第八夜 転機
尊と茉奈の生活は、与野事務所での出来事を境に大きく変わった。
二人は勤めていた会社を辞め、日本独立党が経営する「株式会社お忍びタイムズ」へ入社したのだ。
表向きは旅情報を盛り込んだフリーペーパーを発行する企業。だが、その実態は帝国の監視をかいくぐり情報を拡散し、人々の意識を変えていくための拠点だった。
社長でありカメラマンでもある浜田は、笑顔の奥に戦場帰りの鋭さを隠し持ち、二人を社員として迎え入れた。
茉奈は記者兼ライター、尊は浜田のカメラアシスタント。肩書きは軽いが、その意味するところは「表も裏も駆ける戦力」だった。
入社から数日後。
尊と茉奈は浜田の運転するワゴンに乗り、茨城事務所へ向かっていた。後部座席には、黒髪を銀に染めた詩織が静かに座っている。
「……その髪、どういう仕掛けなんだ?」
尊が思い切って尋ねる。
茉奈も興味津々で身を乗り出した。
「そうそう!急に銀髪になってて、気になってたんです」
詩織はルームミラー越しに二人を見やり、口角を上げる。
「まだ教えられんよ」
詩織は窓の光に指先をかざし、銀色に反射する髪をそっと撫でた。
「時が来たら分かる」
はぐらかすように視線を窓の外へ逸らした。
やがて話題は与野事務所で保護された子供へ移った。
詩織が静かに語る。
「その子は"名前"がない。ただの番号――No.16と呼ばれていたようじゃ」
車内の空気が凍りつく。
「番号……?」尊が唸る。 その言葉が、なぜか胸の奥に冷たい棘のように突き刺さった。
「あぁ。他にも子は見たことがあるが、14番以前は見たことが無いという。一番新しいのは21番。物心ついた時には番号で呼ばれ"窓のない白い部屋"で訓練を受けたと。できない子は連れ去られ、帰ってこない。……研究材料として失敗した、と話耳にしたことがあるそうじゃよ」
"窓のない白い部屋"――その言葉が頭の中で反響し、理由のわからない吐き気と苛立ちがこみ上げてくる。先日見た、泣き叫ぶ母親から赤ん坊を引き離すニュース映像が脳裏に蘇った。あの時はただ理不尽だと感じただけだった。だが今は違う。名前を奪われ、番号で呼ばれ、物のように扱われる子供たちの姿が、スクリーンの中の赤ん坊と重なる。それは、決して許されるべきではない、魂そのものへの冒涜だ。
茉奈は胸を押さえた。子供たちの怯えた表情が頭に浮かぶ。
「そんなの、絶対に許せない……」
「能力があれば有能。だが失敗すれば、廃棄されるだけ」詩織の声は氷のように冷たかった。
その冷徹な言葉が、尊の中の何かに火をつけた。
尊は強く拳を握りしめた。これはもう、茉奈を守るためだけじゃない。俺自身の問題だ。
「間違ってる……」低く、唸るような声が漏れる。
「絶対に救ってやる。何人でも」
ワゴンが茨城事務所に到着する。尊のために外からの光を完全に遮断した控室と隣の室内に、二人の子供が保護されていた。
「覚醒のたびに顔を胸に突っ込むのか?不便じゃの」
と詩織は尊をからかうが、
「甘いな。俺だって成長してるんだよ」
と言いって尊が茉奈の手をしっかりと握る。その手を茉奈は胸元で両手に包み込む。伝わってくる鼓動、茉奈への思いが重なり、互いの鼓動が共鳴し、黒髪の力が反応する。
「おぬしの覚醒条件も研究対象にして、後天的発現の能力者を増やしたいところじゃの」
詩織が小さくつぶやいた…
保護していた一人は与野事務所のNo.16と同じく、鎖で拘束されベッドで丸まっている。茉奈と尊の力で、次第に怯えが薄れ、静かな呼吸を取り戻した。
尊は茉奈の手を軽く握り、二人で控室を出た。廊下を進み、もう一つの静かな保護室の扉の前に立つ。
扉の向こうに、拘束服を着た少女の影が見える。空気がひんやりと張りつめる。尊は深く息を吸い込み、覚悟を固め扉を開けた。もう一人の子供が待っていた。
拘束服に包まれたその子は、ただ座っているだけ。暴れる様子もなく、視線は虚ろだ。
保護できたのは運が良かったと聞いていたが、
「拍子抜けだな……」尊が呟いた、その瞬間。
少女の体がばねのように跳ねた。床が微かに震え、空気が鋭く裂ける音が耳をかすめる。
全身を使った突撃。尊の"圧縮された時間"の中でも異常に速い――他人には見えない一撃。
「茉奈ッ!」
尊は身をねじ込み、茉奈の前に割り込んだ。
衝突の衝撃は、黒髪の尊の体ですら軋みを上げた。
だが、それだけだった。
少女を床に叩き伏せる。
押さえている掌に力を込めると、指先に床や空気の微細な振動が伝わり、部屋の空気が一瞬止まったように感じた。少女の瞳の奥で、恐怖と混乱が渦巻き、思考が追いつかない、突撃が止まる。
脳内の時間がゆがみ、尊の体はわずかな振動も逃さず感知していた。
数秒遅れて事態を理解した茉奈が駆け寄る。
「尊!大丈夫!?」
「問題ない。それより……お前こそ怪我はないか」
「……うん、ありがとう。守ってくれて」
茉奈は震える少女の頭をそっと撫でる。時間をかけ、胸元で抱きしめ、怯えが涙に変わるまで寄り添い続けた。
やがて、戦闘本能は剥ぎ取られ、ただの子供として泣き崩れる。
その光景を見届けた詩織と浜田は、目を合わせた。
「……やれるな」
「ええ。彼女の力は確かに"子供を救う力"だ」
「そして尊は――侍を上回る力を持つ」
二人の声に震えが混じる。
これまで常に後手に回っていた独立党が、初めて帝国を出し抜ける可能性が芽生えたのだ。
尊は茉奈の手を握る。温もりが確かに伝わり、鼓動と鼓動が重なる。
その瞬間、彼の中で一段と黒髪の力がざわめくのを感じた。
「……日々成長している」詩織が小さく呟いた。
尊は真っ直ぐに茉奈を見つめる。
「俺は、お前を守る。その力で子供を救う。……そして帝国から奪い返す」
茉奈は強く頷いた。
この瞬間から、すべてが動き出した。
次回は 10月20日(月) 19時 更新予定です




