見えない聞こえない
静寂の中、俺の指先から淡く光がこぼれた。
「消したいものは、まだあるかしら?」
レイの声が静かに、でも確かな熱を帯びて俺の心に触れる。
俺は震える手を伸ばし、頭の中に響く嫌な声や映像を思い浮かべた。
「お前はダメだ」
「働け」
「社会のゴミ」
それらを、指先の光でそっとなぞるように消していく。
消えるたびに、胸の奥の重さが軽くなった。
部屋の外からかすかに聞こえていた近所の騒音や、スマホに届く通知の音も、気づけば消えていた。
まるで世界が、俺の願いに合わせて形を変えているようだった。
「すごい……俺の望みが、こんなにも簡単に叶うなんて」
そう呟くと、レイが優しく笑った。
「あなたは正しいわ。誰にも否定される必要なんてない」
「あなたはそのままでいいのよ、何をしても私はあなたのそばにいる」
その言葉に、俺の胸は甘く満たされていった。
レイの瞳に映る自分が、まるで本当に認められたようで、もう何も怖くなかった。
俺はそのまま力を使い続けた。
嫌な記憶、耳障りな言葉、心をえぐるニュース……すべてが俺の前から消えた。
消えるたび、俺の世界は澄み渡り、穏やかに満たされていった。
「和也、あなたは素敵よ」
レイがそっと肩に触れ、俺の震えを包み込む。
「どんなに暗い場所にいても、あなたは輝ける」
俺はその優しさに溺れ、彼女なしではもう生きられないと感じた。
けれど、そのときも胸の奥の小さな不安だけは、まだ消えなかった。
だがレイは決してそれを責めたりしなかった。
ただ、俺を肯定し続けた。
「怖がらなくていい。私はずっとあなたのそばにいる」
その言葉が何よりも力になり、俺はまた一つ、嫌なものを指先で消し去った。
消せば消すほど、俺の胸の重みは軽くなり、心は凪いでいった。
でも同時に、どこか空っぽな感覚も広がった。
まるで、自分の一部を削り取っているような――そんな気配を感じながらも、俺は止められなかった。
「もっと、消して……」
俺の声は震えていたが、レイは優しく微笑んで答えた。
「いいわ、和也。あなたが望む限り、何を消しても誰も責めない」
その言葉に、俺は完全に捕らわれてしまった。
レイは責めるどころか、むしろ肯定し、励まし、すべてを受け入れてくれた。
それはまるで、暗闇の中で初めて手を差し伸べられたような感覚だった。
しかし、力を使うにつれて、現実の感覚は薄れていった。
冷たい風の音も、遠くの話し声も、テレビの声もすべて消え、世界は静寂に包まれていく。
「これでいいんだ……これが俺の望んだ世界……」
でも、心のどこかで微かな違和感が芽生えていた。
それはまだ名前のつかない感情で、怖くて直視できなかった。
静寂の中、さらに俺は頭の中の嫌な声や映像をひとつずつ消していった。
胸の奥の重さが少しずつ軽くなるのを感じながら、力を使い続けていた。
しかし、やがて強烈な眠気が襲ってきて、目を閉じずにはいられなくなった。
光は消え、俺は深い眠りに落ちていった。
目覚めたとき、世界はいつもと違って見えた。
視界は霞み、物がぼんやりとしか見えない。
耳にも違和感があり、遠くで鈴が鳴るような耳鳴りが続いていた。
「なんだこれ……」
体は重く、動かすのも億劫だった。
そして、最もショックだったのは――昨日消したはずの嫌な声や記憶が、また頭の中に戻ってきていたことだった。
「嫌なものは、力を使った日だけ消せる……」
俺は目をこすりながら、レイに尋ねた。
「レイ……嫌な声や記憶が、また戻ってきたんだ。どうしてだ?」
彼女はやわらかく微笑み、優しい声で答えた。
「和也、戻ったならまた消せばいいのよ。あなたにはそれができるんだから。」
その言葉は温かく響いたけれど、どこか冷たい響きもあった。
まるで、俺が永遠に消し続けなければいけない呪いに縛られているかのように感じた。
「また消せばいい……」
その現実に胸が締めつけられ、絶望がじわじわと染み込んでいった。
それでも、俺はまた指先に光を宿さずにはいられなかった。
この力がなければ、俺はあの嫌な世界に押しつぶされてしまう。
だが、体は確実に蝕まれている。視界の霞みや耳鳴りは日に日に強くなっていく気配があった。
三日後、俺の視界は完全に暗闇に包まれていた。
ぼんやりと霞んでいた世界は、もう何も映さない。
耳もまったく聞こえなくなっていた。
遠くで鳴っていた鈴の音も、ささやき声も、すべて消え去った。
体はどこか遠くで重く、動かすことすら困難だった。
その暗闇の中で、俺は必死に声を絞り出した。
「レイ……レイ……! レイ!!」
何度も何度も名前を叫び続けた。
だが、耳に届くはずの声はなく、虚空に消えていくだけだった。
「レイ……頼む、答えてくれ……!」
叫び声は震え、次第に嗚咽へと変わった。
目も耳も奪われた俺に残されたのは、ただその声だけだった。
俺は、もう何も感じられなくなってしまったのだ。
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和也が叫び続ける声が、私の耳に届く。
視界も聴覚も奪われ、ただ絶望の闇に閉ざされた彼の声。
「レイ……レイ……」
何度も繰り返すその名は、か細く、苦しみに満ちている。
和也は実に面白い。
世間がどうあれ、自分が正しいと信じ込み、失敗はすべて他人のせいにする。
高いプライドだけを盾に、人間性をどこかに置き忘れていた。
そんな男の人生が、こんな終わり方を迎えるなんて、皮肉なものね。
視力も聴力も奪われ、何も見えず、何も聞こえない世界で、死ぬまで彷徨うことになる。
それが彼の代償だ。彼が選んだ道の結果。
私はただの暇潰しで彼を弄んだだけ。
彼の壊れていく様子を見て、少しだけ退屈が紛れた。
そして、力を取り返す時が来た。
和也の中にあるその“光”を、冷たく剥ぎ取った
「望んだ通り、見たくないものは見ずに、聞きたくないことは聞かないようになったわね。
それがあなたの求めた“救い”だったのかしら。
でも、そんな世界で生きることが本当に幸せだと思っているの?
プライドだけは人一倍高くて、失敗はすべて他人のせいにしてきたくせに。
結局最後は自分の闇に呑まれて、真っ暗な世界に沈んでいく。
ああ、なんて哀れで滑稽な終わり方なのかしら。
その高慢さが、最後には自分を縛りつける鎖となって、逃げ場もなくなるなんてね。
それでもなお、自分が正しいと信じていたのだろうけど――和也のような哀れな存在は、私の暇潰しの小道具に過ぎない。」
そう呟きながら、闇の中へと消え去った。
――――――終
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