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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第三章 求道
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第五夜 憂慮

 日光東照宮を後にして、僕たちは次の目的地である鹿島神宮へ向かうため、道中にある大洗の街で一泊することになった。


 夜。

 ホテルの一室でじっとしているのが、どうにも落ち着かなかった。胸の中に渦巻く、黒くて重たい感情を持て余し、僕は誰にも告げずに一人で外へ出た。


 潮の香りが鼻をくすぐる。夜の海は、昼間とは全く違う顔をしていた。寄せては返す波の音だけが、やけに大きく耳に響く。僕は吸い寄せられるように防波堤まで歩き、その縁に腰を下ろした。


 眼前に広がるのは、どこまでも続く暗い海原。月明かりを反射して、時折きらめく水面が、まるで遠い世界の出来事のように感じられた。


『強さを求めるだけでは、だめなのだろうか……』


 胸の内で、何度も同じ問いを繰り返す。


 あの日、帝国から解放されて、僕は誓ったんだ。二度と、あんな無力な自分ではいない、と。尊さんのように、誰かを守れるだけの強さを手に入れるんだ、と。


 それなのに、現実はどうだ。


 茉奈さんは、大宮氷川神社で神の力を得て、その感知能力を飛躍的に向上させた。関東一円を見渡せるその力は、僕たちの活動に欠かせない道標となっている。


 そして、葵。

 日光東照宮で、彼女は「守り」の力に覚醒した。僕の拳をいともたやすく弾いた、あの青白い光の壁。それは、彼女がずっと心の底から願っていた「みんなを守る力」そのものだった。


 二人とも、神域で自らの願いと向き合い、それに相応しい力を授かった。


 じゃあ、僕は?


『このままでは、何もできないのでは……?』


 焦りが、まるで黒い染みのように心に広がっていく。

 強くなりたい。ただ、ひたすらにそう願ってきた。帝国にいた頃の、あの無力で、ただ命令に従うだけだった自分を塗り替えるために。尊さんや茉奈さんに救い出された命を、今度は僕が誰かを救うために使うんだと、そう決めたはずなのに。


 何も得られていない。

 何も変われていない。


 僕だけが、取り残されていく。


 そんな焦燥感が、じりじりと心を焼く。周りの音が遠のき、思考が内へ内へと沈んでいく。仲間たちへの思いですら、今はどこかへ消え失せていた。


「悩み事か?」


 不意に、背後からかけられた声。


「――ッ!?」


 びくり、と全身が跳ねる。慌てて振り返ると、そこにはいつの間にか尊さんが立っていた。僕としたことが、気配に全く気づかなかった。


「……尊、さん」

「一人で危ないだろ。何かあったのかと思って」


 優しい声が、逆に胸に突き刺さる。心配、させてしまった。


「……はい」


 僕は力なく頷くことしかできなかった。隠したって、きっとこの人にはお見通しなんだろう。


「尊さんみたいに、強くなりたいって言っておきながら……自分では、全く成長できてない気がして」


 一度口に出してしまうと、堰を切ったように言葉が溢れ出した。


「葵まで、力を手に入れて……それで、僕は……僕は、何をしたらいいのかって思うと……」


 帝国での日々がフラッシュバックする。感情を殺し、ただ兵器として扱われた日々。あの時の苦しみを、もう誰にも味わってほしくない。そのために、もっと強くならなきゃいけないのに。


「今まで自分がしてしまったことに対して、二度とそんなことが無いようにしたいと思って、もっと強くなっていたいのに……何も、できてない……っ」


 声が、情けなく震える。視界が滲んで、目の前の尊さんの姿がぼやけて見えた。


 普段は、保護された子供たちの中では最年長として、しっかりしなきゃと自分に言い聞かせてきた。尊さんたちとも年が近い分、頼られる存在でいなければ、と。


 でも、本当は違う。心に刻まれた傷は、今も生々しく痛む。葵に先を越されたことで、自分の中にあったはずの存在意義が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じていた。


 僕の告白を、尊さんはただ黙って聞いてくれていた。そして、僕の隣にゆっくりと腰を下ろすと、静かに口を開いた。


「急に環境が変わって、残光とかいう連中も現れて、茉奈や葵が力を手に入れて……正直、俺も自分の考えを整理できてないし、俺自身の役割も、まだよくわかってないよ」


「……尊さんも……ですか?」


 思わず顔を上げる。僕にとって、尊さんはいつだって揺るぎない強さの象徴だった。迷うことなんて、ないのだとばかり思っていた。


「ああ。煉や葵が訓練に付き合ってくれて、戦闘での立ち回りや判断はできるようになったのかもしれない。けど、じゃあ、実際に何のために力を手に入れたのか?って言われると……正解なんて、わかってなくてさ」


 尊さんは、僕と同じように夜の海を見つめながら、ぽつり、ぽつりと語る。


「ただ、一つだけ言えるのは、茉奈を、そしてみんなを守りたい。帝国に強制されるような、自由のない世界はもうごめんだ。そう思ってる。これが正解なのかどうかもわからないけど、この思いだけは、俺だけのものだと思ってる」


「……尊さんだけの、思い」


 尊さんの言葉を、僕は口の中で繰り返す。


「そう。他の誰でもなく、自分で考えて、自分で決める。きっと、『あの時こうすればよかった!』って後悔することもあるだろうけど、それは自分で決めることができる自由に対しての、権利であり責任だと思ってる」


 尊さんは、僕の方に向き直った。その真摯な眼差しが、僕の心の奥を真っ直ぐに見据える。


「だから、煉も、悩めるときは存分に悩んでいいと思う。悩んで決めたことに対しては、胸を張っていいんだ。他の誰も、お前と全く同じことで悩むことはできない。それは、お前だけの悩みなんだから。そして、責任をもって行動して、ダメだったらダメだったことを踏まえて、また悩めばいいんだよ」


「……悩んで、いい?」


「うん」


 尊さんは力強く頷いた。


「御殿場の事務所で、『俺みたいに強くなりたい』って言ってくれただろ? あれ、すごく嬉しかったんだ。あの時の戦闘じゃ、能力に頼りきりの俺だったのに、そう言ってくれたことが。俺の何かを見て、感じて、煉が『自分より強い人だ』って思ってくれたんだなって。だから、俺は責任をもって、もっと強くならないといけないって、あの時思ったんだよ」


 僕の言葉が、尊さんを支えていた……?


「煉は、あの時、もっと強くなりたいと思って、あの言葉を口にしたんだろ?」


「……はい。自分みたいな、苦しい思いをする子供を、二度と帝国に作らせたくなくて……」


 それが、僕の原点。僕の、偽らざる願い。


「なら、きっと大丈夫だ」


 尊さんは、確信に満ちた声で言った。


「その煉だけの思いを汲んでくれる神様は、きっとどこかにいるよ。なんせ、日本は八百万の神がいる土地なんだからさ」


 八百万の神々。その言葉が、不思議とすんなりと胸に落ちた。茉奈さんや葵がそうだったように、僕の願いに応えてくれる存在が、どこかにいるのかもしれない。


「はい……」


「悩みはすぐには解消されないと思うけど、でも、少しはすっきりしたか?」


 僕は、言葉なく頷いた。胸の内にあった黒い塊が、完全になくなったわけじゃない。でも、その重さは、さっきよりもずっと軽くなっていた。


 不意に、尊さんのお腹が「ぐぅ」と鳴った。


「……っと。少し遅くなっちまったな。腹減った。なんか買って帰るか?」


 照れくさそうに頭をかく尊さんの姿に、思わず笑みがこぼれる。


「……尊さん」

「ん?」

「……アイス、食べたいです」


 日光で、葵がかき氷をねだった時のように。自分の小さな欲求を、言葉にするのはまだ少しだけ勇気がいる。


 そんな僕を見て、尊さんは破顔した。


「ちゃんと言えるようになってきたな。」


 そう言って、僕の頭をわしゃわしゃと撫でる。


「よし、甘いやつ食って帰るか」

「はい!」


 今度は、はっきりと、大きな声で返事ができた。


 僕たちは並んで防波堤を後にする。ホテルへ続く帰り道、街灯が僕たちの影を長く伸ばしていた。


 明日、鹿島神宮で何が起こるかはわからない。力を得られる保証なんてどこにもない。


 でも、今はそれでいい。


 僕だけの願いを、もう一度、強く胸に抱いて。


 僕は、僕の足で、明日へ向かって歩き出す。


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次回は 2026年02月09日19時 更新予定です

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