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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第一章 神域調査
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第五夜 支援

 日本独立党与野事務所。その一室は、先ほどまで安堵と期待の入り混じった、温かい空気に満たされていた。


『――尊にーちゃん……。私、手に入れたよ。みんなを、守れる力を……』


 精神リンクを通じて聞こえてきた葵の、少しだけ大人びた、それでいて誇らしげな声。そして、彼女の覚醒によって放たれた、温かく、力強く、そしてどこまでも慈愛に満ちた青白い光の奔流。

 その神々しいまでの光景を、水城茉奈は自らのことのように喜び、胸を熱くしていた。


「よかった……本当によかったね、葵ちゃん……」


 思わず漏れた安堵のため息。隣に立つ詩織も、普段の厳しい表情をわずかに緩め、満足げに頷いている。全体指揮を執る浜田も口の端を吊り上げていた。


「大したものだ。葵は俺たちの想像をはるかに超える宝物かもしれん」


 新たに仲間が、大きな力を手に入れた。それは、帝国という巨大な壁に立ち向かう俺たちにとって、何物にも代えがたい希望の光。このまま無事に二人を回収できれば、作戦は完璧な成功と言えるだろう。


 誰もが、そう信じて疑わなかった。


 その、あまりにも楽観的な空気を切り裂いたのは、茉奈の口からほとばしった、悲鳴とも絶叫ともつかない叫びだった。


「―――ッ!!」


 突如、茉奈の脳内に、今まで感じたことのないほどの強烈なノイズが叩きつけられた。それは、葵が放った神聖な光の奔流とは全く異質の、冷たく、無機質で、明確な殺意を帯びたエネルギーの波動。


「茉奈!?」


 詩織が驚いて彼女の肩を支える。だが、茉奈の耳にはもう、その声は届いていなかった。

 彼女の『広域視覚リンク』が捉えた光景。それは、希望に満ちた青白い光ではない。


 東京の上空を、蝗の群れのように埋め尽くす、無数の黒い点。

 帝国の紋章が刻まれた、最新鋭の自律型戦闘ドローン。その一つ一つが、寸分の狂いもなく、一つの座標――上野公園へと向かって、恐ろしい速度で突き進んでくる。


「だめ……!」


 脳が理解するよりも早く、喉が張り裂けんばかりに絶叫していた。


「帝国ドローン、多数接近ッ!! 尊! 葵ちゃん! すぐにそこから離れて!!」


 その一言が、事務所の空気を一瞬で氷点下まで凍りつかせた。


「――なんだと!?」


 浜田の表情から、瞬時に飄々とした笑みが消え失せる。代わりに現れたのは、幾多の戦場を潜り抜けてきた者だけが持つ、冷徹で鋭利な光だった。彼は椅子を蹴立てるように立ち上がると、矢継ぎ早に指示を飛ばす。その声は、先ほどまでの穏やかさなど微塵も感じさせない、鋼のような響きを持っていた。


八咫(ヤタ)! 帝国軍の首都防衛ネットワークにハッキング開始! 目標、上野周辺の警備ドローン! 3分以内に全て沈黙させろ! すぐにやれ!」


Acknow()ledged(), Master.(マスター)


 執務室の奥、隠されたサーバルームから、合成音声でありながら絶対的な自信を感じさせる返答が響く。


 浜田はインカムのマイクを口元に引き寄せ、さらに叫んだ。


「回収部隊、全隊員に通達! コード・レッド、第一種戦闘準備! 目標は上野公園、5分で出動しろ! 急げ!」


 その背中は、もはや茉奈たちの知る人の好い兄貴分ではない。部下の命を預かり決断を下す、孤高の指揮官そのものだった。


「詩織!」

「わかっておる!」


 浜田の呼びかけに、詩織は既に動いていた。彼女の指が、まるでピアノを奏でるかのように高速でキーボードを叩き、メインモニターに上野公園周辺の立体地図を瞬時に展開させる。無数のビル、複雑に入り組んだ路地、地下鉄の路線図、下水道の配管に至るまで、あらゆる情報がレイヤーとなって地図上に重ねられていく。


「尊、葵! 聞こえるか! 私の声が聞こえるなら応答せよ!」


 詩織の切羽詰まった声が、スピーカーを通じて響く。数秒のノイズの後、尊の荒い息遣いと、緊迫した声が返ってきた。


 《……聞こえる! クソッ、もう囲まれ始めてる!》


「案ずるな! これから最適ルートを送る! 茉奈のリンクに集中しろ!」


 詩織の瞳が、常人には捉えきれない速度でモニター上を走る。彼女の巫女としての力――『予知』。それは、未来の断片的な映像として、彼女の脳裏に流れ込んでくる。


(――次の角、右から装甲車が二両。上空、南東方向から狙撃ドローンが三機。路地裏、人の気配はないが、マンホールからステルスドローンが……!)


 脳内に流れ込む膨大な未来の可能性。その全てを瞬時に計算し、リアルタイムで変化する敵の配置を予測しながら、生存確率が最も高い、針の穴を通すような逃走経路を割り出していく。それは、もはや人間の思考速度を超えた、神業の領域だった。


「見えた……! 茉奈、このルートデータを尊へ!」


「はいっ!」


 茉奈は、詩織からわたされたルートデータを、自らの精神を中継点として、前線で戦う尊の脳内へと直接転送する。それは、彼女の精神に凄まじい負荷をかける行為だった。だが、今はそんなことを言っていられない。


 《――尊っ!!》


 茉奈は、精神の全てを集中させ、彼の意識へと呼びかける。


 《聞こえる!? 詩織さんがルートを見つけてくれた! 今から送る!》


 脳内に直接響く、緊迫した茉奈の声。その声に応えるように、尊の視界の隅に、青白い光で描かれたナビゲーションラインが浮かび上がる。


 《――次の角を右! その先の商店街を突っ切って!》


「わかった!」


 短い返事と共に、尊が地を蹴る気配が伝わってくる。背中には、覚醒の消耗で意識が朦朧としている葵を背負っているはずだ。その重さを感じさせない、驚異的な速度。


 後方支援チームの戦いは、ここからが本番だった。


「浜田! 八咫の状況は!?」


 詩織が叫ぶ。


「上々だ! 上野周辺の監視カメラ、7割を掌握! 残りも時間の問題だ! だが、敵のドローンは一部独立したネットワークで動いてやがる! 完全には止められん!」


「それで十分じゃ! 敵の『目』を少しでも潰せれば、尊たちが動ける範囲は広がる!」


 モニターには、詩織が予測した敵の動きと、YATAがハックしたカメラによって映し出されたドローンが展開していく様子がリアルタイムで表示されていく。その誤差は、ほとんどない。詩織の予知能力の精度に、浜田は内心で舌を巻いた。


 だが、敵の数と展開速度は、こちらの想像を遥かに上回っていた。


「不忍池方面からも別部隊が回り込んでくる! このままじゃ、はさまれる……!」


 茉奈の悲鳴。彼女の反応を通じて、尊たちがじりじりと包囲網に追い詰められていくのが、手に取るように分かった。


「詩織! 別ルートは!?」

「ない! どこもかしこも、ドローンの群れじゃ! このままでは……!」


 絶望的な状況。

 前線で戦うのは、尊と葵の二人だけ。

 後方で支援する俺たちに、物理的にできることは何もない。


 だが、諦めるわけにはいかない。


「八咫! まだ何か手はないのか!」


 浜田の怒声に、YATAが冷静な合成音声で応える。


『マスター。一つ、提案があります。リスクは高いですが、成功すれば、一時的に敵の指揮系統を麻痺させることが可能です』


「言え」


『帝国軍のドローン制御システムに、指向性の強いウイルスを直接送り込みます。ただし、そのためには、敵の防壁を物理的にこじ開ける必要があります』


「どうやって!」


『――帝国軍の通信中継基地局の回線へ直接、物理インターフェイスを強制接続。そこから指向性ウイルスを流し込みます』


 その、あまりにも荒唐無稽かつ物理的なハッキング手法に、誰もが息を呑んだ。それは、厳重に警備された敵の施設に潜入し、直接回線をこじ開けるという自殺行為に等しい作戦だった。


「正気か、お前……! へたすれば、俺たちの動向が帝国にバレるぞ!」


『リスクは承知の上です。ですが、このままでは、尊と葵の生存確率は3%未満。実行した場合、成功すれば生存確率は45%まで上昇します。下手をしなければ問題ありません。マスターの技術があれば、ですが』


 45%。

 それは決して高い数字ではない。だが、3%という絶望的な数字に比べれば、天国と地獄ほどの差があった。


 決断の時は、一秒もない。


 浜田は、奥歯をギリ、と強く噛みしめた。そして、覚悟を決めた声で、叫んだ。


「――わかった。俺が行く。YATA、近くの中継基地局は?昔作った物理インターフェースで使えそうなものは?使用後遠隔爆破できるものはあるか?」


『マスターの判断を肯定します。最も近い中継基地局は、南東へ2km、さいたま新都心合同庁舎付近の地下通信ケーブル共同溝内。ガレージに保管されている物理インターフェイス『タイプ3』が適合します。同デバイスには小型の指向性爆薬が内蔵されており、任務完了後の遠隔での証拠隠滅が可能です』


 八咫からの淀みない返答が、新たな戦いの火蓋を切った。


「詩織、茉奈! 俺は実働部隊を率いて基地局に穴をあけてくる! その間、二人のサポートは俺が戻るまでお前たちに任せる! いいな!」


「……了解!」

「わかってます!」


 詩織と茉奈の、力強い返事が響く。


 浜田は部屋を飛び出していく。その背中を見送りながら、茉奈は再び精神を集中させた。


 《尊! 聞こえる!? 今から、浜田さんたちが陽動を仕掛ける! ほんの数分、いや、数十秒かもしれないけど、必ず敵の動きが鈍る瞬間が来る! そこを突いて!》


 前線の二人と、後方の三人。そして、今まさに戦場へと向かう回収部隊。

 物理的には離れていても、心は、想いは、一つに繋がっている。


 俺たちは、チームだ。

 一つの生命体のように連携し、この絶望的な状況を、必ず乗り越えてみせる。


 後方支援チームの総力を挙げたサポートが、今、本当の意味で始まった。

 帝都のど真ん中で繰り広げられる、絶望的な逃走劇。その幕は、まだ上がったばかりだった。


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次回は 3月16日(月) 19時 更新予定です

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