業火
その日の夜
薄暗い部屋の中。
俺はベッドに座り、スマートフォンを手にしていた。
その画面には、二つの動画が並んでいる。
ひとつは田中が教室で俺を殴り、笑いながら蹴りつける動画。
もうひとつはあの用具室で、田中が全裸で土下座し、嗚咽しながら許しを乞う姿。
俺は無言で、それらを再生した。
スピーカーから響く、かつての田中の高笑い。
そして、その後に流れる、嗚咽と絶叫。
部屋の静寂を、交互に響く「支配」と「崩壊」の音が満たす。
俺の目は、まったく笑っていなかった。
ただ何かを“確かめるように”、画面を見つめていた。
そして、つぶやいた。
「……これで、終わりにしよう」
静かな決意。
いや、これは終わりではない。
これは「始まり」だった。
俺はスマホを操作し、匿名アカウントを開く。
新しく作った“告発用アカウント”。
「●●高校いじめ告発」という名のアカウントに、俺はまずいじめ動画を投稿した。
投稿文
> 【いじめ加害者の実態①】
この動画は、●●高校2年、田中○○が同級生に対して行った暴力の記録です。
拡散希望。加害者を守る学校の沈黙を許さない。
投稿ボタンを押す。
数秒後、動画がアップされた。
再生数は、すぐに三桁に達し拡散されていく
コメントが流れ始める。
> 「うわ、えぐ」
「これ犯罪じゃん……」
「まじでこんなこと? 許せない」
「こいつキモすぎるだろwww」
「犯罪者タヒね」
「田中○○の住所特定したwww」
「教師とか、他の生徒は無視かよ最低だな」
俺は、それを無感情に見つめていた。
続けて、もうひとつの動画を投稿する。
投稿文②
【加害者の末路】
教室で暴力をふるっていた田中○○くん。
これが彼の“その後”です。
罪を認め、全てを失い、土下座謝罪する様子を記録しました。
いじめは、こうして償われるべきです。
その動画もまた、瞬く間に拡散されていく。
「全裸土下座」
涙を流し震えながら謝る田中の姿。
一線を超えた内容に、驚愕と批判と好奇の声が入り混じる。
「これマジ? wやりすぎじゃない?ww」
「でもこいつがいじめしてたんでしょ?」
「かわいそう? 被害者の方がもっとかわいそうだよ」
「チ○コちっさwww」
「こいつはタヒんだ方が良い」
善悪の議論が、匿名の海で交錯する。
正義と復讐、同情と侮蔑が入り混じる。
俺は、それらのコメントをひとつひとつ目で追いながら、どこか冷めたように笑った。
「……これで、田中はもう“終わった”」
社会的死。
人格の破壊。
家庭の崩壊。
そして今――ネットという“公開処刑台”に、彼は立たされた。
もう、誰も救えない。
誰も、庇えない。
「いや…アイツらもここで全部終わらせよう」
あの日。
教室で、俺が蹴られたとき。
首を絞められ、机に叩きつけられたとき。
誰も、助けなかった。
目を逸らした。
笑っていたやつも、いた。
スマホを向けて撮っていたやつも。
「……お前ら全員。共犯者だ」
俺は静かに立ち上がる。
再びスマホを開き、フォルダの深い場所に眠る、動画群を呼び出した。
──クラスの空気を映した“沈黙の証拠”。
田中が暴力を振るうたび、見て見ぬふりをした連中の表情。
笑っていた顔。
顔を背けた瞬間。
教師の目の前で行われた暴力に、誰も何も言わなかった“現実”。
俺はそれらを繋ぎ合わせ、一本の動画に編集した。
タイトルをこう名付けた。
【いじめ教室の真実──共犯者たちの沈黙】
動画にこの文章をつけて投稿した
「これは、ただの“いじめ”動画ではない。
これは、“全員”が加担した地獄の記録である。
笑っていたお前。見て見ぬふりをしたお前。
撮影してたお前。それを止めなかった教師。
……お前ら全員許さない。」
いじめ特化の告発アカウントに、第三弾として。
投稿文③
【共犯者の顔】
この動画には、暴力を見て笑った生徒、無視した教師が映っています。
“傍観者”は“加害者”と同じ罪を背負う。
いじめを止めなかった者たちの姿をご覧ください。
拡散希望。
#いじめ撲滅 #傍観者も加害者 #●●高校の闇
──数分後。
動画は、爆発的に広まっていく。
「田中」だけではなく、**“その他全員”**が標的になる。
動画の一時停止で映った顔に、SNS民が名前をつけていく。
「この眼鏡、田中の横にいつもいたやつだよな?」
「こいつ笑ってるじゃん……最低すぎ」
「この女、スマホ構えてね?撮影してたの?」
「教師もガン無視じゃん。学校ぐるみじゃん」
怒りは、火の手のように広がった。
個人が特定され、過去のSNSが掘り起こされ、学校の名前が晒される。
“加害者たちの名簿”が勝手に作られ、拡散されていく。
俺の胸には、冷たい達成感が満ちていた。
だがそれと同時に、ほんのわずかな虚しさも、あった。
翌朝
俺は目を覚ますとスマホに大量の通知が来ていたその数は、数千件を優に超えていた。
通知欄が真っ赤に染まっている。
いいね、リポスト、コメント、メッセージ──全てが、俺の投稿に群がっていた。
その中の一つを開く。
見知らぬアカウントからのDMだった。
「ありがとう。私も同じようなことされてた。
でも、あなたみたいに“やり返す”勇気、なかった。
本当にありがとう。」
別のDMには、こう書かれていた。
「田中ってやっぱりクズだったんだな。
あいつ、昔俺にも偉そうだった。
よくやったよ、マジでスカッとした。」
──称賛と感謝。
──共感と喝采。
画面の向こうで、誰かが俺を「英雄」のように扱っている。
けれど──心は、何も動かなかった。
「……違うんだよな」
あの動画は、確かに効いた。
奴らはもう学校に来れない。
世間に顔も出せない。
無視してたクラスメイトも学校もその家族も、きっと終わるだろう。
もしかしたら何人かは自○するかもな…
でも俺が欲しかったのは、そんな拍手じゃない。
欲しかったのは─田中の“本当の崩壊”。
けどそれでも、あの“教室での地獄”の記憶は、消えない。
机に押し倒され、顔を踏みつけられ、笑われたあの瞬間。
あの視線。
あの吐き気を催す声。
ここまでしても俺の心は満たされない…
「足りない…全然足りない…どうしたらこの心が満たされる………そうか…田中がまだ生きているから……『壊れてない』から……もう我慢できない…壊そう」
そう決心して俺は部屋を出たすると母さんが
「俊介の、学校がいじめ問題でニュースになってるわよ。それでしばらくの間休校するそうよ。」
「……そう」
俺は、母の声に短く返事をしただけだった。
もう、そんなことはどうでもよかった。
ニュースになろうが、休校になろうが、あいつがまだ“生きている”ことに変わりはない。
部屋に戻り今度はクラスのグループチャットを見ていた。
グループ「2年C組★」
小林
てか俺さ、あのとき教室にいなかったから関係ないし
なんかめっちゃ映ってる風に見えるけど、ただ通りかかっただけだし
ほんと誤解されるの迷惑なんだけど
中村
……私、止めればよかった
今さら遅いけど
本当にあの時、声かけてたら何か変わったのかな……
あの動画の中の自分、ほんと最低だった
斎藤(取り巻き1)
あのさ、マジでふざけんなよ
あれ切り取りだろ?印象操作じゃん
動画出したやつ名誉毀損で訴えられろって感じなんだけど
佐藤
いや、私たちより先生じゃない?
教師が止めなかったのが一番問題でしょ
生徒だけ責められるのおかしいよ、ほんとに
井上(取り巻き2)
正直さ、今さら騒いでどうすんの
もう終わったことじゃん
みんなだって面白がってただけだし、そういうノリだったろ?
山本
なんか手が震えるんだけど
これ、親とかにもバレるよね?学校から連絡くるよね?
どうしようどうしようどうしよう……
会話の流れは途切れ、文字が沈黙を包む。
誰も正義を語れず、誰も責任を取らず、
ただ、“あの時”の自分が晒された恐怖と罪悪感の中で、
それぞれが小さく震えていた。
やがて、誰かがぽつりと呟いた。
「……これって、“地獄の入り口”だよね」
誰もそれに返事をしなかった。