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いただきます

夜。

夢の中、地鳴りと悲鳴が渦を巻いていた。


「真一っ……!」

崩れた壁の下で、母さんが腕を伸ばしていた。

その隣には父さん――ふたりとも胸から腰から下が瓦礫に埋もれていて、もう動かなかった。


「……逃げろ、真一……早く、美咲達を連れて……!」


「やだ、そんなのやだ! 母さん! 父さん!」


「いいから……! 美咲と美雪を守って……お願い……」


母さんの手は震えていた。

血に濡れた両親の顔が泣いていた。

俺は、必死に頷いて、妹たちの手を引いた。


「おにいちゃんっ……」

「にいちゃん……こわいよ……!」


「大丈夫、大丈夫だから!」


振り返ることはできなかった。

あの時、確かに分かっていた。

――もう、ふたりは助からないって。


俺は泣きながら、妹たちを瓦礫の隙間から外へと連れ出した。


 


……そして、朝。


目を覚ましたときには、すでに体の感覚が薄れていた。

背中の奥に残る、冷たい芯のようなもの。

それはもう、尽きかけている命の灯だった。


(……やっぱり、もう長くはないかもな)


でも、まだやることがある。


俺は、そっと美雪たちの寝顔を見つめた。

今月は――ふたりの誕生日だ。


(本当は……別々に祝ってやりたかったのにな)


少しだけ苦笑いして、ゆっくりと立ち上がる。

体が軋む音が聞こえた気がした。

鞄には、大きなタッパーを二つ詰めた。

ケーキは箱で出すつもりだ。小さな、あの日と同じホールケーキ。


「……行ってくる」


誰に聞かせるでもなく、そう呟いて家を出た。


 


人気のない道を選び、遠回りしながら裏の空き地へ向かう。

草の影に膝をつき、鞄をそっと下ろす。


(グラタン、唐揚げ、ケーキ)


胸元に手を当て、目を閉じる。


記憶の中の味を、匂いを、ぬくもりを思い出す。

そこには、昔の家の食卓があった。

母さんが笑って、父さんがケーキを切ってくれていた。

美咲がうれしそうにフォークを振って、美雪がケーキのイチゴを先に食べて怒られていた。

俺はその真ん中で、みんなの笑顔を見ていた。


(――ああ、幸せだった)


もう戻らない日々。

それでも、もう一度だけ、その記憶を味わえたことが、たまらなく尊かった。


涙が頬を伝っていた。


「……ありがとう。母さん、父さん……」


グラタンは美咲の好物。

白くとろけたチーズの下に、マカロニと鶏肉と玉ねぎ。

唐揚げは美雪が何より好きな料理。カリッと音がしそうな衣。

そして、ケーキは、あの日と同じイチゴの乗った小さなホールケーキ。箱のまま、手のひらに浮かび上がる。


すべてが揃った瞬間、呼吸が浅くなった。

胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

でも、もう痛くない。ただ、冷たいだけだ。


目を開けると、空は淡い色をしていた。

タッパーとケーキの箱を大事に抱えて、俺は家へ戻った。


 

その日、家の中では妹たちが扉の前で待っていた。


「おにいちゃん、何持ってるの?」


「にいちゃん、おかえりー!」



「今日は、特別な日だからな。ふたりとも……誕生日、おめでとう」


テーブルにケーキの箱を置いて、ふたりが歓声を上げる。


「えっ、ケーキ!? 本物!?」

「すごーい! イチゴついてるー!」


「町にケーキ屋が来てたんだ。運がよかった」

「グラタンと唐揚げは、いつもの人がくれた」


そう言って、ごまかす。

ふたりとも信じてくれた。


『いただきます』


無邪気な顔でスプーンを握って、食べ始める。

「おにいちゃん、美味しいよ!」


「にいちゃん、ありがとう!」



その言葉だけで、十分だった。

 



夜になり、美雪が眠ったあと。

部屋は静かになり、俺は天井を見上げていた。


毛布の上でうずくまるようにしていた美咲が、そっと声をかけてきた。


「……おにいちゃん」


「ん?」


「……昨日の夕方。こっそり、ついていったの」


俺はゆっくりと顔をそちらに向けた。

美咲の瞳はまっすぐで、ほんの少しだけ揺れていた。


「“いつもの人”って、本当はいないんだよね」


「おにいちゃんが、出してたんだね……ご飯を」


一瞬、心臓が止まるような感覚が走った。


「……見たのか」


声が、少しだけ震えていた。


「うん。……外で、タッパーにカレーを出してるところ。においがして……すごく、温かそうで。でも、おにいちゃん、すっごく苦しそうな顔してた……」


俺は何も言えなかった。


「美雪には、言ってない。他の誰にも、言ってない。」


「……なんで、言わなかったんだ」


「言ったら、きっと……おにいちゃんが無茶して、いなくなる気がして…美雪も、わたしも……何もできないけど、食べさせてもらってるだけだけど、でも……おにいちゃんもいなくなるのは、いやなの」


その声は震えていたけれど、涙は流していなかった。


「……だから、お願い。もうご飯出さないで…どこにも、行かないで。もう、あんな苦しそうなの……見たくないよ」


俺は、美咲の手をそっと握った。


「俺はもうすぐ死ぬ…だから美雪を……頼む」


その言葉に、美咲の顔がぐしゃっと歪んだ。


「……やだ……やだよ……やだ……!」


その夜、美咲は声を殺して泣き続けた。


俺は、これ以上何も言えなかった。


それでも、心の中で、何度も何度も謝った。


(ごめんな……美咲)

俺は天井を見上げながら、そっと呟いた。


(……明日、ふたりをあのおばあちゃんのところへ連れていこう)


守ってくれる人のもとに、ちゃんと届ける。

それが俺の最後の役目だ。


 

翌朝。

妹たちを連れて、ゆっくりと歩いた。

美咲は美雪と、手を繋いだまま静かに並んで歩いてくる。今日は、いつもと違う。


向かう先は――あのおばあさんの家だった。


以前、俺が空腹のあまり、盗みに入ろうとした家。

食べ物を盗ろうとしたところで見つかり、怒鳴られると思った。

でも――おばあさんは、俺に怒鳴らなかった。

震えて立ち尽くす俺に、三人分の料理を差し出してくれた。


あの時の匂い、あの味、あの優しさ。

一口食べた瞬間に、俺は、初めて“人に助けられた”と感じた。


その人に、今――全部を託そうとしている。


 


家の前に立つと、妹たちの手を離して、ひとつ深く息を吸った。

そして、小さくノックをした。


「……はいよ」


奥からゆっくりと近づいてくる足音。

懐かしい、床を歩く柔らかな足音。


やがて扉が開くと、そこには変わらない笑顔のおばあさんがいた。


「あら……あんたかい」


「……おはようございます」


「……二人も一緒かい。ふふ……ちょっと入んなさいな」


俺は軽く頭を下げおばあさんは、妹たちを客室へ通した。

そして、俺は玄関に立ったまま、まっすぐおばあさんの目を見て言った。


「……あの時は、本当に……すみませんでした。盗みに入った俺に、あなたは……ご飯をくれた。許されないことをしたのに……」


「……あんた、苦しかったろ。あの顔はね、嘘じゃなかったよ。腹だけじゃなくて、心まで飢えてた」


「……はい。あの時、あの料理が……俺に、人の優しさを思い出させてくれました」


俺は深く頭を下げた。土間の土に、額がつくくらいに。


「俺は今日…死にます。だから……ふたりを……俺の妹たちを、どうか、預かってください」


「……」


おばあさんはしばらく黙っていた。

そして、ゆっくりと俺の前にしゃがみ、顔を上げさせる。


「泣かないの。あんたはもう、十分がんばった。わたしにできることなんて少ないけど、それでも――あんたが守ろうとしてきたもんを、ちゃんと受け取るよ」


「……ありがとう、ございます……」


「ようやく、あの時の料理が役に立ったねぇ」


優しく笑うその顔が、どうしようもなくまぶしかった。


「ふたりを……ふたりをどうか……」


「大丈夫。任せときな。わたし、こう見えて意外としぶといからね」


精一杯の力で笑った。


俺は、おばあさんの家から出ようとすると

美咲と美雪が客室から出てきた


ふたりの顔は、不安と寂しさに揺れていた。


俺は無理に笑って、ふたりの目をまっすぐ見る。

「今から遠くにご飯を探してくる。」


ふたりは黙って頷いた。けれど、美咲の顔は、今にも泣き出しそうだった。


俺はふたりの手をそっと取って、優しく言った。


「……これからもちゃんと、『いただきます』を言って、ご飯を食べて。おばあちゃんにも、ちゃんとありがとうって伝えるんだぞ。食べられるってことは、それだけですごいことなんだ。……それだけで、幸せだから」


美咲も美雪も、きゅっと唇を噛んで頷いた。


「……じゃあ、行ってきます」


その言葉を残して、俺はふたりの手をそっと離し、扉を開けた。


外の空気は静かで、遠くで風の音だけがしていた。


背中に感じる小さな視線を振り返ることはせず、俺はゆっくりと、歩き出した。


足取りは重くなかった。

むしろ、これまでで一番軽かった。

空は穏やかに晴れていた。

誰もいない道を、ゆっくりと歩く。


ああ、そういえば。

こんな穏やかな朝を、どれだけ待っていたんだろう。


美咲と美雪は、もう大丈夫…。

寂しい思いも飢えることも無いだろう…。

これからも姉妹で仲良くご飯を食べられる

――それだけで十分だ。

ふと、道の先に影が差した。


風が止んだかと思うと、目の前に、ひとりの女性が立っていた。


金色の長い髪。

黒いドレス。

そして、左右で色の違う瞳――


「……レイ」


俺が名を呼ぶと、彼女は微笑んだ。

レイは、俺の顔をまっすぐに見つめる。


その目には、優しさと哀しさが、いっしょに宿っていた。


「もう、力使えないよね」


「……うん。もう…無理」


「最後まで、本当によく頑張ったね」


「……俺には、それしか、できなかったから」


「ううん、それができる人は、少ないんだよ。

自分の命を削って、誰かのために“与える”なんて」

レイはそっと近づき、俺の手をとった。

その手は冷たくなく、むしろ温かかった。

そしてほんの少し微笑んで、続けた。


「君は、優しかった」


真一は、小さく頷いた。


「……ありがとう。じゃあ、力を……返すよ」


ただ静かに、目を閉じる。


レイが真一の胸に手を添えると、真一の体からふわりと何かが抜けていく。

痛みは、なかった。

苦しみも、なかった。



そして――


真一は、微笑んだまま、その場に、崩れるように倒れた。


レイは、目を伏せる。


そっと、彼の頬に手を伸ばし、その冷たさを確かめるように撫でる。

「君は、自分の命を燃やして食べ物を出した

まるで――自分の命を、少しずつ料理に変えていくみたいに。

血肉ではないけれど、魂を、寿命を、記憶を……そのすべてを“食材”にして。

でもね……真一。あなたの罪は、“盗み”なんかじゃない妹たちを生かす為には仕方がないもの……それよりも二度も、妹たちに『家族の死』を与えたことが本当の罪よ」


声は、静かで、優しく、そしてどこか皮肉めいていた。


「一度目は、あの地震の日。

二度目は、今日。あなた自身が“家族”であることを終わらせた、この日」


「それでも、あの子たちは、きっとあなたを恨まない。

だって、あなたは最後まで“優しさ”だけでできていたから」


レイは空を見上げた。

まるで誰かに報告するように、静かに告げる。


「……本当に、よくやったわ。

あなたは立派だった。この世界の誰よりも」


風が吹く。

眩しいくらい明るい日差しがレイを照らした。

レイは真一を抱きかかえて背を向け

どこかに消えて行った。


「――おやすみなさい。真一。」━━━終


作品を読んでいただきありがとうございます。

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