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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第一章 神域調査
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第二夜 出立

 事務所の駐車場には、独立党の活動に使われている、変哲もないグレーのバンが停まっていた。これから俺と葵を、敵地のど真ん中である東京へと運ぶ、頼れる相棒だ。


「尊」


 バンに乗り込もうとした俺の背中に、重く、それでいて温かい声がかけられた。振り返ると、そこには腕を組んだ浜田さんが、いつもの飄々とした笑みを消し、真剣な眼差しで立っていた。


「葵を、頼んだぞ」


 その声は、日本独立党の指揮官としてのものではなく、一人の保護者としての響きを持っていた。


「はい」


 俺は短く、しかし力の限りを込めて応える。言葉は少なくとも、俺の覚悟は伝わったはずだ。


「だが、無理はするな。いいか、何よりもお前たちの無事が最優先だ。神域がどうとか、帝国の動向がどうとか、そんなもんは全部二の次だ。危ないと思ったら、迷わず引け。俺が、必ずお前たちを回収する」


 その言葉は、俺の胸に深く、重く突き刺さった。

 そうだ。俺は一人じゃない。この人の、そして仲間たちの信頼を背負って、俺は戦うんだ。


「……わかっています」


 俺は浜田さんの目を真っ直ぐに見返し、力強く頷いた。その瞳の奥に宿る、父親のような深い愛情に、胸が熱くなる。


「いってきまーす!」


 そんな俺たちの間に、鈴が鳴るような明るい声が割り込んできた。

 振り返ると、バンの中から葵が満面の笑みで手を振っている。その瞳は、これから向かう場所がどれほど危険かなんて微塵も感じさせない、純粋な期待と好奇心でキラキラと輝いていた。


「もっとすごいの、見つけてくるからね! 尊にーちゃんと一緒なら、ちょーすごいのが見つかる気がするんだ!」


 根拠のない、しかし絶対的な信頼。その無邪気な笑顔が、俺の固く強張っていた心をふわりと解きほぐしてくれる。


「ああ。任せとけ」


 俺は葵に笑い返し、運転席へと乗り込んだ。


「茉奈、詩織さん。あとはお願いします」


 後部座席の窓から、見送りに来てくれた茉奈と詩織さんに声をかける。


「うん、気をつけてね、二人とも。尊、葵ちゃんのこと、お願いね」


 茉奈が、心配そうな、それでいて俺を信じてくれている瞳で頷く。彼女のその視線が、俺に何よりの力をくれる。


「尊よ。おぬしの役目は、葵の『目』と『耳』になることじゃ。葵が呼び声に集中できるよう、周囲の警戒を怠るな。そして、いざという時は、その身を盾にしてでも葵を守れ。よいな?」


 詩織さんの言葉は厳しいが、その根底にあるのは俺たちへの深い信頼だ。


「了解です」


 俺は短く応え、スターターを押す。エンジンが低い唸りを上げ、バンがゆっくりと動き出す。

 バックミラーに映る仲間たちの姿が、少しずつ小さくなっていく。


「茉奈、聞こえるか?」


 事務所から少し離れたところで、俺は意識を集中させる。


 《うん、ばっちり聞こえるよ。こっちの映像も問題ない。いつでもリンクできる》


 脳内に、茉奈の落ち着いた声が直接響く。彼女の新たな力『広域視覚リンク』。それは、俺の視界と彼女の広域探知能力を繋ぎ、戦場での生存率を飛躍的に高めてくれる、俺たちの命綱だ。


「よし。じゃあ、そろそろ東京に入る」


 俺はアクセルを踏み込み、バンを加速させた。

 それぞれの決意を胸に、俺たちの新たな戦いが、今、始まる。


 ◇


 バンは高速道路を順調に走り、埼玉から東京へと入った。

 車窓から流れる景色が、見慣れた田園風景から、灰色のビルが林立する無機質な都市の風景へと変わっていく。


「うわー! すごい! あれがスカイツリー!? テレビで見たまんまじゃんー!」


 後部座席の葵が、子供のようにはしゃいでいる。帝国から解放されてまだ日が浅い彼女にとって、見るものすべてが新鮮な驚きなのだろう。その無邪気な姿に、俺は思わず口元を緩めた。


 だが、俺の心は、そんな穏やかな気持ちとは裏腹に、静かな緊張感を保ち続けていた。


(――吸って、三秒。止めて、二秒。吐いて、十五秒……)


 俺は、浜田さんから教わった甲陽新陰流の呼吸法――『調息』を実践していた。長く、細く、静かに息を吐き出すことで、体中の余計な力を抜き、精神を研ぎ澄ませていく。


 これから向かうのは、帝国の支配が最も色濃い、敵地の中心。何が起こるか分からない。どんな敵が待ち受けているかも。だからこそ、常に最高の状態でいなければならない。


 ふと、ルームミラーに映る葵の姿に、俺は意識を向けた。

 さっきまで窓の外の景色に目を輝かせていた彼女は、今はじっと目を閉じ、何かを探るように意識を集中させている。その小さな眉間に、わずかに皺が寄っていた。


「どうした、葵。何か感じるか?」


 俺の声に、葵はゆっくりと目を開けた。


「うーん……。呼ばれてる感じは、ずっとしてる。あったかくて、優しい感じ。でも……」


 彼女は自分の胸に手を当て、首を傾げる。


「なんだろう。東京に近づくにつれて、色んな声が混ざって聞こえるっていうか……。うるさくて、どれが本当の『呼び声』なのか、わからなくなってきた……」


 不安そうに眉をひそめる葵。


 《尊、聞こえる? 葵ちゃんの言う通りかもしれない。東京は、人の想いや欲望、あらゆるエネルギーが渦巻いていて、神域の気配を正確に捉えるのが難しい。私の『神域図』でも、やっぱりノイズがひどくて……》


 脳内に響く茉奈の声が、葵の言葉を裏付ける。


「そうか……」


 やはり、一筋縄ではいかないらしい。

 詩織さんの推測通り、最初の目的地は増上寺で間違いないはずだ。だが、この都市のノイズが、葵の繊細な感覚を鈍らせている。


 俺は、後部座席の葵に声をかけた。


「葵、焦らなくていい。今は何も考えず、外の景色でも見てろ。目的地に着けば、きっと何か分かるはずだ」


「……うん」


 俺の言葉に、葵はこくりと頷き、再び窓の外へと視線を移した。その横顔には、まだ少しだけ不安の色が残っている。


 精神を集中させ、来るべき戦いに備える俺。

 未知の力への期待と、都会の喧騒への戸惑いを隠せない葵。


 対照的な俺たち二人を乗せ、バンは東京の中心部、芝公園を目指して走り続ける。


 葵の感覚だけが頼りの、先の見えない調査。

 その旅の始まりは、一抹の不安と、それでも胸に宿る確かな希望と共に、静かに幕を開けたのだった。


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次回は 3月5日(木) 19時 更新予定です

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