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黒髪巫女と銀髪少年の深淵  作者: 烏刻
第二章 接触
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第七夜 開花

 

 尊は深く息を吸い、静かに吐き出した。

 重く軋む音を立てて、隣の部屋の扉が開く。


「浜田、同行を頼む」

 詩織の低い声に応じ、屈強な党員が一歩前に出た。肩幅は尊の倍近く、筋肉で固めた肉体は壁のように分厚い。護衛という言葉そのものを具現化した存在だった。


 尊と茉奈、そして詩織に浜田を加えた四人は、ゆっくりと部屋に入った。


 その瞬間、空気が変わった。

 薄暗い部屋の奥、ベッドに小さな影が縮こまっている。両手両足を荒縄で縛られ、身じろぎすることすら難しそうだ。だが、光を宿した瞳だけは鋭く、こちらを睨み返していた。


 ――やはり、俺の見た通りだ。


 尊の胸に、冷たい予感が形を持つ。


 足を踏み入れた瞬間だった。

 子供が突然、体を大きく揺らし始めた。拘束された腕を引きちぎらんばかりに暴れ、獣のような唸り声をあげる。縄が床に擦れ、軋む音が耳を刺す。


「落ち着け!!」

 詩織が声を張り上げる。しかし、その言葉は子供に届かなかった。叫びと暴れ方は激しさを増し、今にも拘束を破って飛びかかってきそうだった。


 尊は奥歯を噛みしめた。

 ――このままじゃ危険だ。確かに、この子は拘束しておくしかない。


 諦めかけた瞬間。


 服の裾をぎゅっとつかまれた。

 横を見ると、茉奈の指が震えながらも尊の服を離さない。怯えているのではない。彼女の瞳は、必死に現実を受け止めようとしていた。


「茉奈……」


 茉奈が一歩踏み出した。恐怖で震える体を押しながらも、子供の眼差しに「助けたい」という衝動が勝ったのだ。

 小さな胸の鼓動が早鐘のように響く。震える足で、子供の前に近づく。恐怖と警戒が混ざる空気の中、彼女の瞳は揺るがず、ただ子供を落ち着かせようとしていた。


「怖くないよ……」

 囁くように声をかけ、茉奈はそっと手を差し伸べる。


「危ない!」

 詩織が叫び、浜田が動こうとする。茉奈の足が震えていた。だが、それでも止まれなかった。さらに一歩。子供の視線と正面から向き合おうとした。


 尊の胸に、焦りと衝動が一気に駆け上がった。

 彼女を守るために、体が勝手に動いていた。すぐ隣に並び、手を伸ばせば触れられる距離。鎖や拘束具で縛られていようと、子供の爪や歯は十分に凶器になる。


 ――近い。心臓の鼓動が耳の奥で鳴り響き、呼吸が勝手に浅くなる。脳が警告を発していた。危険すぎる。


 尊の警戒を裏切るように、子供は飛びかかった。

 鎖に引きずられながらも、全身をバネのようにしならせ、牙を剥き出しに。それは自らの意思より命令に従った動きにも見えた。


「怒るなよ」

 尊が低く呟いた瞬間、空気が震えた。


 圧力。

 目に見えぬ壁が子供を押し返す。尊の内側から噴き出した威圧が、爆発音もなく部屋を満たした。


 飛びかかろうとした子供の動きが、突如として止まる。

 その瞳が恐怖に揺れ、後ずさる。ベッドの端まで追い詰められ、小さく体を縮めた。


「尊……」

 茉奈が振り向いた。短く合図を送る。その瞳には、揺るぎない信頼があった。


 尊はゆっくりとうなずき、圧力を解いた。


「……きっと大丈夫」


 茉奈は小さく呟き、子供へ歩み寄った。牙を剥いているが瞳の奥には恐怖が残っている。

 怯えた瞳が、彼女の差し出した手を拒絶する。震え、後ずさりし、泣きそうに顔を歪める。


 それでも、茉奈は手を引っ込めなかった。

「大丈夫……怖くないよ」

 彼女は囁き、そっとその小さな頭に触れる。髪をなで、ゆっくりと抱き寄せた。


 子供の体がびくんと震える。訓練によって植え付けられた攻撃本能が次第に力を失い、茉奈の胸に顔を埋め、嗚咽を漏らした。



 尊は拳を握りしめたまま、視線を逸らした。

 自分の力で子供を押さえつけるしかなかったふがいなさ。

 そして、こんな小さな子に牙を剥かせなければならない帝国の教育が憎かった。胸の奥で火花のように苛立ちが散り続けていた。


「……見たか、浜田」

 詩織が低く言った。


 浜田は息を呑み、深くうなずいた。

「この力……あの子供だけじゃない。全国で保護している子供たちを、まだ帝国にいる子供たちも救えるかもしれん」


 茉奈は涙を拭いもせず、子供を抱きながら振り返る。

「もし……この子が弟だったら、って思ったら……止まれなかった。ごめんなさい」


「謝ることじゃない」

 詩織の声は柔らかく、それでいて鋭かった。

「それは君の強さだ。だからこそ頼みたい。茉奈、そして尊……どうか、私たちに力を貸してほしい」


 浜田も拳を握りしめて頭を下げた。

「未来を……子供たちに未来を返すために」


 茉奈は小さく頷いた。

「……はい。私でよければ」


 尊は深くため息をついた。

 巻き込まれるのはごめんだ――そう思っていたはずだ。

 けれど、目の前の子供の涙と、茉奈の瞳の強さを見てしまった今、逃げる道理はもうどこにもない。

「……わかった。茉奈が行くなら、俺も行く」

 低い声は、覚悟と苛立ちと、ほんのわずかな自嘲を混ぜていた。


 決意の言葉が部屋を満たすと、しがみついた子供の嗚咽が、少しだけ静かになった。




次回は 10月16日(木) 19時 更新予定です

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