第五夜 双道
重く、長い沈黙が執務室の空気を支配していた。浜田誉という男が背負ってきた過去――それは、かつてこの国を根底から覆そうとしたクーデター『暁の蜂起』の記憶。その中心人物であったという衝撃の事実は、俺たち――尊、詩織、茉奈、そして煉と葵――の胸に、ずしりとした鉛となって沈み込んでいた。
空気清浄機のファンの音だけが、やけに大きく響く。浜田は深く息を吐き出すと、まるで仮面をつけ直すかのように、いつもの穏やかな、しかしどこか飄々とした表情を取り戻していた。その切り替えの早さが、逆に彼がくぐり抜けてきた修羅場の数を物語っているようだった。
「……ふぅ。我ながら、年寄りの昔話は長くていかんな」
自嘲気味に笑う浜田に、誰もすぐには言葉を返せなかった。話さなくていいなら話したくない、こんな暗い話を、と。その言葉の裏にある痛みを思うと、軽々しい相槌など打てるはずもなかった。
沈黙を破ったのは、いつも真っ直ぐな疑問を投げかける茉奈だった。
「あの……浜田さん。一つ、いいですか?」
「なんだい、茉奈くん」
「その手紙……どうして浜田さん宛てなのに、尊に渡されたんでしょうか?」
その問いに、全員の視線が俺に注がれる。差出人の名、『神凪皓一朗』。浜田のかつての師であり、国土防衛軍統合幕僚長、そして『暁の蜂起』のリーダー。死んだはずの男からの、不可解な手紙。俺がそれを受け取ったのだ。あの黒髪長髪の男から「ボスからの預かりものだ」と、一方的に。
「簡単なことだろうよ」
ソファに深く身を沈めていた詩織が、腕を組んだまま冷めた声で言った。
「『お前たちのエースが、昔の部下の独立党と関わっていることは、とっくに知っているぞ』……そういう脅しであり、揺さぶりじゃ。違うか、浜田?」
「……そうだろうな」浜田は静かに頷く。「あるいは、この手紙に書かれていることが、尊……いや、ここにいる全員に関わることだという、彼なりのメッセージなのかもしれない」
詩織は呆れたように肩をすくめた。 「昔のことは別に聞かないでもいいと思っておったが、まさかクーデターの張本人だったとはな。やけに帝国の技術や内部事情に詳しいとは思っていたが……合点がいったわい」
「だから、トラウマなんだよ。思い出したくもない」
浜田は苦々しく呟くと、
「さて。差出人の名前だけですっかり怖気づいてしまったが……そろそろ、中身を読もうか」
「え? まだ読んでなかったんか?」
詩織が素っ頓狂な声を上げる。
「ああ。怖くてな」
「……よくそれで今まで……」
浜田は手元にある蛇腹におられた和紙を慎重に広げた。彼の指先が微かに震えているのを、俺は見逃さなかった。
執務室にいる全員の視線が、和紙を広げる浜田の手に集中する。ごくり、と誰かが息を呑む音がした。
浜田の目が、そこに綴られた文字を追い始める。 最初は、ただ静かに。 だが、読み進めるにつれて、彼の顔から穏やかさが消え、険しいものへと変わっていく。そして、それはやがて静かな、しかし底知れない怒りの色を帯びていった。
「……浜田さん?」
茉奈が心配そうに声をかける。 浜田は答えず、最後まで読み終えると、手紙をデスクの上に置いた。そして、まるで重い枷を外すかのように、長く、深い溜息をついた。
「……読んでくれ。ここにいる全員で」
その声には、抑えきれない感情が滲んでいた。 俺たちは顔を見合わせ、デスクの周りに集まる。そこに置かれた便箋には、力強い、それでいてどこか狂気を孕んだ筆跡で、こう記されていた。
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誉、久しいな。
まずは、先の東富士での一件、詫びを入れよう。 血気にはやる部下が早とちり、君の大事な仲間を傷つけてしまうところだった。すまない。
だが、おかげで素晴らしいものが見れた。 いいコマを手に入れたな。
さすがだ誉。あの少年は、我々の理想を実現するための、まさに切り札となりうる。
私は死んではいない。あの日、志半ばで散った『暁』の遺志を継ぐ、新たな組織『残光』を立ち上げた。 目的は変わらない。腐りきった帝国を打倒し、我々の手で真の日本を取り戻すことだ。
誉、君もこちらへ来い。 そこにいる能力者たち全員を引き連れて、残光へ合流しろ。 君の知識と、我々の力、そしてあの少年というコマがあれば、今度こそ革命は成る。
また連絡する。 いい返事を期待している。
最後に、ヒントをやろう。 帝国はなぜ、あれほど日本の文化を破壊しておきながら、神社仏閣だけは破壊せずに残した? 『日枝神社爆破事件』を調べてみろ。そこに答えの一端がある。
神凪 皓一朗
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読み終えた瞬間、執務室の空気は氷点下まで凍りついた。 謝罪の言葉とは裏腹に、そこにあるのは傲慢なまでの支配欲と、人を人と思わぬ思想。
「コマ……ですって……?」
最初に声を上げたのは茉奈だった。その声は、怒りで震えていた。
「尊は……尊も、みんなも、道具なんかじゃありません!」
その言葉に、俺は胸を突かれた。コマ。駒。兵隊。それは、俺が最も忌み嫌う言葉。命を物としてしか見ない、魂のない言葉。多くの黒髪の子供たちが、その一言のもとに命を弄ばれ、失っていった。神凪という男は、俺の顔も知らぬうちから、俺を俺たちをその一言で断じていたのだ。拳を握りしめる俺の隣で、煉が息を呑むのが分かった。彼もまた、帝国から『兵器』として扱われてきた過去を持つ。その表情は、怒り、悲しみ、そして諦めが混じり合った、ひどく複雑な色をしていた。葵がそっと、そんな煉の腕に手を添える。
「神凪さん……変わってしまったのか……」
浜田が、絞り出すように言った。その声は、深い絶望と怒りに染まっていた。
「力で日本を取り戻そうとする。我々が『暁』で犯した過ちそのものではないか……! それにこれでは、帝国と考えが変わらない!戦争のために子供の命を使うなんて、断じて許されない!」
「『残光』、か。随分とまあ、仰々しい名前をつけたものじゃな」 詩織が吐き捨てるように言う。だが、彼女の目は手紙の最後の一文に釘付けになっていた。
「……日枝神社爆破事件。そして、帝国が神社仏閣を残した理由……」
詩織は顎に手を当て、思案に沈む。 「妾の家にあった古文書によれば、古来より、力ある神社仏閣は単なる宗教施設以上の意味を持っていた。それは時に、この世ならざるものとの境界であり、龍脈――星の力の通り道――を制御する楔でもあった。帝国がそれを破壊せず、むしろ厳重に管理下に置いたのには、何か理由があるはずということじゃな」
神凪の思想への反発。 『コマ』という言葉への怒り。 そして、新たに提示された謎。 様々な感情が渦巻き、俺たちの思考を混乱させる。
だが、この混乱に終止符を打ったのは、他ならぬ浜田自身だった。
「神凪さんの誘いには、乗らない」
きっぱりとした、揺るぎない声だった。 彼はデスクに置かれた蛇腹の折り目がついた手紙を睨みつけ、宣言する。
「彼のやり方は、新たな悲劇を生むだけだ。我々『日本独立党』が目指すのは、能力者が兵器としてではなく、一人の人間として暮らせる世界。保護と共存こそが、我々の道だ。断じて、力による支配ではない」
その言葉に、俺は、茉奈は、そして煉も、強く頷いた。そうだ、そのために俺たちはここにいる。
「しかし」と浜田は続けた。
「彼が残したこの謎は、無視できない。帝国が神社仏閣を残した理由……そして『日枝神社爆破事件』。これは、我々が帝国と戦う上で、重要な情報になる可能性がある」
浜田は顔を上げ、俺たち一人一人の顔を順に見回した。その目には、先程までの迷いはなく、指導者としての強い光が宿っていた。
死んだはずの男からの手紙は、俺たちに思想の対立を突きつけ、同時に新たな道を示した。神凪と『残光』。彼らは敵だ。だが、その敵が残した謎を追うことでしか、俺たちに進む道はないのかもしれない。
なんとも皮肉な、そして奇妙な共闘の始まりだった。 俺は固く握りしめていた拳を、ゆっくりと開いた。掌には、爪が食い込んだ痕が赤く残っていた。
次回は 2026年01月12日 19時 更新予定です




