしているが、前を歩くメル様のことをチラリと見る。話を聞きに行きたいと言っていたけれど、大丈夫だろうか。ご令嬢が足を踏み入れる場ではない気がする。アルザーク様も同じことを思っているのか、何度かメル様のことを振り返っている。もしも倒れたら、アルザーク様の過保護具合が上がりそうだとヴィーンは思った。




