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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第一章 神域調査
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第八夜 帰還

 絶望的なまでの静寂が、日本独立党与野事務所の司令室を支配していた。

 ほんの数分前まで、怒号と悲鳴、そして絶え間ないアラート音が鳴り響いていたのが嘘のようだ。


 《―― 尊っ!? どうしたの!? 胸が……熱い! だめ!!!》


 茉奈の悲痛な絶叫を最後に、尊との精神リンクは暴力的に引きちぎられた。メインモニターに映し出されていた旧日光街道の交差点のライブ映像も、網膜を焼くほどの閃光と共にブラックアウトしたまま、死んだように沈黙している。


「……くそっ!」


 司令室にいる詩織は忌々しげに舌打ちをすると、コンソールを強く殴りつけた。だが、その拳にはほとんど力が入っていない。彼女の目は、ただ虚空を映す黒い画面に釘付けになっていた。自身の『予知』すら追いつかない、予測不能の事態。それが何よりも彼女を苛立たせた。


「浜田聞こえるか!そっちの状況は!?」


 基地局に向かった浜田にインカムで鋭い声で問う。


「あと少しだ! 詩織何があった!?」


「おそらくじゃが、尊が暴走した! 奴の神気が一瞬で膨れ上がり、次の瞬間には周囲のカメラが全て焼き切れた! 何が起こったか、わからん!」


 詩織の脳裏に、モニターが途絶する直前の光景が焼き付いて離れない。

 尊の足元から迸った、雷などという生易しいものではない、空間そのものを引き裂くような黒い破壊の奔流。それが、彼らを包囲していた帝国軍の最新鋭ゴーレム群を一瞬で鉄屑に変えた、あの圧倒的な光景。


 だが、その力はあまりにも荒々しく、制御などという概念からは程遠かった。尊自身の体をも内側から破壊しかねない、危険な力の暴走。


「茉奈! 二人の反応は追えるか!?」

「ダメです……! 反応が完全に切れてて……! 尊だけじゃない、葵ちゃんの反応も……何も感じない……! まるで、その空間だけが抜け落ちたみたいに……!」


 茉奈は顔を覆い、嗚咽を漏らす。彼女の『広域視覚リンク』は、尊との精神的な繋がりを前提とする。そのリンクが断たれた今、彼女は前線の状況を知る術を完全に失っていた。


 仲間を、友を、そして想い人を、絶望的な戦場に送り出し置き去りにしてしまった。その無力感が、彼女の心を容赦なく苛む。


 司令室にいる誰もが、最悪の結末を覚悟しかけていた、その時だった。


『――詩織さん、茉奈さん。お待たせしました』


 スピーカーから響いたのは、合成音声でありながら、絶対的な自信に満ちた、浜田の相棒の声だった。


「八咫! どうじゃ!?」


『さいたま新都心の地下共同溝、帝国軍の通信中継基地局への物理インターフェイス接続確認。これより、指向性ウイルス『烏羽ノからすばのくさり』を流し込みます』


「はやくやれ!」


 詩織の指示と同時に、司令室の壁一面を埋め尽くすモニターの一つに、目まぐるしく変化するコードの奔流が映し出された。八咫が、帝国の神経網の中枢へと侵入していく。


『敵性AIの抵抗を確認。ですが、想定の範囲内です。第一防壁、突破。第二防壁、突破。……メインフレームへのアクセス権を掌握。ドローン制御システムにウイルスを注入します』


『注入プロセス:フェーズ3完了。エージェント群の認証トークンを再署名し、指令ループを掌握。敵ドローン部隊のコントロールおよびカメラコントロールを、完全に掌握しました』


 八咫の冷静な報告が終わるか終わらないかのうちに、ブラックアウトしていたメインモニターが、ノイズと共に再び映像を映し出した。


 そこに広がっていたのは、信じがたい光景だった。


「なっ……!?」


 詩織だけでなく、嗚咽していた茉奈さえも、信じられないものを見るように顔を上げた。

 旧日光街道の交差点。沈黙したゴーレムの残骸が転がるその場所で、まだ稼働していたはずの帝国軍のドローンたちが、まるで同士討ちを始めるかのように、互いに銃口を向け、攻撃を開始していたのだ。


『敵ドローン部隊は、現在、相互に破壊活動を行っています。これにより、独立党への追跡は物理的に不可能となります。また、現場周辺の監視カメラの録画映像は、全てループ映像に差し替えてあります。帝国側が状況を正確に把握するには、少なくとも30分はかかるでしょう。監視カメラ映像のバックアップはすべて破棄しています』


「……上出来だ、八咫。よくやった」


 詩織は、震える手でインカムのマイクを掴んだ。


「浜田、聞こえるか! 八咫がやり切ったおかげで敵の目は完全に眩ませた!」


「ああ、こっちのリモートモニターでも確認した! 回収部隊、聞いてたな!? 今すぐ現場に突入し、尊と葵、それと負傷した民間人を全員回収しろ! 急げ!」


 その声は、安堵と、まだ拭いきれない焦燥が入り混じっていた。


 ◇


 意識が、深い海の底からゆっくりと浮上してくるような感覚。

 全身を襲う、骨が軋み、筋肉が引き裂かれるような激痛。そして、それらを全て包み込むような、温かく、優しい光。


(……俺は、どうなったんだ……?)


 瞼を開けようとするが、鉛のように重くて動かない。断片的な記憶が、悪夢のように脳裏を駆け巡る。泣き叫ぶ母子。無慈悲なゴーレムの砲口。自分の喉から迸った絶叫。そして、世界を黒く染め上げた、あの禍々しい塊――。


 ――やめろぉぉぉぉぉっ!!


 最後に見た光景は、自分の内から溢れ出した黒い破壊の力に飲み込まれていく世界。そして、それを必死に押しとどめようとしてくれた、葵の小さな背中。


「……尊にーちゃん、しっかりして!」


 か細く、でも凛とした声が、すぐそばで聞こえた。

 葵の声だ。


 俺は、力の限りを振り絞って、ゆっくりと目を開けた。

 ぼやけた視界に、心配そうに俺の顔を覗き込む葵の姿が映る。彼女の顔は蒼白で、消耗しきっているのが一目でわかった。


「……あおい……?」

「よかった……気がついたんだね……」


 葵の瞳から、安堵の涙がぽろぽろと零れ落ちる。彼女は、最後の力を振り絞って展開した『守護領域』で、俺の力の暴走をかろうじて押しとどめてくれていたのだ。


「ごめん……俺は……」


 謝罪の言葉は、最後まで続かなかった。

 周囲を取り囲むように停車した、見慣れた独立党の車両。そこから駆け寄ってくる、屈強な党員たち。


「尊! 葵ちゃん! 無事か!」


 蕎麦にしゃがみ込んだ隊員の一人が、俺たちに声をかけ体を軽々と担ぎ上げる。葵もまた、別の隊員に抱えられながら車両へと向かっていた。


 俺は、意識が遠のいていく中で、自分が何をしたのかを、そして、葵が何をしてくれたのかを、ようやく理解した。


 俺が振るった、制御不能の破壊の力。

 それを、命懸けで止めてくれた、小さな守り神の存在。


 その二つの事実のあまりの重さに、俺はただ、為す術もなく意識を手放すことしかできなかった。


 ◇


 与野事務所に戻った俺は、医務室のベッドに寝かされていた。

 隣のベッドでは、葵が静かな寝息を立てている。彼女もまた深い眠りに落ちているようだった。




「……目が覚めたか、尊」


 静かな声に顔を向けると、そこには腕を組んだ浜田さんが、安堵と疲労が入り混じった複雑な表情で立っていた。


「浜田さん……。葵は……?」

「ああ、大丈夫だ。あいつはただのエネルギー切れだったようだ。お前さんこそ、無茶をしやがって。一歩間違えれば、お前自身の力でお前が死んでいたところだぞ」


 その言葉に、俺はぐっと唇を噛みしめる。死ぬことへの恐怖ではない。自分が振るった、あの力の恐ろしさが、今更ながらに全身を蝕んでいた。


 俺の体は、詩織さんの巫女としての力と、独立党が持つ医療技術の限りを尽くした治療を受けて、なんとか動けるまでには回復していた。だが、内側から破壊された筋肉や神経のダメージは、まだ生々しく残っている。


「今回の作戦、成果はあった。民間人への被害も大きくない。帝国軍からの衝撃波攻撃で数人と逃げるときに転んでけがした人が居たくらいだ。お前の攻撃による被害は出てないから安心しろ」

 そういって優しい口調で続ける。


「だが、お前たちが負った代償はあまりに大きすぎた。……すまなかったな。俺の判断が、お前たちを危険に晒した」


 浜田さんが、深く頭を下げる。

 違う。浜田さんのせいじゃない。俺が、俺の力が未熟だったからだ。


「……ゆっくり休め。今は、何も考えなくていい」


 浜田さんはそう言って、俺の肩を軽く叩くと、静かに医務室を出ていった。その背中が、やけに遠く感じられた。


 一人残された部屋に、静寂が戻る。

 俺は、ゆっくりと自分の右手を見つめた。あの黒い破壊の奔流を生み出した手。この手は、本当に仲間を守るためのものなのか? それとも、いつか大切な人たちを傷つけ、破壊し尽くすためのものなのか?


(俺は、何をしたんだ……?)


 脳裏に、葵の苦しげな顔が浮かぶ。茉奈の悲鳴が耳の奥で反響する。

 俺は、仲間を危険に晒しただけじゃない。葵に、あんな無茶をさせた。茉奈を、あんなに心配させた。


 自分の力が怖い。

 怒りに我を忘れた自分が、怖い。


 俺は、隣で眠る葵の寝顔を見つめた。その安らかで、無垢な寝顔が、俺が守りたいと願った日常そのものであるはずなのに、今はそれを見ることさえ罪のように感じられた。


 もし、あの時、葵が止めてくれなかったら?

 もし、あの力が、葵や、他の仲間たちに向けられていたら?


 その想像は、全身の血が凍るほどの恐怖となって、俺の心を支配した。


(この力は、まだ俺のものじゃない。でも、手に入れなければ……いや、違う。俺は、この力を持っていてはいけないんじゃないか……?)


 守るための力だと信じていたものが、最も守りたいものを壊しかねない凶器だったという事実。

 その矛盾が、俺の心を深く、静かに引き裂いていく。


 荒ぶる神の力の一端に触れた代償は、あまりにも大きかった。

 少年は、守るべき光を前にして、自らが抱えた闇の深さに、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


 自分自身の内に潜む、荒ぶる神を抱え……

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次回は 3月26日(木) 19時 更新予定です

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