第四夜 不意
あれから、俺は検証という名目で茉奈の胸に何度か抱きしめられた。
ただ何も得られなかった。
季節は移ろい、その年の瀬も迫る頃。工場の仕事納めを終え、ささやかな懇親会の温かい余韻を胸に、二人は帰路についていた。心地よい夜風に吹かれ、街灯の光が二つの影を長く地上に描いていた。
「……今日は、ちょっと寒いね」
茉奈が笑いながら手をポケットに突っ込む。
俺も自然に手を重ね、互いに温もりを確認するように歩いた。
長く付き合っている幼馴染だから、互いの距離感は自然で、言葉にしなくても心が通じる瞬間がある。
家に着くと、月明かりが差し込む部屋。
二人は見つめ合いそっとベッドに腰を下ろした。
夜の静けさと淡い光が二人だけの空間を包む。
「……好きだよ」
茉奈の小さな声に、俺も自然に頷く。
唇を重ねる初めてのキスはぎこちなく、でも心の奥では熱を帯びていく。
服を脱がせ下着だけになった身体をそっとベッドに寝かせる。
体温がいつもより温かく感じる。柔らかさが肌に伝わる。
息遣いが少し荒い、いつものように心臓の鼓動が聞こえる距離――その瞬間、体に違和感が走った。
耳に届く音は細部までくっきりと分かれ、少し離れた公園の木々が奏でる葉の音まで聞き分けられる。
体の動きは重く、同時に過剰に反応し、手足が思うように動かない。時間の感覚は歪み、数秒が何倍にも引き伸ばされるようだ。
月明かりに照らされた自分の髪は黒く、おそらく目も深い黒に変化したのだろう。
肌に触れる昼の光や微かな風の冷たさまで鋭く感じられ、普段意識しない小さな感覚が過剰に意識される。
「……髪……黒い……?」
茉奈は一瞬息を止め、指先が小刻みに震える。
「えっ……尊、大丈夫……?」
声がかすれ、まるで自分でも信じられないように俺を見つめる。
俺はどうすることもできず、言葉も声も出ない。
胸の奥で動悸が走り、手が微かに痙攣する。
計画していた初めてのムードは、一瞬で吹き飛び、ただ二人で固まるしかなかった。
しかし、感覚の異常は鮮明で、耳に届く呼吸や微細な動きまで感じ取れる。
地下でのあの感覚が自分の部屋で再び蘇ったのだ。今回は茉奈の鼓動を一番強く感じることができる。
「……今じゃないだろ……」
心の中でそう呟くが、体は全身の筋肉が緊張し制御不能。明らかに前回地下に落ちた時よりも状況は酷い。
混乱と戸惑いの中、茉奈の手がそっと髪に触れ落ち着かせようとしてくれる。
「大丈夫……隣にいるから」
その声に少しだけ安堵し手の震えを抑えようとする。
だが、完全には止められず微かな痙攣が続く。
こうして、俺の初体験は、能力の制御不能による感覚暴走と覚醒によってあっけなく失敗に終わった。
胸元で感じる茉奈の柔らかさ、腕に伝わる体温、そして心臓の鼓動がかすかに伝わる距離――その温かさに、ほんのわずかだけ体が落ち着く。
だが同時に、自分の髪が黒く変わっていく異様さが脳裏をよぎり、もしこれが続いたらどうなるのか、背筋に冷たい恐怖が走る。混乱と安心が入り混じり、体はまだ完全に制御できない。
この体験は、もう二度と「普通」ではいられないことを予感させた。
外の月光は冷たく、体を元に戻そうとするかのように差し込む。
次回は 9月12日(金) 19時 更新予定です




