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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第一章 覚醒
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第一夜 自覚


 工場の天井がギシギシと軋み、床全体が揺れた。


「うわっ、やばい! みんな、下がって!」

藤堂尊とうどうたけるは咄嗟に後ずさりするが、床板が軋み、無慈悲に抜けた。


 その瞬間、近くにいた水城茉奈みずきまなとともに重力に引かれるまま落下し、鉄骨や木材の破片に囲まれながら、二人は地下へと投げ出された。


「ぎゃっ!」

 埃と瓦礫が舞い、呼吸するたびに喉がヒリヒリ痛む。狭い空間に押し込まれた二人。尊は手探りで周囲を確認した。どうやら地下倉庫まで落ちたらしい。


 幸い、製品素材が山積みになっていたおかげで衝撃は和らいでいた。


「大丈夫、茉奈?」

 尊は声をかけつつ、手を差し伸べる。


「う、うん……ありがとう」

 茉奈は手を取り、少し安心した様子で頷いた。


 二人は素材の山を慎重に下りる。暗闇の中、遠くに点滅する非常口のサインが見える。



「ここ……どうなってるの?」

 茉奈が小声でつぶやく。声は緊張でかすれていた。


「地下倉庫みたいだ。昔はシェルターとして使ってたんだろうな」

 尊は息を整えながら状況を把握する。天井から水滴が落ち、床は不規則に崩れている。足元には瓦礫が散乱し、滑りやすい。


 茉奈は眉をひそめ、両手で瓦礫を押しのける。

「落ち着くしかないわ。ジタバタしても仕方ないでしょ」

 尊は苦笑しながら一歩一歩慎重に進む。


 だが次の瞬間、足を滑らせてしまい、思わず茉奈の胸元に顔を突っ込む――


 ……ふかふか。あたたかい。甘い香り。

 そして頭の中に異様な感覚が走った。


 音が鮮明になり、遠くの水滴の音や瓦礫の落下音まで、耳に突き刺さるように届く。風の流れや空気の揺れまで感じられ、まるで時間の流れが遅くなったかのように思えた。手足はぎこちなく、思うように動かない。声を出そうとしても、上ずるだけで言葉にならない。


 茉奈は最初、ふざけているだけだと思ったらしい。

「……尊、なんでそんな変な動きしてるの? 早くどいてくれる?」



 尊は口ごもる。焦る心とは裏腹に、遠くの方で断続的に「ピッ、ピッ」と点滅する非常口のサインの音。けれど、それが既に崩落で塞がれていることを、なぜか理解できてしまった。

 代わりに、反対方向から——「ヒュゥゥゥ」と風の流れが耳に引っかかる。

 そこに出口があると、直感が告げていた。


「……あっち……」

 尊がかすれ声で呟き、手を伸ばす。指先は震えている。思考はまとまらず、言葉は途切れ途切れになる。


 茉奈も不思議そうに眉をひそめるが、尊に続く。

「……よくわからないけど、とにかく出口はあっちの方向なのね。……あんた、勘が良すぎて逆に怖いんだけど」


 床の揺れが体に残る。瓦礫の上を踏みしめるたび、足元の板や石がギシギシと音を立て、不安定に沈む。尊は茉奈の手を握り、かすかな光を目指して慎重に進む。


「……尊、ここ、どうなってるの……?」

 茉奈の声は少し震えていた。揺れる床の上で立ちすくむ小さな体に、恐怖が滲んでいる。尊は、口を開くのに一瞬ためらった。五感が研ぎ澄まされ、耳には滴る水の音、瓦礫の微かな崩落、空気の流れまでもが鮮明に聞こえる。頭の中に情報が洪水のように押し寄せ、言葉を紡ぐ余裕はない。


 瓦礫が崩れる音、床板のきしみ、微かな金属音……全てが尊の頭の中で地図となる。手探りで茉奈の腕を支え、一歩一歩慎重に足を運ぶ。胸が高鳴り、心臓の鼓動が耳に響きすぎて、呼吸の感覚まで鮮明に感じられる。恐怖が増幅され、ほんの少しの音や振動にも過剰に反応してしまう。


「……し、しっかり……」

 尊は途切れ途切れの声で茉奈に告げる。言葉にならず、声はひどく震え、普段のように説明することはできない。茉奈は一瞬戸惑い、眉を寄せるが、尊の手に従い、段差を下りる。


 微かな風の匂いが鼻をかすめる。湿った土と鉄の混ざった匂いが暗闇に漂い、息を吸うたびに胸がざわつく。尊は、胸元に触れた茉奈の手の温かさを感じ、守りたいという本能的な感覚が能力を支えていることに気づく。


 瓦礫を避け、斜面を下りるたび、尊は空気の流れや埃の舞い方で安全なルートを割り出す。音と風のわずかな変化から、次に足を置く場所を判断する。ひとつの段差で足を滑らせた瞬間、尊は体を反転させ、茉奈を抱えるように支える。二人はバランスを崩さず、次の安全な場所へと移動できた。


「……こ、こ、ここ……だと……思う」

 尊は小さく途切れた声で告げ、亀裂の方向を指す。茉奈も慎重に歩みを合わせる。耳に届く音、手で感じる振動……全てが尊のナビゲーションだった。


 亀裂の向こうに微かに光が差し込む。湿った風が顔を撫で、埃と土の匂いが混ざる。尊は直感的にここが出口だと理解し、茉奈の手を引いて最後の段差を越える。


 外の空気は乾きと湿気が混ざり、土と木の匂いが漂う。


 太陽の光が目に突き刺さる。尊の能力は消え、耳に入る音は通常に戻る。


 茉奈は尊の頭を見て、息を飲んだ。

「……髪、黒かった……よね……」


 尊は何も答えられない。頭を触っても、変化には気づかない。ただ、胸の奥に残る奇妙な感覚だけが、あの瞬間の力を証明していた。


 そして――。

 その瞬間から、彼はもう「ただの日本人」ではいられなくなったのだ。


次回は 9月6日(土) 19時 更新予定です

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