贈るものは
「畑に出たいなあ」
「ダメよ。何かあればどうするの」
お母様に止められて、長椅子にゴロリと寝そべった。ギルタ王国からシェーヌ王国に帰国するにあたって、アルザーク様は私におまじないをかけた。おまじないと言ってもそう可愛いものではない。もし私が危害を加えられるようなことがあった場合、アルザーク様にすぐに連絡が行くというものだ。なんだそれ、怖い、と思ったけれどどうしてもと言われて断れなかった。二人の弟は私とアルザーク様の婚約の話を聞いて、婚約式には自分たちも出席するのかと聞いてきた。もちろん、と答えると料理が楽しみだと言って畑に出ていってしまった。お父様は私がギルタ王国に嫁ぎたいと言ったことを聞いて立ちくらみを起こしていた。そんな、と椅子に倒れ込んだお父様に、お母様がアルザーク様といい感じなの、と報告したことで余計お父様は落ち込んでしまった。それでも王陛下として、婚約式には必ず出席すると言ってくれた。使用人たちにも婚約することを伝えて周り、やっと落ち着いたところだ。
「暇だなあ」
テーブルからクッキーを取って口に運ぶ。婚約式までに怪我でもしたら大事だと畑にも出させてもらえないし、散歩にも行かせてもらえない。散歩くらい許されるのではないかとお母様に言ったら、アルザーク様に来てもらいたいならそうしなさいと言われて、渋々部屋にこもっている。
「暇なら、ギルタ王国の刺繍の続きでもやりなさいな」
「でもお母様、やる気になりません」
私がそう言うとお母様が呆れたような顔をする。ギルタ王国の刺繍は魔力を底上げするもので、かの国では魔力を持っていた初代国王に妻である王妃陛下が刺繍を施した服を送ったことが始まりなのだという。
それから歴代の王妃はみんな、王の衣服に刺繍をするのが慣わしなんですよ、とレティルム伯爵夫人に教えてもらった。針と糸を使ってするその刺繍は何度も何度も細かく布を打たなければならない。婚約式までにアルザーク様にお送りなさいませ、とレティルム伯爵夫人に刺繍の仕方も教えてもらったし、針と糸もいただいたけれど、なんとなくやる気が起きない。そもそもアルザーク様の衣服には刺繍がもう施されている。今更私がやらなくてもいいだろうと思ってしまうのも無理ない話ではないか。
「どうしてやる気にならないの」
「だってどうせアルザーク様の衣服にはもう刺繍がされています」
「拗ねているの」
「違います。私がちまちまやらなくても衣装店で刺繍がされているならそれでいいのではないでしょうか」
「あのねメル」
お母様の声が真剣になったことに気づいて、姿勢を正して座り直す。お母様がこちらへ向き直って、私の両手を取った。
「婚約者に何かを贈ると言うのは意味があるからやるとか、意味がないからやらないとかそういう問題ではないの」
「はい」
「贈ることに意味があるのよ。わかる?」
はい、と小さく呟いて傍に寄せていた刺繍の道具を手に取る。刺繍するのは小さなハンカチだ。ハンカチなんて使わないかもしれないけれど、私の瞳と同じ色だと言って指輪をはめてくれていたのを思い出す。針は指に刺してしまうからどうも苦手だけれど、頑張ったら喜んでくれるかもしれない。
「お母様はお父様に贈り物したのですか」
「したわ」
「何を?」
「木の実とかよ」
木の実を贈っているお母様を思い浮かべてみると、なんだか可愛らしかった。私もそう言う贈り物をしてみようかな、と思って刺繍に向かう。図案はもう書き写してあるから、あとはちくちくと縫っていくだけだ。針を刺してから、糸を引っ張るだけの作業なのに、こんなに疲れる。それに、肩こりもする。確かにこれを贈られたら愛情を感じるかもしれない。そう思ってから婚約式のドレスに思い至った。私のドレスの裾には刺繍がされる。ギルタ王国に嫁ぐのだから必要だと言っていたけれど、こんなに頑張って作ってくれたものなのだから大切に着よう。また針を打って糸を引っ張る。完成までにどれくらいかかるのかも思い至りもしなかった。
贈ることに意味があるのだ、と言われたことを思い出して、多分、今、本当に喜んでくれているアルザーク様を見て頑張ってよかったな、と思った。婚約式の三日前にギルタ王国の家族全員でお邪魔した。転移魔法が初めての弟たちは喜んでいて、そして私はアルザーク様の妹の王女殿下にも挨拶をすることができた。なんでも王女殿下は体調を崩しやすいらしく、私と会うことがなかったのもそのためだった。王女殿下は私が薬草を渡したのを覚えていてくれていて、あの時のお姉ちゃん!と呼んでくれた。それから夜にアルザーク様と夕食を取ることになって、その時に頑張って刺繍したハンカチを渡した。見栄えが良くなるようにと侍女たちが包装してくれたそれをアルザーク様は慎重に開いた。もっと雑に開いてもいいのに、と思ったけれど、アルザーク様がそうしたいのなら私がどうこう言うことではない。
「これは」
「ギルタ王国の刺繍です。その頑張ってみたのですが」
出来栄えだけで言うのなら酷いものだった。何度も打ち間違えては直したので、糸が出てしまっているところがある。それでも多分、アルザーク様は今喜んでくれている。嬉しそうな表情をしてくれているし、ハンカチを大事そうに手のひらに乗せてくれている。
「本当に嬉しいです」
「よかった。下手くそなんですけど」
「下手ではありません」
下手ではないと言うのは嘘だ。もっと上手に刺繍できる人はたくさんいるだろう。でも私が刺繍したと言うことがアルザーク様に取っては重要なのだと思う。お母様に言われた『贈ることに意味がある』という言葉を思い出していた。
「肌身離さず持ち歩きます」
「本当ですか。今度はもっと上手に刺繍します」
「また、刺繍をしてくれるのですか」
その言葉に包み紙を片付けようとしていたてを止める。アルザーク様ってこういうの捨てられなさそうだから捨てておいてあげようと思ってテーブルの上を片付けていた。アルザーク様を見ると、頬が紅潮しているのがわかる。そんなんい喜んでくれるのなら、また頑張ろうと思っていたことを素直に伝えた方が良さそうだった。
「ええ、何度でも」
そう言って頷くとアルザーク様がハンカチをギュッと握りしめる。そんなに握ったらシワになりますよ、と言いたかったけれど、まあシワになってもいいかと言わなかった。言ったら慌ててやめてシワになったハンカチを伸ばそうとするかもしれない。そんなことしなくてもいいくらい、ちゃんと贈ろう。これだけ喜んでくれるのなら頑張りがいがある。
「アルザーク様、お料理が冷めてしまいます。ハンカチは一旦置いておきましょう」
「ああ、はい」
そう言ってもハンカチを離そうとしないアルザーク様に苦笑してしまう。握りしめられているハンカチを失礼します、と言って取り上げると、悲しそうな顔になった。ここに置きますね、と二人の間に置くとあからさまに安心した顔をする。
「アルザーク様は、私がいない間何をされていたのですか」
「公務をしていました」
「お忙しいですか」
「いえ、忙しくはありません。だから」
料理に向き直って、ようやくアルザーク様に切り分けられなくても食べられるようになった肉を口に運ぶ。だから、のあとを言い淀んだアルザーク様に、どうかしたのか、と横を見ると、アルザーク様はまだ料理に手をつけていなかった。フォークとナイフを握ったまま止まってしまっている。
「だから明日は庭園を一緒に散歩しましょう」
絞り出すように言われた言葉の後、アルザーク様が肉を切り分けて誤魔化すように口に運ぶ。前は手紙で誘ってくれていたからスマートに思えたけれど、本当は毎回これくらい緊張してくれていたのかもしれない。直接誘ってもらえるようになったことは進歩だろう。
「ぜひ。明日はお茶もご一緒したいです」
付け加えてそういうとアルザーク様がごほっとむせた。それに気づかないふりをして肉をもう一切れ口に運ぶと、向かいで立ったままヴィーン様が嬉しそうに微笑んでいるのが見えた。可愛らしいと思ってしまったのだから仕方がない。誘うのに勇気がいるのなら私から誘えばいい。この可愛らしい王太子殿下とならうまくやることができるだろうとより一層確信した。




