第三夜 日常
時系列に誤りがあったので、一部文言削除しました。
昼休みの工場休憩スペース。
規則正しく並ぶ机と椅子、天井の蛍光灯、微かに響く機械音――そのすべてが、普段と変わらない風景だった。
俺はおにぎりをかじりながら、ぼんやりと地下での出来事を思い出していた。
瓦礫の中、茉奈の胸元に顔を突っ込んだ瞬間――耳に届く音、空気の揺れ、時間の感覚までが異様に鋭く感じられたあの瞬間。
「ねえ……地下のこと、何か思い出した?」
茉奈が小声で話しかけてきた。
「地下でのことか?」
俺は箸を止め、彼女の顔を見上げる。
「うん……私の胸に顔を埋めた後、尊変だったって言ったよね。音とか風とか……」
頬を少し赤らめ、目を逸らす茉奈。
その視線に、俺の心臓は不意に早鐘を打った。
「そ、そうかな……でも、俺には何も……」
言葉に詰まり、思わず下を向く。
何が起きたのか、どうすれば再現できるのか――まだ分からない。
茉奈は少し間を置いた。その表情に、一瞬だけ不安そうな色がよぎったのを俺は見逃さなかった。
昨日の俺は、きっと彼女を怖がらせてしまったのだろう。あの異常な力は、俺たちの平穏な日常を壊してしまうかもしれない。そんな恐怖が、彼女の瞳の奥に揺らめいて見えた。
だが、彼女はすぐに小さく息を吸うと、迷いを振り払うように強い光を瞳に宿した。まるで、何かを決心したように、まっすぐに俺を見つめてくる。
そして、ゆっくりと俺の頭を胸元に抱き寄せた。
「……尊の髪、また黒くなるかもしれない……原因が分からないと怖いし、確かめないと」
体温が伝わる距離、柔らかい感触、甘い香り――思わず顔が熱くなる。
だが、何も起きなかった。
……ラッキーで済ませられるはずもない……本当に、どういう条件なんだ?
心の中で呟く。
それでも、茉奈の手の温もりや体温が妙に心地よい。
その瞬間、休憩室のドアが開き、同僚の声が飛び込む。
「おいおい、仲がいいのは知ってるけど、そういうのは家でやれよ?」
俺も茉奈も真っ赤になり、顔を伏せる。
恥ずかしさと緊張で、しばらく呼吸が荒くなる。
それでも二人の間には、ほんの少しだけ秘密めいた距離感が生まれた。
胸に顔を埋めたあの感覚は、昼間には再現できないけれど、記憶だけがそっと残っている。
それから数週間、地下での条件を再現しようと試みたが、結果はゼロ。
何度やっても、音や時間感覚は普段通りで、髪の色も変わらない。
「……ほんとは、ただ胸に顔を埋めたいだけだったりして」
茉奈が小さく呟き、少し目を細める。
俺は必死に否定するが、同時に胸の奥が熱くなるのを感じた。
能力の有無はともかく、茉奈と密着している時間は、ただの「偶然」ではない特別な感覚を与えてくれるのだ。
昼間の工場は安全で規則正しい世界。
だが、俺たち二人の間には、地下での不思議な感覚の記憶が、静かに息づいていた。
「……また夜にでも試してみる?」
茉奈の声は小さく、でも明るさを含んでいる。
「いや、今は……」
俺は答えを濁す。胸の奥が熱くなるのを感じながら、少しだけ笑った。
こうして、俺と茉奈の日常は、普段と変わらないように見えながらも、
どこか微妙に、不可思議な「何か」を孕んだまま進んでいくのだった。
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次回は 9月10日(水) 19時 更新予定です




