第一夜 邂逅
尊と茉奈は今日も全国を飛び回っていた。
表向きは「株式会社お忍びタイムズ」のカメラマンとライターとして、お忍び旅行に適したホテルや宿、観光スポットの取材を行い、その記事を世に出す。
だが、その裏での任務は――
「子供たちを、洗脳から解放すること」だった。
「今日も、長い一日になりそうね……」
茉奈は後部座席でカメラバッグを抱え、窓の外の景色をぼんやり眺める。街並みが流れ、青い空と遠くの山々が視界に入る。
でも、怖いのは私だけじゃない……尊も、きっとあの子たちのことを考えているに違いない
胸の奥で小さな不安がくすぶるが、握った手に力を込める。
「まあ、だいぶ慣れたろ」
尊は運転席でハンドルを握り、苦笑を浮かべた。
心の中では、茨城で出会った子供たちの怯えた瞳がまだ残像のように浮かぶ。
……守らなきゃ、誰よりも
茨城での対応を見た詩織と浜田は、もう二人に任せられる、と言ったまま口を挟まなくなった。
――二人なら、できる。
その信頼が、胸の奥に小さく火を灯す。
茨城を皮切りに、尊と茉奈は仙台、博多と、地理的には両極端な地域を飛び回る。
それぞれの事務所で子供たちを、一人ずつ解放していく日々。
仙台では、表向きは『伊達政宗公が見た夜景』と題した特集記事のため、閉館後の仙台城跡を訪れていた。
「わあ、夜景すっごくきれい! これを記事にしたら素敵だろうね!」
観光客のふりをしてはしゃぐ茉奈の隣で、俺は周囲に気配がないかを探る。そして月明かりだけが差す城跡の隅、石垣の傍らに隠された独立党の小さな事務所へと向かった。
秋風が肌をかすめ、落ち葉がそっと舞う中、茉奈は息を殺しながら少女の肩に手を添える。恐怖と戦闘本能を少しずつ溶かすように、優しく呼吸を合わせる。
「大丈夫……怖がらなくていいよ、ここは安全だから」
茉奈のささやきに、少女の肩が小さく揺れる。
少女の目に、ほんのわずかに安心の色が差したのを、茉奈は見逃さなかった。
博多では、夜の中洲で『突撃! 人気屋台の裏メニューを探せ!』という企画をでっち上げた。熱気と喧騒に満ちた屋台でラーメンをすすりながら、俺たちはターゲットのビルを見張る。
「尊、この豚骨ラーメン、すごく美味しい! あ、記事のために写真撮らなきゃ!」
茉奈が無邪気にスマホを構える裏で、俺は人の出入りを冷静に分析する。そして人の波が一瞬途切れた隙を狙い、俺たちは雑踏の影に隠れる雑居ビルの一室へと滑り込んだ。
日本独立党博多支部の離れ、普段は人の出入りが一切ない。
ネオンの明かりと人の波に紛れて、少年と向き合う。
茉奈は心の中で恐怖を受け止めつつ、息遣いの微妙な変化を読み取る。
「よし……落ち着いたか?」
尊が後ろから低く声をかけ、周囲を警戒する。
その瞳には、夜の暗闇を切り裂くような揺るがぬ光が宿っていた。
記事としては「仙台城の夜景」「中洲の屋台」と観光案内の王道を押さえたつもりでも、編集部からは容赦なくダメ出しが入る。
「もっと臨場感を」「人を惹きつける表現を」「全く忍んでねー仙台城も中州も王道過ぎる」――
(当たり前だ、こっちは命がけでそれどころじゃない……!)
そんな本音はもちろん胸にしまい、仕事は必ずしも順調とは言えなかった。
けれど、任務の方は着実に成果を上げていた。
記事は後から直せばいい……まずは、あの子たちを守ることが優先だ。
そんな日々の中、御殿場事務所から連絡が入った。
「準備ができたから、来てほしい」
「わかった。すぐ向かう」
尊は力強く頷き、茉奈も小さく応じる。
今回保護された子は、これまでの子供たちより年齢が高く、尊と茉奈の差はせいぜい一、二歳ほどに見える。
事務所の部屋に入ると、少年は一瞬警戒の目を光らせた。
だが尊の威圧が周囲を包むと、わずかに体を硬くするだけで静まる。
――この圧……普通の人間じゃ耐えられない。
茉奈はそっと手を差し伸べる。
「大丈夫。安全だから。信じて」
少年はじっと茉奈を見つめ、肩の力を少しずつ抜く。
尊は背後で警戒を緩めず、目を光らせたまま周囲の状況を確認している。
少年の声は小さく、しかし切実だった。
「僕は……No.13。ここで訓練を受けたんだ」
茉奈はそっと膝をつき、目線を少年と合わせる。
「そう……よく頑張ってきたね。でも、怖かったよね……?」
少年は視線を伏せたまま、かすかに頷く。
尊が眉をひそめて尋ねる。
「……『ここ』って、どこなんだ?」
少年は少し躊躇い、しかし口を開く。
「旧日本軍の、東富士演習場の地下施設……そこで僕たちは訓練を受けていた」
拳をぎゅっと握り、記憶の痛みに胸を押さえるようにうつむいた。
尊の心がざわつく。
……東富士演習場、こんなに近くにあるとは……!
漠然と想像していた場所が、現実の距離として目の前に迫る――その衝撃に、頭の中で戦略を練る手も一瞬止まった。
「任務だって言われて……人を殴らなきゃいけなかったことも、嘘をついて欺いたことも、もっとひどいことも……」
声が詰まる。胸の奥で葛藤と後悔が押し寄せる。
茉奈は静かに手を伸ばし、少年の肩に触れる。
「もう大丈夫。怖がらなくていいの。ここは安全よ……。任務も、もう強いられない」
少年は目を伏せたまま、ゆっくりと口を開いた。
「夜遅くまで訓練させられた。失敗すれば殴られ、消えた友達もいた……でも、逃げることはできなかった」
茉奈はそっと背中を支え、頷く。
「それでも……よく耐えてきたね」
「覚えてる……壁に閉じ込められたり、暗い部屋で目を開けることも許されなかった。食事も、睡眠も、すべて管理されてた」
少年の声が震える。
茉奈は微笑み、手を握る。
「でも今はもう大丈夫。私たちがそばにいる」
少年の肩がさらに緩む。目にわずかに光が戻るのを茉奈は感じた。
尊は背後で周囲を確認しながら、頭の中で次の行動を整理する。
――この子は年齢が近く、記憶も鮮明。施設の構造や訓練の手順も把握しているはず。情報を最大限活かして子供たちを救うには……無駄な動きは許されない。
少年はさらに話し始めた。
「戦闘訓練も、人を欺く訓練も……正直、やりたくないこともいっぱいあった。でも、やらなきゃ終わらないと思った……」
茉奈は優しく手を握り、声をかける。
「もう、その苦しみから解放されていいの。怖がらなくていい」
少年の瞳に少しずつ安心が宿り、肩の力が抜け、呼吸も落ち着く。
尊は軽く頷き、茉奈に目で合図を送る。
――この情報で施設の構造、監視体制もある程度予測可能。突入ルートを考えるには十分な手がかりだ。
茉奈は微笑み、少年の手を握り返す。
「うん、よく話してくれたね。もう安全。怖がらなくて大丈夫」
少年は小さく息を吐き、肩の力を完全に抜いた。
胸の奥の緊張が少しずつ消え、目にはわずかな希望の光が宿る。
尊は背後で警戒を解かず立ちながらも、頭の中で戦略を組み立てる。
――この子の証言、過去の訓練時間帯、見張りの配置……すべて繋げば、潜入の最適時間も予測できる。茉奈の能力と組み合わせれば、子供たちをより安全に救出できるはずだ。
外に出ると、御殿場の空気は清々しく、遠くの山々に朝の光が差していた。
少年の顔には、不安と同時に、わずかに希望の光が宿る。
尊と茉奈は互いに視線を交わす。
――次の任務に立ち向かうために。
――この施設の真実を暴くために。
日常と任務、旅の雑踏と緊張の狭間で、二人は再び前を向いた。
少年が告げた「東富士演習場地下の施設」という言葉は、これから直面する試練の大きさを示していた。
だが、茉奈の安定した力と尊の威圧、そして互いの絆があれば、どんな困難も乗り越えられる――
二人は、そう信じていた。
次回は 10月27日(月) 19時 更新予定です




