第七夜 激高
絶望。
その一言が、これほどまでにしっくりくる状況があっただろうか。
俺は背中の葵を庇いながら、迫りくる衝撃波を拳で打ち払い、飛来する瓦礫を蹴り砕く。だが、それは焼け石に水だった。次から次へと、無慈悲な攻撃の波が押し寄せる。
「ぐっ……!」
拡声器から響く、冷たく無機質な合成音声。その言葉を嘲笑うかのように、ゴーレムたちは周囲に逃げ惑う一般市民がいることなどお構いなしに、非殺傷設定だという衝撃波や電磁パルス弾を乱射し始めた。
「きゃあああっ!」
「助けて!」
阿鼻叫喚。
衝撃波がアスファルトを抉り、建物の窓ガラスを粉々に砕く。人々はパニックに陥り、泣き叫びながら逃げ惑うが、その逃げ道すらゴーレ-ムによって塞がれていた。
「くそっ……!」
俺は歯を食いしばる。多勢に無勢。何より、周囲の一般市民を巻き込むわけにはいかず、思うように動けない。葵の結界がなければ、俺たちも、そしてこの場にいる多くの人々も、とっくに蜂の巣にされていただろう。
だが、その葵も限界が近い。
その時だった。
一体のゴーレムが、その単眼のセンサーをゆっくりと動かし、一つのターゲットに照準を合わせた。
建物の陰で、泣き叫ぶ幼い子供を抱きしめ、身を縮こまらせている母親。
――やめろ。
俺の脳が、警鐘を鳴らす。
――やめろ。
ゴーレムの腕部が変形し、衝撃波を発射するための砲口が、無慈悲にその母子へと向けられる。
――やめろ。
脳裏に、あの光景がフラッシュバックする。
東富士の地下施設。冷たい緑色の液体で満たされた、無数のカプセル。その中で、まるで標本のように浮かんでいた、小さな子供たちの亡骸。開かれたままの瞳は、何を映すこともなく虚空を見つめていた。その中の一つ、小さな女の子のカプセル。その手には、ボロボロになったクマのぬいぐるみが、まだ固く、固く握りしめられていた。
――助けを求める声も上げられず、ただ弄ばれ、命を奪われていった、無数の小さな命。
帝国に虐げられてきた、全ての人々の顔が、怒り、悲しみ、絶望に歪んだ顔が、次々と脳裏を駆け巡る。
「やめろぉぉぉぉぉっ!!」
俺は叫び、地を蹴った。
守らなければ。あの子たちを、死なせるわけにはいかない。
だが、俺の願いも、叫びも、無情な現実に届くことはなかった。
俺が飛び出すよりもコンマ数秒早く、ゴーレムの砲口からまばゆい光が放たれる。衝撃波が、寸分の狂いもなく母子を直撃した。
――間に合わない。
その事実が、俺の中で何かのタガを、決定的に引きちぎった。
「……ぁ……」
喉の奥から、声にならない音が漏れる。
「……あ……ああ……」
違う。
違う。
違う。
こんな結末は、間違っている。
「……ふざけるな……」
ぽつりと、唇から言葉がこぼれ落ちた。
その瞬間、俺の全身から、黒く、禍々しいオーラが立ち上り始めた。それはいつもの神使化の兆候とは明らかに違う。純粋な怒り。底知れない憎悪。そして、全てを破壊し尽くさんとする、純粋な破壊衝動の奔流。
《尊!? どうしたの!? ……熱い! 痛い! 焼けるみたい!》
茉奈の悲鳴のような声が、脳内に響く。だが、今の俺には、その声すらも遠い世界のノイズのようにしか聞こえなかった。
俺の視線は、無意識に、近くにあった一つのものに吸い寄せられていた。
古びた、しかし確かな存在感を放つ、石の鳥居。
――素盞雄神社。
この地を守る、古社。そこに祀られるは、八百万の神々の中でも随一の荒ぶる神。高天原の秩序を乱し、追放された破壊の神。
――須佐之男命。
俺の中で燃え盛る「理不尽な暴力への怒り」が、その地に眠る神の神性と、共鳴を始める。
「――お前たちの正義など」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳に宿るのは、もはや俺自身の意志ではない。もっと根源的で、荒々しい、神の怒りそのもの。
「俺が、叩き壊す」
呟きが、号令となった。
俺の足元から、黒い稲妻が迸った。
それは、雷光などという生易しいものではない。空間そのものを歪ませ、捻じ曲げ、引き裂くような、純粋な「破壊の力」の奔流だった。
黒い塊は、意思を持った津波のように周囲のゴーレム群へと殺到する。
鋼鉄の装甲が、まるで紙屑のように引き千切りられ、内部の精密機械が火花を散らして弾け飛ぶ。一瞬。ほんの一瞬で、俺たちを囲んでいたゴーレムたちは、その全ての機能を停止し、ただの鉄塊となって地に崩れ落ちていった。
圧倒的な力。
だが、その力はあまりにも荒々しく、制御などという概念からは程遠い。
「ぐっ……ぁ……あああああっ!」
俺自身の体も、その凄まじい力の奔流に耐えきれず、内側から軋みを上げていた。骨が砕け、筋肉が断裂するような激痛が全身を駆け巡る。
ドサリ、と。
俺はついに膝をつき、荒い息を繰り返した。視界が明滅し、意識が遠のいていく。
俺の視界の端で、葵の結界が母子を優しく包み込み、衝撃から守り切ったのが見えた。だが、その事実に安堵する余裕は、今の俺にはなかった。
(このままじゃ……俺も、みんなも……)
暴走しかけた力が、俺自身の命さえも焼き尽くそうとした、その時。
ふわり、と。
温かく、優しい光が、俺の体を包み込んだ。
「――尊にーちゃん、しっかりして!」
背後から聞こえた、か細くも、凛とした声。
葵だった。
消耗しきっていたはずの彼女が、最後の、本当に最後の力を振り絞り、新たな「守護領域」を展開していた。その青白い光の壁が、俺の中から溢れ出す黒い破壊の力を、かろうじて押しとどめてくれていた。
「……あ、おい……?」
葵の声に、俺ははっと我に返る。
目の前に広がるのは、沈黙したゴーレムの残骸。そして、その向こうで、何が起きたのか理解できずに立ち尽くす人々。
俺は、自分が何をしたのかを理解し、全身が総毛立つほどの戦慄を覚えた。
俺は、人を殺す力を、振るってしまったのか……?
「尊にーちゃん……!」
俺の背中に、小さな体がもたれかかってくる。振り返るまでもなく、それが葵だと分かった。彼女はもう、立っていることさえできないほどに、消耗しきっている。
「……ごめん、葵。俺は……」
謝罪の言葉は、最後まで続かなかった。
俺が振るった、制御不能の破壊の力。
それを、命懸けで止めてくれた、小さな守護者の存在。
その二つの事実のあまりの重さに、俺はただ、呆然と膝をつくことしかできなかった。
荒ぶる神の力の一端に触れた代償は、あまりにも、大きすぎた。
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次回は 3月23日(月) 19時 更新予定です




