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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第一章 黎芽
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第二夜 親愛

 子供たちが寝静まった夜更け、児童養護施設の廊下は静寂に包まれていた。壁に掛けられた古時計の秒針が刻む音だけが、やけに大きく響いている。水城茉奈は抜き足差し足、音を立てないようにゆっくりと廊下を進んでいた。月明かりが大きな窓から差し込み、彼女の足元に淡い光の道を映し出している。


 各部屋のドアをそっと開け、中にいる子供たちの寝顔を一人ひとり確認して回るのが、彼女の最近の日課になっていた。昼間はあれほど元気に走り回っていた隼人が、今は穏やかな寝息を立てている。隣のベッドでは、葵がぬいぐるみを抱きしめ、安心しきった顔で眠っていた。煉や霧乃、他の子供たちも皆、あどけない無防備な寝顔を月に照らされている。


 その穏やかな光景は、茉奈の胸を温かいもので満たした。東富士演習場の地下で見た、冷たいカプセルの中で永遠の眠りについていた子供たちの姿が、今でも時折、悪夢となって彼女を苛む。だが、目の前に広がるこの平和な寝顔が、その悪夢を少しずつ溶かしてくれるようだった。この子たちの笑顔を守りたい。その一心で、彼女はここにいる。


 しかし、安堵と同時に、言い知れぬ不安が胸の奥から冷たい霧のように立ち上ってくるのを茉奈は感じていた。この穏やかな日常は、あまりにも脆い基盤の上に成り立っている。帝国という巨大な影が、いつこの小さな光を飲み込みに来るか分からない。


(私がもっと強ければ……)


 東富士の一件で、彼女は新たな能力に目覚めた。精神体による広域認知と尊の視界とリンク、広範囲の状況を把握する「広域視覚リンク」。それは間違いなく強力な力であり、後方支援として尊の戦いを支えることができる。もう、ただ守られるだけの無力な自分ではない。その自覚はあった。


 それでも、前線でたった一人、全ての脅威と対峙する尊の背中を思うと、胸が締め付けられるようだった。彼の負担を、もっと直接的に軽くしてあげられないものか。自分の力は、彼の命を直接守る盾にはなれない。彼にだけ全てを負わせてはいけないと強く思うのに、結局、自分は安全な場所から彼の無事を祈ることしかできないのではないか。そんな焦りが、彼女の心を静かに蝕んでいた。


「この子たちを、本当に守りきれるのだろうか……」


 無意識に漏れた呟きは、静寂に吸い込まれて消えた。


 子供たちの部屋をすべて見回り終え、茉奈は廊下の突き当りにある大きな窓のそばに立った。窓の外には満天の星が広がっている。その無数の輝きを見つめながら物思いに沈んでいると、背後から静かな気配がした。


「眠れないのか?」


 振り返るまでもなく、それが誰なのかは分かっていた。尊が、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。驚きで少し跳ねた心臓を落ち着かせながら、茉奈は無理に笑顔を作った。


「ううん、みんなの顔を見てたら、なんだか安心してきちゃって。尊こそ、どうしたの?」


 本心を隠そうとする彼女の強がりは、しかし、尊にはお見通しだった。彼は茉奈の隣に並び、同じように窓の外へ視線を向ける。


「俺もだよ。あいつらの寝顔を見てると、不思議と力が湧いてくる」


 その声には、茉奈が感じていたのと同じ温かさが滲んでいた。だが、彼は言葉を続ける。


「……と同時に、怖くもなる」


 尊が正直に打ち明けた不安の言葉に、茉奈は息を呑んだ。彼もまた、同じ重圧を背負っていたのだ。その事実に、彼女が必死に張り詰めていた心の糸が、ぷつりと切れる音がした。


「……怖いよ。この日常が、いつか壊されてしまうんじゃないかって。あの子たちの笑顔が、二度と見られなくなる日が来るんじゃないかって……そう考えたら、怖くて……」


 隠していた本心が、涙と共に溢れそうになる。自分の能力は確かに役立つ。でも、それだけでは足りないのではないか。尊一人が傷つき、倒れてしまったら、この平和は一瞬で崩れ去ってしまう。その恐怖が、茉奈の心を支配していた。


 茉奈の震える声を聞き終えると、尊は何も言わず、彼女の肩をそっと引き寄せた。逞しい腕が、彼女の体を優しく、しかし力強く包み込む。彼の体温が、冷え切っていた茉奈の心にじんわりと染み渡っていくようだった。


「一人で背負うな。俺たち二人で、だろ?」


 耳元で囁かれた声は、どこまでも穏やかだった。


「俺が前線でお前と子供たちを守る。そして、お前が後ろから俺を支え、子供たちを守る力になる。それでいいんだ。茉奈の力は、俺が戦うための道標なんだよ。お前がいなければ、俺は闇雲に進むことしかできない」


 尊の言葉は、茉奈が抱えていた焦りや不安を、ゆっくりと溶かしていった。そうだ、自分は無力なんかじゃない。尊の目となり、彼の進むべき道を照らすことができる。そして、彼が安心して戦えるように、この場所を、子供たちの笑顔を守り抜くことができる。それが自分の役割なのだ。


 血の繋がりはないけれど、ここにいる全員が、困難を共に乗り越える「家族」なのだと、茉奈は改めて強く実感した。尊への絶対的な信頼が、胸の奥から湧き上がってくる。彼と共に未来を切り拓く。その決意が、彼女の瞳に新たな光を灯した。


「神子」としての自分の役割は、ただ子供を癒すことだけではない。尊を支え、彼の力の源泉となること。そして、この新しい家族の心の拠り所となることなのだ。


「……うん」


 茉奈は尊の胸に顔をうずめたまま、小さく、しかしはっきりと頷いた。


 やがて二人は体を離し、再び窓の外に広がる星空を見上げた。遠くには、帝国の支配する街の灯りが、地上の星のように瞬いている。あの光の下では、今も多くの人々が苦しみ、自由を奪われている。東富士の地下で見た子供たちのような悲劇が、今もどこかで繰り返されているのかもしれない。


(この星空の下、まだ多くの子供たちが苦しんでいる。でも、私たちはもう迷わない)


 茉奈は心の中で強く誓う。


(この手の中にある小さな光を、未来へ繋ぐために。尊と共に――)


 言葉を交わさずとも、隣に立つ尊も同じ想いを共有していることが伝わってきた。二人はただ静かに寄り添い、夜明け前の最も暗い空を見つめ続ける。その姿は、来るべき戦いに立ち向かう覚悟を固めた同志であり、血の繋がりを超えた新しい家族の始まりを象徴していた。


 穏やかでありながら、確固たる決意に満ちた静寂が、二人を包んでいた。

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次回は 12月04日(木) 19時 更新予定です

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