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渇き

俺は荷物を手に取り、家へと帰った。

帰り道の足取りはどこか軽く、気がつけばもう

家に着いていた。


玄関を開け、靴を脱ぎ、そのまま自分の部屋へ向かう。

部屋に入ると荷物を放り投げ、制服のままベッドに寝転んだ。


天井を見つめながら、俊介は無言だった。


まぶたの裏に焼き付いているのは、田中の泣き叫ぶ声。


土下座する背中。鼻水と涙と嘔吐でぐしゃぐしゃになった顔。


思い出すたび、胸の奥が少しだけ満たされた。

けれど、それはほんの一瞬のことで、すぐに消えてしまう。


「……足りねぇ」


ぽつりと漏れた声には、感情がこもっていなかった。


自分でも驚くほど冷めた、ただの“事実”を確認するような声。


あれだけのことをしても、虚しさは消えなかった。


むしろ――もっと壊したくなっていた。


あれでは、俺の“痛み”には届かない。


「……あいつだけじゃないよな」


脳裏に浮かぶのは、他の“傍観者”たちの顔。

何も言わず、見て見ぬふりをしたクラスメイト。


ときに笑い、ときに沈黙しながら、俺の苦しみを“エンタメ”として消費した連中。


田中は“主犯”だった。


だが、“共犯者”は――教室中にいた。

俺を苦しめたのは、田中ひとりじゃない。

それなのに、田中ひとりで終わらせるなんて、そんなのは都合が良すぎる。


「……全部、壊さないと……俺の中の“何か”は終わらねぇんだよ」


俺の目が、ゆっくりと鋭さを取り戻していく。

冷たい、光のない瞳。


その奥にあるのは、もはや「正義」ではなかった。


あるのはただ、喪失を埋めるための“破壊衝動”。

もう誰も、俺の苦しみに手を差し伸べることはできない。


なぜなら、俺自身がそれを望まなくなっているからだ。


優しさも、言葉も、赦しも今の俺には何の意味もなかった。


必要なのは、崩壊。連鎖する復讐。


(でも、まだ田中を壊しきれてない……)






翌朝

目が覚めると、外はすでに明るかった。

あのあとすぐに眠ってしまったらしい。

心は満たされていなかったが、なぜか気分は悪くなかった。


俺はまるでおもちゃを買ってもらった子どものような気分で、学校へ向かった。

田中は、来ていた。


教室の一番後ろ壁に背をくっつけるようにして、うつむいている。


机に手を置いたまま、まるで石像のように動かない。

扉が開いた瞬間、肩がビクッと跳ねたのが遠くからでもわかった。


――来たんだな。


心の中で、俺は静かに呟いた。


命令に従わなければ、何をされるか分からない。

いや、もう分かっているのだ。


だからこそ、登校してきた。


教室の隅で、小さく縮こまる田中。


だが、逃げない。いや、逃げられない。

“俺に来いと言われたから”来た。ただ、それだけの存在。

誰も知らない。


あの放課後、誰もいなかった。


あの密室で、俺が田中に何をしたのか、誰も知らない。


突如、田中は壊れ始めた。


それは唐突で、静かで、不気味だった。


昨日まであれほど威張っていた田中が、

今では教室の隅で小動物のように震えている。


声も出さず、目も合わせず、息を潜めるように。

その異様な変化に、クラスメイトたちは戸惑っていた。


「……田中、なんか、やばくね?」


「体調悪いんじゃね?」


「いや……昨日、俊介と用具室にいたよな……?」

ひそひそとした声が、教室のあちこちで交差する。


だが、誰も核心に触れられない

何が起こったのか、誰も知らないからだ。


俺はその中心で、黙って座っていた

何も変わらない日常のように。


ただ、田中をちらりと見るだけ

その視線ひとつで、田中は怯え、背筋を伸ばした。


机の下で手を組み、俺から目を逸らそうと必死だった。


周囲はさらに混乱していく。


なぜ俊介を恐れている?


俊介は何をしたのか?


暴力も怒声も、誰も見ていない

なのに、田中は恐れている。


その違和感が、教室全体に静かに染みわたっていく


疑念、不安、沈黙。


でも誰も、それを“言葉”にできない俺は、それが楽しかった。


“俺だけが知っている”という優越感。


“お前らが知らないうちに、主犯は壊された”という快感。


田中はすでに、俺の掌の上にいる。

だが、クラスメイトたちはまだ、その地獄に気づいていない。


この歪みが、たまらなかった。




昼休み


「……昼、田中と一緒に食っていい?」


わざと周囲に聞こえる声で言った。

田中はビクリと反応し、恐怖の眼をこちらに向けたが、何も言えない。


そしてただ、静かに頷いた。

その瞬間、教室はさらに静まり返った。

何かがおかしい。だが、誰も核心に触れられない。


教室の空気が変わった。


「些細な違和感」は、やがて「確信」に変わっていく。


俺は普段通りに弁当を開き、静かに箸を動かしていた。


向かいの席の田中は、まるで抜け殻のように座っている。


白くなった顔。焦点の合わない目。


弁当は開かれているが、手は動かない。


箸を持つことすら、もう“重すぎる作業”になっていた。


誰も、その異常に気づこうとしない。


「あれ? 田中、体調悪いんじゃね?」


「……まあでも、よくあることじゃね?」


疑念はある、だが誰も深く踏み込まない。


なぜなら昨日俺が言った


「誰もついて来るなよ」


睨みながら放たれたその言葉の圧それを皆が、無意識に引きずっている。


田中が壊れていく理由を、知っている者は一人もいなかった。


田中は、俺に一言囁かれただけで震える。


だが俺の心には、まだ渇きが残っていた。


(これだけじゃ……足りねぇ)


田中は、完全に壊れていない。





放課後

教室の窓際。カーテンが揺れる中、俺はスマホを手に取った。


画面に映るのは、昨日撮った田中の自宅の番号。


(家庭ごと……壊す)


通話ボタンを押す。数回の呼び出し音。

そして、硬めの女性の声が応答した。


「はい、田中です」


一呼吸置いて、俺は優しい声を作った。


「あ、突然すみません……僕、田中くんと同じ学校の者なんですが……お母さま、いま少しお時間いいですか?」


「ええ……何かありました?」


「……実は、田中くんのことで……お伝えしなきゃいけないことがあって」


「え?」


「田中くん……学校で、ある生徒をひどくいじめているみたいなんです」


沈黙。だが俺は続ける


「本人は認めてませんが、教室では皆が知っていて……

暴力や暴言、私物を壊したりしていました。

その生徒、今では学校にも来れなくなってます」


「そんな……そんなこと……息子が……?」


「信じたくないですよね。

でも、その生徒、最後にこう言ってました――『田中くんだけは許さない』って。

だから僕、黙っていられなかったんです。学校に言う前に、まずご家族に伝えたくて。

証拠の動画が入ったSDカードをご自宅に送っていますので、届いたらご確認ください」


「……わかりました……お電話、ありがとうございます……」


通話は、震える声で切られた。


俺はスマホをそっと置く

田中の保護者は、“世間体”を何よりも気にする人間だった。


家庭内では常に“優等生”であることを求められていた田中にとって、


「いじめの加害者」というレッテルは、最大の裏切りとなる。


そして昨日送ったSDカードも、そろそろ届いている頃だ。




翌日

田中は教室に現れた。

だが、その顔には明らかな変化があった。

目の下には腫れ、唇は切れ、制服は乱れ、カバンの持ち手は破れていた。


それ以上に、“気配”が違っていた。

怯えている。俺ではなく、世界そのものに対して。


田中は席に着くなり、机に突っ伏した。

誰も話しかけない。


いや、誰も“関わりたくない”という空気さえ漂っていた。


俺は、その背中を見ながら、ゆっくりと席に座る。


(……親に殴られたな)


分かるあの腫れは、教師や友人ではつけられない。


“恥をかかされた”ことに激怒した親が、感情のままに手を上げたのだろう。


俺は、静かに目を閉じた。

(……家庭も壊れた。もう、戻る場所はない)


田中から、仲間も、尊厳も、そして家族も奪った。


だがそれでも、俺の胸の中の空洞は、まだ埋まっていなかった。

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