第七夜 立誓
帝国軍の堅牢なサイバー防壁を、まるで薄紙を破るかのように蹂躙した浜田のハッキングは、圧巻の一言だった。YATAサーバルームのメインスクリーンに表示されていた複雑なコードの奔流がぴたりと止み、『JAPANESE SHRINE DATABASE DUMP...COMPLETE』という無機質な文字列だけが、作戦の成功を静かに告げている。
「――ふぅ、まぁ上出来だな」
パイプ椅子に深くもたれかかった浜田 誉は、満足げに息を吐いた。
「マスター、ファイルはAES-256 GCMモードで暗号化されています。順次、復号化を開始しますか?」
スピーカーから、合成音声でありながらどこか理知的な響きを持つYATAの声が流れる。
「ああ、頼む。優先順位は……」
「キーワードは『神社』『寺』、英語で『shrine』『temple』。そして最優先は『日枝神社』だ。神凪さんが残してくれた、たった一つの置き土産だからな。そのキーワードを含むと推測されるレコードから優先的に解析してくれ」
『Acknowledged. 最優先復号シーケンスを開始します。推定所要時間は、現在のリソース割り当てで約18時間です』
「上等だ。一晩あれば、尻尾くらいは掴めるだろ」
浜田は椅子の上で体勢を立て直すと、スクリーンに視線を戻したまま続けた。
「ついでに、ダウンロードしたDBのインデックスから『暁の蜂起』関連のデータもリストアップしておけ。あの日の真実が、まだどこかに転がってるかもしれん」
『Acknowledged.. サブタスクとしてバックグラウンドで処理します。……マスター、少しお疲れでは?心拍数が通常時より15%上昇しています。コーヒーでも淹れましょうか?』
「余計なお世話だ。それより仕事に集中しろ」
浜田は「さて、と」と一つ伸びをすると、くるりと椅子を回転させ、一同に向き直った。「俺の"力"はこんな感じだが、どうだった? 帝国軍と比べても、そう見劣りしないだろ?」
浜田は悪戯っぽく笑い、一同の顔を見回した。その視線を受け、隣に立っていた詩織が、わざとらしく深いため息をつく。
「こんなとんでもない力を隠し持っていたとはな。二十年間、丸っと騙されていた気分じゃ」
「人聞きの悪いこと言うなよ、詩織。別に騙してたわけじゃない。ただ、こういうのはあまり人に見せびらかすようなモンじゃないだろ? 俺の趣味じゃない」
「……ふっ、わかっとるわ」
詩織は呆れを通り越して、どこか誇らしげに口の端を上げた。長年の付き合いで培われた信頼が、二人の間に流れる空気だけで伝わってくる。
「さて、みんな。今日はもう遅い。頭も体も疲れただろう。続きの話はまた明日にしよう。解散だ」
浜田のその言葉に、張り詰めていた緊張の糸がふっと緩んだ。
***
浜田の執務室を後にし、四人は無言で廊下を歩いていた。先ほどの光景が、それぞれの胸に重く、そして確かな何かを刻みつけていた。
「煉、葵。今日は遅くまで付き合わせてすまなかった。本当にありがとう」
居住区画の分岐点で、尊が二人に頭を下げた。尊が戦闘訓練をつけてほしいと頼まなければ彼らは巻き込まれなかったはずだ。それでも、彼らは文句一つ言わず、この世界の深淵を覗き込むような時間に付き合ってくれた。
「い、いえ! とんでもないです! 僕は何も……」
慌てて首を横に振る煉の隣で、葵はぎゅっと拳を握りしめていた。その瞳には、悔しさと決意が入り混じった強い光が宿っている。
「私……もっと強くならなきゃ。今度こそ、自分の足で立って、自分の力で……みんなを守れるように」
か細いが、決して折れることのない芯の強さを感じさせる声だった。尊はそんな彼女の頭に、そっと手を置いた。
「ああ。俺もだ。一緒に頑張ろう!」
「……はいっ!」
煉と葵の姿が角の向こうに消えるのを見送ると、尊の隣には茉奈だけが残っていた。
「……行こうか」
尊が自室へ向かおうとすると、茉奈が彼の服の袖をくい、と軽く引いた。
「ねえ、尊。少し、風に当たらない?」
茉奈の提案に、尊は頷いた。二人とも、このまま部屋に戻って眠れるような気分ではなかった。向かった先は、施設の屋上。
金属製のドアを開けると、ひやりとした夜風が二人の頬を撫でた。眼下には、宝石を散りばめたような街の夜景が広がっている。しかし、その美しさとは裏腹に、この街が帝国の支配下にあるという事実が重くのしかかる。
尊がフェンスに寄りかかって街を眺めていると、不意に背後で小さな悲鳴が上がった。
「――つっ!」
振り返ると、茉奈が左手首を右手で押さえ、苦痛に顔を歪めていた。彼女の手から滑り落ちたスマートフォンが、コンクリートの床でカシャンと乾いた音を立てる。
「茉奈!? 大丈夫か!」
尊はすぐさま駆け寄り、落ちたスマホを拾い上げた。幸い、画面に傷はない。安堵の息をつき、茉奈に差し出す。
「大丈夫……。ごめん、驚かせたね。今日は久しぶりに、傷が痛む....みたい。……雨でも降るのかな?」
茉奈は痛みをこらえるように微笑み、スマホを受け取った。その左手には、かつて尊を助けたときに負った、火傷が今も少し残っている。
「俺を……助けてくれた時の……」
尊の声が、罪悪感に沈む。
あの日、神社で雨宿りをしていた時、雷が落ちた。尊は意識を失い、それ以降の記憶がない。後から聞いた話では、熱を帯びたまま倒れた尊を、まだ幼かった茉奈が必死に引きずって助けを呼びに行ってくれたのだという。そのせいで、彼女の左手には今も消えない傷が残っている。
「尊のせいじゃないわ。あれは事故。それに、私は後悔なんてしてないもの」
茉奈はきっぱりと言い切り、尊の心を覆う暗雲を優しく振り払った。そして、夜景に視線を戻しながら、話題を変える。
「でも、浜田さん、すごかったわね。YATAも。なんだか、映画みたいだった」
「ああ……。あの鍛え上げられた体つきを見て、ただ者じゃないとは思ってたけど……まさか、超一流のハッカーだったとはな。正直、予想の斜め上すぎた」
「ふふっ。私も、あのギャップには驚いたわ」
茉奈がくすくすと笑う。その笑顔に、尊の心も少しだけ軽くなった。
「俺、決めたよ」
尊はフェンスに両肘をつき、決意を込めた声で言った。
「浜田さんから、もっと色々と教わりたい。神凪さんから教わったっていう古武術も、浜田さんならもっと深く、その理から教えてくれるはずだ。基礎からしっかり学んで、今度こそ何があっても動じない、本当に強い力を手に入れる。茉奈や、みんなを……この場所を、絶対に守れる力を。もう、誰にも傷ついてほしくないから」
それは、ただの憧れではない。己の無力さを噛み締め、それでもなお前を向こうとする、魂の誓いだった。
「……そうね」
茉奈は尊の横顔をじっと見つめ、静かに頷いた。
「私も、もっと知らなければいけない。この日本のこと、世界の本当の姿を。ただ後ろからあなたを見守るだけじゃなく、あなたの隣に立って、同じ景色を見て、一緒に戦うために。帝国が何を隠していて、私たちは何と戦っているのか。それを知らないままじゃ、きっと自分の考えや行動に、本当の意味で責任を持つことなんてできないから」
茉奈の瞳は、夜景の光を反射して、星のようにきらめいていた。それは、ただ守られるだけのか弱い少女の瞳ではなかった。自らの意志で真実と向き合い、運命を切り拓こうとする者の強い光だった。
「ああ。絶対に、守る」
尊は力強く応え、茉奈に向き直った。夜風が二人の間を吹き抜ける。
「少し、冷えてきたな。そろそろ中に戻ろうか」
尊はそう言って、ごく自然に右手を差し出した。茉奈は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうに微笑むと、痛む左手を、そっと尊の大きな右手に重ねた。
その温もりが、お互いの決意を確かめ合うように、じんわりと広がっていく。
やがて二人は手を取り合い、屋上を後にする。その背中がドアの向こうに消えた後、夜の街には不気味な静寂だけが残された。
――キィィン……
――ジジジ……
夜の静寂を微かな、しかし無数の金属音が響いている。それはまるで、小さな虫の羽音のようでもあり、精密な機械が駆動するモーター音のようでもあった。
音は一つではない。街のあちこちから、まるで呼応し合うかのように響いてくる。
静かな夜の街に、ただ不気味なモーター音だけがいつまでも響き渡っていた。
次回は2026年01月19日 19時 更新予定です




