第六夜 窮地
覚醒の余韻に浸る時間は、一瞬たりとも与えられなかった。
《――尊っ!!》
脳内に叩きつけられた茉奈の絶叫は、今まで聞いたことがないほど切羽詰まっていて、俺の背筋を凍らせるには十分すぎた。
《帝国の監視システムが、上野公園で発生した高エネルギー反応を捕捉! まずい! 急速に接近してくる機影が多数! ドローン部隊よ! すぐにそこから離れて!!》
茉奈の警告と、遠くから聞こえ始めたけたたましいサイレンの音が、悪夢の始まりを告げるファンファーレのように重なる。空を見上げれば、いくつもの黒い点が、まるで獲物を見つけた猛禽類のように、恐ろしい速度でこちらへ向かってくるのが見えた。
「チッ……! もう来たか!」
俺は短く舌打ちすると、覚醒の消耗でふらついている葵の体を、躊躇なく背負い上げた。思ったよりもずっと軽い。だが、その小さな体に宿った力の重さは、物理的な質量などとは比べ物にならない。
「葵、しっかり捕まってろ! 振り落とされるなよ!」
「う、うん……!」
背中に感じる葵の温かい体温と、微かな寝息のような呼吸。その存在が、この絶望的な状況下で、俺に不思議なほどの落ち着きを与えてくれる。
俺は地を蹴った。
目指すは、上野の森を抜けた先、複雑に入り組んだ市街地。あのビル群の中に紛れ込めば、追跡を撒けるかもしれない。
だが、帝国の追手は俺の想像を遥かに上回る速度で、そして執拗さで、包囲網を狭めてきていた。
《尊、右! 右から来る!》
脳内に響く茉奈の声と同時に、右手の路地から黒い影が二つ、高速で飛び出してきた。蜘蛛のような多脚を持つ、帝国軍の最新鋭偵察ドローンだ。その中央に埋め込まれた単眼のカメラが、不気味な赤い光を点滅させながら、俺たちを正確に捉える。
ピピピッ、と電子音が鳴り、ドローンの下部からワイヤー付きの捕縛アームが射出される。狙いは、俺の足。
「させるか!」
俺は精神を研ぎ澄ませ時の流れをコンマ数秒だけ引き延ばす。迫りくるワイヤーの軌道を完璧に見切り、最小限の動きでそれを回避。すれ違いざま、足元に転がっていた手頃な石を蹴り上げた。
石は正確にドローンの一機に命中し、火花を散らしてその動きを止める。だが、もう一機がその隙を逃さず、さらに距離を詰めてきた。
《尊、詩織さんがルートを見つけてくれた! 今から送る!》
茉奈の緊迫した声と共に、俺の視界の隅に、青白い光で描かれたナビゲーションラインが浮かび上がる。それは、この上野の複雑な地形を熟知し、さらに敵の配置を予測した上で導き出された、唯一の活路。
《――次の角を右! その先の商店街を突っ切って!》
「わかった!」
俺はナビに従い、迷わず左の路地へと飛び込む。背後で、追撃してきたドローンが壁に激突する音が聞こえた。
シャッターが下りた薄暗い商店街を、俺は全速力で駆け抜ける。アーケードの天井に設置された監視カメラが、まるで生きているかのように俺たちを追ってくるのが分かった。その映像は、リアルタイムで帝国の司令部へと送られているのだろう。
「尊にーちゃん……ごめん、なさい……私の、せいで……」
背中で、葵が消え入りそうな声で謝罪の言葉を口にする。自分の力が、仲間を危険に晒してしまった。その罪悪感が、彼女の小さな心を苛んでいるのが痛いほど伝わってきた。
「お前のせいじゃない。これは、俺たちの戦いだ」
俺は、自分に言い聞かせるように、力強く言った。
「それに、お前が手に入れた力は、俺たちにとって希望の光だ。だから、今は何も考えるな。ただ、俺にしっかり捕まっててくれ」
俺の言葉に、葵は「……うん」と小さく頷き、俺の背中にぎゅっとしがみついた。
商店街を抜けた先、視界が開ける。だが、そこに広がっていたのは、希望ではなく絶望だった。
「こっちもダメか……!」
思わず、悪態が口をつく。
目の前の大通りは、既に帝国軍の装甲車によって完全に封鎖されていた。おびただしい数のドローンが上空を旋回し、こちらへ向かってくる。
《尊! まずい、挟まれた! 不忍池方面からも別部隊が回り込んでる!》
茉奈の悲鳴が、状況の絶望的さを裏付ける。詩織さんの予知すら上回る、帝国の圧倒的な物量と展開速度。これが、世界を支配する帝国の力か。
「ここまで、か……」
《待って! まだ道はある! 尊、左! その先の細い路地へ!》
詩織さんの予知と茉奈のナビが、新たな活路を指し示す。それは、ビルとビルの隙間に辛うじて残された、人ひとりがやっと通れるほどの暗く狭い裏路地だった。
「了解!」
俺は迷わずそちらへ飛び込む。背後で、装甲車から放たれた威嚇射撃の弾丸が壁を抉り、火花を散らした。
息もつけないほどの疾走。入り組んだ路地を抜け、古びた石の鳥居が見えた。
荒川区南千住この辺り一帯の土地を守る、古社だ。だが、神域にたどり着いた安堵も束の間、俺たちの前後に、ついに帝国軍のドローン部隊がその姿を現した。退路は完全に断たれた。
「葵、俺の後ろから絶対に離れるな」
「……うん」
葵の声は震えていたが、その瞳には恐怖だけではない、強い意志の光が宿っていた。彼女は覚醒したばかりの、まだ不完全な防御の力を、その小さな体に必死に集めている。
装甲車の上部ハッチが開き、拡声器を通した、冷たく無機質な合成音声が響き渡る。
『――警告する。対象コード:アルファ。及び、対象コード:ベータ。全ての抵抗を停止し、投降せよ。繰り返す。全ての抵抗を停止し――』
投降? ふざけるな。
投降した先に待っているのが、東富士の地下施設のような地獄だということは、分かりきっている。
俺は無言で、背中の葵を庇うように半身になる。その行動が、俺の答えだった。
『――警告。最終勧告を無視。これより、対象の武力による無力化を開始する』
合成音声の宣告と同時に、ドローン部隊が一斉に動き出す。その銃口は、俺たちだけではない。この場に居合わせた、逃げ惑う一般市民にも無差別に向けられていた。
「やめろっ!」
俺の叫びも虚しく、非人道的な攻撃の火蓋が切って落とされる。
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次回は 3月19日(木) 19時 更新予定です




