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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第一章 神域調査
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第四夜 覚醒

 首都高速を降り、上野の森へと足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 都心の喧騒が嘘のように遠のき、木々の葉が擦れ合う音と、土の匂いが俺たちを包み込む。だが、それだけではない。何か、もっと根源的で、神聖な気配がこの場所には満ちていた。


「……すごい。あったかい」


 隣を歩く葵が、うっとりとした表情で呟く。

 増上寺へ向かっていた時とは比べ物にならないほど、彼女の顔は晴れやかだ。まるで、長い間離れ離れになっていた故郷に帰ってきたかのような、深い安堵の色が浮かんでいる。


「こっちだよ、尊にーちゃん。呼ばれてる。ずっと、ずっと前から」


 彼女はそう言うと、俺の手をぎゅっと握り、まるで引力に引かれるかのように、森の奥へと歩みを進め始めた。その小さな背中からは、先ほどまでの不安など微塵も感じられない。確かな意志と、目的地への絶対的な確信が満ち溢れていた。


 俺は、脳内に響く茉奈の声に応えながら、葵の後を追う。


 《尊、葵ちゃんの様子は? 私の力でも、上野公園一帯の神気が異常な高まりを見せてる。特に、公園の中心部……寛永寺のあたりが、まるで太陽みたいに輝いて見えるわ》


「ああ、こっちもだ。葵に迷いはない。まるで、最初からここに来ることが決まっていたみたいにな」


 木漏れ日が降り注ぐ道を抜け、視界が開ける。そこに現れたのは、江戸の鬼門を守り続けてきた徳川家の菩提寺、東叡山寛永寺。その中心に鎮座する根本中堂の、巨大で荘厳な姿だった。


 葵の足が、その前でぴたりと止まる。


 彼女は、まるで初めて見る宝物でも見つけたかのように、目をキラキラと輝かせながら、根本中堂を見上げていた。風が彼女の銀髪を優しく揺らす。その姿は、あまりにも神聖で、この世のものとは思えないほど美しかった。


「ここだ……。私を呼んでたのは、ここなんだ……」


 葵はそう呟くと、俺の手をそっと離し、一人でゆっくりと根本中堂へと歩み寄っていく。その一歩一歩は、まるで古の儀式に則った巫女の舞のようだ。俺は、ただ息を呑んで、その光景を見守ることしかできなかった。


 根本中堂の前に立った葵は、静かに目を閉じた。そして、小さな両手を胸の前でそっと合わせる。


 その瞬間、彼女の周りの空気が、ふわりと揺らいだ。


 彼女の唇が、微かに動く。声にはなっていない。だが、俺の脳内に直接、彼女の祈りが、魂の叫びが、流れ込んでくる。


『――どうか、私に力をください』


 それは、どこまでも純粋で、切実な願いだった。


『尊にーちゃんが、いつも一人で戦ってる。茉奈ちゃんが、いつも心配そうに私たちを見守ってる。煉が、自分の無力さに唇を噛んでる。みんな、本当は怖いはずなのに、必死に戦ってる』


 脳裏に、仲間たちの顔が次々と浮かぶ。東富士の地下施設で見た、絶望に染まった子供たちの瞳。帝国という巨大な悪意。そして、それに立ち向かう、か弱くも尊い仲間たちの姿。


『私、もう見ているだけなのは嫌なんです。ただ守られて、ありがとうって言うだけの、お荷物なのはもうたくさんなんです』


 葵の小さな拳が、ぎゅっと強く握りしめられる。


『私が、みんなの盾になりたい。尊にーちゃんや茉奈ちゃん、煉……みんなが、安心して戦える場所を、私が作りたい。私が、みんなを守れる、帰ってこれる温かい場所いえになりたいんです!』


 その祈りは、もはや個人的な願いではなかった。仲間を、家族を、その全てを守り抜きたいという、自己犠牲をも厭わぬ、崇高な愛の誓い。


 その、あまりにも真っ直ぐな祈りに、神域が応える。


「――ッ!?」


 葵の体から、青白い光が奔流となって溢れ出した。


 日光東照宮で見た光とは、比べ物にならない。あの時の光が、一点を貫く鋭いレーザーだったとすれば、今この瞬間に放たれている光は、全てを優しく包み込む、太陽そのものだった。温かく、力強く、そしてどこまでも慈愛に満ちた光が、上野の森全体を、いや、東京の空さえも白く染め上げていく。


「なんだ、これは……!?」


 俺は咄嗟に腕で顔を覆う。あまりの光量に、目が眩みそうだ。


 《尊! 何が起きたの!? 神域のエネルギー反応が、台東区全体を覆うレベルまで急上昇してる!! 》


 茉奈の悲鳴のような声が、脳内に響き渡る。


 光の中心で、葵の体はふわりと宙に浮いていた。閉じた瞼から、一筋の涙が静かに流れ落ちる。それは、悲しみの涙ではない。自らの願いが聞き届けられたことへの、歓喜と感謝の涙だった。


 彼女の新たな力。

 それは、日光東照宮で得た「個」を守るための盾の力とは、全く性質の異なるものだった。


 指定した範囲内に、物理的・精神的な攻撃を緩和する結界を展開する能力。

 仲間たちが安心して背中を預けられる、絶対的な安全地帯。


 それは、まさしく「仲間」を守るための陣地。


 守護領域(サンクチュアリ)


 葵の願いが、神の力を借りて、今、ここに顕現したのだ。


 やがて、光の奔流はゆっくりと収束し、葵の体へと吸い込まれていく。ふわりと浮いていた体は、重力に従って静かに地面へと降り立った。


「……葵!」


 俺は駆け寄り、その小さな肩を支える。彼女はゆっくりと目を開けた。その瞳には、先ほどまでの幼さはなく、全てを包み込むような、女神のごとき慈愛の光が宿っていた。


「尊にーちゃん……。私、手に入れたよ。みんなを、守れる力を……」


 そう言って、彼女はふわりと微笑んだ。その笑顔は、今まで見たどんな笑顔よりも、力強く、そして美しかった。


 俺は、言葉を失い、ただ彼女を見つめることしかできなかった。胸の奥から、熱いものがこみ上げてくる。


 だが、その感動的な覚醒の余韻に浸る時間は、俺たちには与えられなかった。


 その強大な光の奔流は、帝国の監視網から逃れられるはずもなかったのだ。


 《――尊っ!!》


 脳内に、今まで聞いたことがないほど切羽詰まった、茉奈の絶叫が突き刺さる。


 《帝国の監視システムが、上野公園で発生した高エネルギー反応を捕捉! まずい! 急速に接近してくる機影が多数! ドローン部隊よ! すぐにそこから離れて!!》


 茉奈の警告と同時に、遠くからけたたましいサイレンの音が聞こえ始めた。空を見上げれば、いくつもの黒い点が、恐ろしい速さでこちらへ向かってくるのが見える。


「チッ……! もう来たか!」


 俺は舌打ちし、覚醒の消耗でふらついている葵の体を、軽々と背負い上げた。


「葵、しっかり捕まってろ! 振り落とされるなよ!」

「う、うん……!」


 葵の温かい体温と、微かな寝息のような呼吸を背中に感じながら、俺は地を蹴った。


 神々の祝福は、同時に帝国という災厄を呼び寄せた。


 覚醒の余韻に浸る間もなく、帝都のど真ん中で事態は一転……

 俺たちの命を懸けた逃走劇が、幕を開けた。

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次回は 3月12日(木) 19時 更新予定です

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