第二夜 追憶
浜田が差出人の名を告げた瞬間、執務室の空気は凍りついた。神凪皓一郎――その名は、浜田誉にとって、単なる過去の人物以上の重みを持っていた。浜田の記憶の奥底に眠る、苦くも鮮烈な過去の扉が、今、静かにこじ開けられようとしていた。
「……神凪皓一郎、じゃと?」
沈黙を破ったのは詩織だった。彼女の漆黒の瞳が、鋭く浜田を射抜く。
「まさか、あの『血の朝日』の……?」
「おそらく、あの神凪さんで間違いないだろう。偽物でなければ、な」
浜田は吐き捨てるように言うと、蛇腹の手紙をデスクに置いた。尊、煉、葵の三人は、その名を聞いてもピンとこないようで、顔を見合わせている。そんな彼らの疑問を解消したのは、タブレットを操作していた茉奈だった。
「神凪皓一郎……。二十年前、Code81政府に対してクーデターを計画、実行したとされる元国土防衛軍統合幕僚長。通称『血の朝日』事件の主導者。失敗後、逮捕され消息不明……。私たちが生まれる前の話ね」
「クーデター……」尊が呟く。「俺たちが生まれる少し前に、そんなことがあったのか」
「そうだ」浜田は短く肯定する。
詩織が、細められた目で浜田をじっと見つめた。
「あの時の指導者が、なぜ今さらお主に手紙を?そもそも、一体どんな関係なのじゃ」
その問いは、この場にいる全員が抱く疑問だった。浜田は一同の顔をゆっくりと見渡し、深く息を吐いた。その瞳には、遠い過去を懐かしむ色と、拭い去れない痛みの色が混じり合っていた。
「……少し、長くなるが。聞いてくれるか?」
誰もが、無言で頷く。浜田は立ち上がると、サイドボードからグラスをいくつか取り出し、麦茶を注いで一人ひとりに手渡した。冷たいグラスを受け取り、一口飲む。そのわずかな沈黙が、これから語られる話の重さを予感させた。
「神凪さんと俺が初めて会ったのは、今からもう四十年近くも昔に遡る」
浜田は、再び自分の椅子に深く腰を下ろし、天井を仰ぎながら、記憶の糸をたぐり寄せ始めた。
「ガキの頃の俺は、同じ年の子供と比較すると輪をかけて体がデカくてな。有り余るエネルギーを持て余した、絵に描いたようないたずら小僧だった。親もほとほと手を焼いて、町の古武術道場に放り込まれたんだ」
浜田の口から語られたのは、当時まだ二十代前半だった道場の師範代、神凪皓一郎との出会いだった。
「道場の大人たちですら手に負えない俺を、神凪さんだけは軽々とあしらった。何度本気でぶつかっていっても、かなわない。だが、決して力でねじ伏せるんじゃない。俺の力を受け流し、導き、最後には必ず俺が根負けする。強くて、優しくて、そして何より……格好良かった」
浜田の口調は、まるで憧れのヒーローを語る少年のように熱を帯びていた。神凪は、ただ強いだけの男ではなかった。稽古が終わると、彼はいつも日本の未来について憂いていたという。
「『この国は、どうなるのだろうか』『君たちが生きる未来は?』。それが彼の口癖だった。彼は誰よりもこの国を愛し、その行く末を案じていた。俺にはまだ難しい話だったが、その真剣な横顔に、子供ながらに強く惹きつけられたんだ」
浜田の語りは、ある年の未曾有の災害へと移る。異常気象によって例年の倍以上の巨大台風が発生。政府が推進したメガソーラー政策のために乱立された太陽光パネルは凶器と化して空を舞い、森林伐採が進んだ山々は脆弱な地盤を剥き出しにした。
「川は氾濫し、街は水没した。土砂崩れが家々を飲み込み、ライフラインは寸断された。まさに地獄絵図だった」
この惨状を前に、神凪は決断する。
「『俺は、道場で子供たちに武士道を説きながら、滅びゆく国をただ眺めているわけにはいかない』。そう言って、神凪さんは師範代の職を辞し、国土防衛軍への入隊を決めたんだ」
浜田の脳裏に、道場を去る日の光景が蘇る。神凪は彼の頭を撫で、「誉、強くなれ。国を、人を守れる男になれ」と言い残した。その言葉が、浜田の進むべき道を決定づけた。
「しばらくして、被災地で救助活動を行う国土防衛軍のニュース映像が流れた。泥まみれになりながら、瓦礫の中から生存者を助け出す隊員たち……その中心に、神凪さんがいた。その姿を見た瞬間、全身に電気が走った。俺も、あの人のようになりたい。あの人と同じ場所で、この国を守りたい。そう決めて、俺も国土防衛軍を目指したんだ」
それからの浜田は、脇目も振らずに鍛錬と勉学に励んだ。どこに配属されてもいいように体を鍛え上げ、必要な学位や技術を取得し、国土防衛軍の門を叩いた。
「軍で神凪さんと再会できた時は、天にも昇る気持ちだった。彼は俺を覚えていてくれて、『よく来たな、誉』と、昔と変わらない笑顔で迎えてくれた」
二人は師弟として、そして同じ志を持つ同志として、共に国防の任に当たった。だが、浜田が軍の内部で見たものは、理想とはかけ離れた現実だった。
「軍で目の当たりにしたのは、腐敗しきった政府の姿だった。第三次世界大戦後、世界は『グローバル・ヘゲモニー』、通称『帝国』に再編された。帝国は圧倒的な技術力と経済力を背景に、戦争をせずして各国を支配下に置いた。汚い金、ハニートラップ、ドラッグ……あらゆる手段で日本の要人を骨抜きにし、傀儡政権を樹立して、この国を『Code81』に変えたんだ。政府は帝国の顔色ばかりを窺い、国民の生活を顧みない。災害復興は進まず、国民は疲弊していく一方。俺たちは、一体何のために、誰のためにこの隊服を着ているのか……その疑問が日に日に大きくなっていった」
その憤りは、神凪も同じだった。いや、彼の方がより強く、深く、その現状に絶望していた。
「俺も絶望したが、神凪さんの絶望はもっと深かった。彼はかつて帝国軍の士官学校に留学し、奴らのやり方を内側から学んだ男だ。だが、その知識も力も、腐った政府の下では日本のために使うことが許されない。海外に派遣され、いくら成果を上げても、日本の状況は何も変わらない。その無力感が、彼を少しずつ追い詰めていったんだ」
浜田は一度言葉を切り、一同を見渡す。
「一般部隊の指揮権だけでは何も変えられないと悟った神凪さんは、目標を切り替えた。政府や帝国への対抗できる力を持つために特殊部隊『黒髪部隊』の完全掌握、そして、軍のトップである統合幕僚長になることだっだ」
浜田の語りは、核心に近づいていく。
「そして神凪さんは、見事にそれを成し遂げた。統合幕僚長に就任し国土防衛軍の全権を掌握した彼は、俺を『黒髪部隊』に引き抜いた。学生時代からハッキングで少しは名が知られていた俺の腕を、神凪さんは見抜いていたんだ。異例の若さで黒髪部隊の情報技術士官になった俺にとって、神凪さんは腐敗した政府組織の中で唯一輝く理想そのものだった。父親以上に尊敬していた。俺は後方から情報分析や通信撹乱で部隊を支え、神凪さんは最前線で指揮を執る。二人で、黒髪部隊で、この国を変えられると信じていたんだ。」
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次回は 2026年1月1日 19時 更新予定です




