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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第三章 求道
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第六夜 醒煉

 昨夜、大洗の防波堤で尊さんにみっともなく泣きついてから一夜が明けた。

 眠れたのか、眠れなかったのか、自分でもよくわからない。ただ、尊さんが買ってくれた、あの甘ったるいチョコアイスの味だけが、妙に鮮明に舌に残っていた。


 車に揺られ、僕たちは次の目的地である鹿島神宮に到着した。

 日光東照宮と同じく、帝国占領下のこの国で、正月以外に神を祀る場所に訪れる者などほとんどいないのだろう。かつては多くの参拝客で賑わったであろう参道は静まり返り、掃き清められた玉砂利を踏む僕たちの足音だけがやけに大きく響いていた。


「……空気が、冷たいな」


 隣を歩く尊さんが、息を吐きながら呟く。それは単に気温が低いという意味だけではないだろう。肌を刺すような、それでいてどこか神聖で、心まで洗い清められるような、凛とした空気が境内全体を支配していた。


 大鳥居をくぐり、朱塗りの楼門を抜ける。その先に、荘厳な本殿が見えた。


「おっと、その前に」


 先頭を歩いていた浜田さんが、本殿へ向かおうとした僕たちを制し、脇にある社を指さした。


「本殿より先に、こっちの高房社(たかふさしゃ)を先に参拝するのが昔からの習わしらしい。旅の安全を祈願する神様だからな。まずはご挨拶しておこう」


 浜田さんに促され、僕たちは高房社の前で手を合わせる。

 昨夜、尊さんに言われた言葉が脳裏をよぎる。『自分だけの思い』。

 今の僕に、神様に伝えられるような、そんな確固たる思いはあるのだろうか。答えはまだ、見つからない。それでも、昨日よりは少しだけ、胸のつかえが取れたような気がした。顔を上げると、尊さんが「行こうか」とでも言うように、優しく微笑んでいた。


 本殿での参拝を終え、僕たちは茉奈さんの感知能力が示すマークの場所――奥参道のさらに先にある「奥宮」へと足を進めた。


 鬱蒼と茂る木々に囲まれた奥参道は、それまでの境内とは別世界だった。気温がさらに数度下がったかのように空気がひんやりと澄み渡り、太い幹を持つ木々の根元には、まるで緑色の絨毯のように苔がびっしりと張り付いている。僕たちの話し声すら吸い込んでしまいそうなほどの静寂が、そこにはあった。


「奥宮は、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康公によって奉納されたと伝えられておる」


 詩織さんが、その静寂を破るように説明を始めた。


「本殿には武甕槌(たけみかづちの)大神(おおかみ)が祀られておるが、この奥宮には、その『荒魂(あらみたま)』が祀られておるのじゃ」


「荒魂……ですか?」


 茉奈さんの問いに、詩織さんは深く頷く。


「うむ。武甕槌大神の四魂のうちの一つでな。神の荒々しく、力強く、生命力に溢れた側面……それが荒魂じゃ」


「神様の……魂……」


 僕が思わず呟くと、今度は浜田さんが僕の隣に並んで、優しい声で語りかけた。


「そうだよ。俺たちは、こんなに近くに神様がいてくれる国に生きてるんだ。煉、食事をするときに『いただきます』って手を合わせるだろ? あれも、作ってくれた人に感謝するだけじゃない。諸説あるけど、その食事一つに携わった全ての人に、そして、海や山の幸を与えてくれた神々に感謝する、大切な作法なんだ」


「感謝……」


 昨夜、尊さんに言われた『自分だけの思い』。そして、浜田さんが今口にした『感謝』。

 僕はずっと、自分の無力さに焦り、ただひたすらに力を求めていた。強くなって、みんなを守れるようになりたい。その一心だった。でも、もしかしたら、何かが足りなかったのかもしれない。


「だから、結果がどうであれ、俺はこの旅でみんなに何かを感じてほしかったんだ」


 浜田さんは、僕の心を見透かしたように続けた。


「それに、神様は懐が深く、慈悲深い。せっかくここまで来たんだ。いっぱい感謝して、いっぱい悩みを打ち明けてみても、バチは当たらないんじゃないかな?」


 その言葉は、まるで固く閉ざされていた僕の心の扉を、そっと開けてくれるようだった。

 悩んでいい。打ち明けていい。

 そうだ。僕は一人で抱え込みすぎていたのかもしれない。


「はい!」


 気づけば、僕は力強く返事をしていた。


「ほら、行っておいで」


 浜田さんはそう言って、僕の背中をポンと軽く押した。その温かい感触に後押しされ、僕は仲間たちから一歩前に出て、奥宮へと向かった。


 木々に囲まれた小さな社。しかし、その佇まいからは、本殿にも劣らないほどの威厳と、詩織さんの言っていた「荒々しい力」のようなものが感じられた。


 僕は社の前で深く頭を下げ、静かに目を閉じた。


 ――武甕槌大神様。


 心の中で、僕は祈りを捧げる。いや、それは祈りというより、もっと泥臭い、心の叫びだった。


『僕は……僕は今まで、帝国の言いなりでした。自分の意志なんてなく、ただ兵器として、言われるがままに人を傷つけました。でも、尊さんや茉奈さん、浜田さんたちに助けられ、自由を知りました。葵や、他の子供たちの笑顔を見て、守りたいものができました』


 脳裏に、独立党で出会ったみんなの顔が浮かぶ。


『もう二度と、僕みたいな苦しい思いをする子供を、帝国に作らせたくない。一人でも多くの子を、あの絶望から救いたいんです。そのために、僕は強くなりたい。尊さんの隣に立って、一緒に戦える力が欲しい!』


 焦りも、無力感も、嫉妬も、全部さらけ出した。


『どうか、僕に力を貸してください! 帝国に対抗するために、僕は何をすればいいのでしょうか!?』


 願いをぶちまけた、その瞬間だった。


 閉じた瞼の裏が、カッと白く染まる。

 驚いて目を開けると、奥宮の本殿の奥から、淡い黄色の光が放たれ、僕を照らしていた。それはまるで、舞台のスポットライトのように僕の体全体を覆い、やがて収束していく。光の束はどんどん細くなり、僕の胸の中心――心臓のあたりに、まるで吸い込まれるように集まり、そして、ふっと消えた。


 胸が、熱い。

 体の内側から、何かが溢れ出してくるような、強大なエネルギーの奔流。それは、今まで感じたことのない、荒々しくも力強い感覚だった。


『――汝の……願い……確かに聞き届けた。その思い、迷うことなく貫き通すがよい。そのための力を、汝に――』


 直接的な声ではない。だが、雷鳴のような、厳かな意志が、僕の魂に直接響いた気がした。


「煉……」


 背後から、心配そうな尊さんの声が聞こえる。僕はゆっくりと振り返った。


「大丈夫です!」


 自分でも驚くほど、晴れやかな声が出た。昨日までの憂いが、まるで嘘のように消え去っている。心の中は、希望と、そして授かったこの力への確信に満ちていた。


「ただ……」僕は自分の両手を見つめる。「ちょっと、ここで試すのはダメみたいです。この力は、たぶん……切り開くための力だから。帰ったら、試させてください」


「そうか。わかった」


 尊さんは、僕のすっきりとした、希望に満ちた表情を見て、心から安堵したように微笑んでくれた。その笑顔を見て、僕は改めて思う。ああ、この人の隣に立つために、僕は力を得たのだ、と。


「ふむ。それぞれに大きな収穫があったようじゃな。良い旅になった」


 満足そうに頷いた詩織さんが、帰路を促す。


「そろそろ事務所に戻るかの」


 僕たちは、それぞれの胸に新たな決意と希望を抱き、神域を後にした。

 僕の胸の奥では、授かったばかりの光が、その出番を待ちわびるように、静かに、しかし力強く脈打っていた。


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次回は 2026年02月12日 19時 更新予定です

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