贖罪
それからの日々、俺は毎日、妹たちに「美味しいご飯」を作り続けた。
朝も、昼も、夜も。
おにぎり、焼き魚、味噌汁、卵焼き。
ときにはシチューやハンバーグ、母さんがよく作ってくれたミートソーススパゲティ。
記憶の中にあったものなら、どんな料理でも出すことができた。
「今日のごはんも、おいしかった!」
無邪気に笑う妹たちの顔が、俺にとって何よりの救いだった。
でも、同時に、怖くもあった。
一皿、また一皿――料理を出すたびに、俺の体のどこかで、静かに“何か”が削れているのを、感じていたから。
それでも俺は、出し続けた。
妹たちだけじゃない。親を失い、避難所に入れなかった他の子どもたちにも、ご飯を分けるようになった。
一度、食事の匂いを嗅ぎつけて戸口から覗いた痩せた少年に、俺は自然と声をかけていた。
「……よかったら、食べていくか?」
少年は何も言わず、ただこくんと頷いた。
俺は鍋の中のシチューをすくい、紙皿に盛った。 食べた瞬間、少年の肩が小さく震えたのを、俺は見逃さなかった。
(ああ、これが、贖罪なんだろうな)
自分のためじゃない。
もう盗まないと決めたあの日から、これは“与えるため”の力になった。
罪は、消えない。
でも、その重さの上に、誰かの笑顔がひとつでも乗ってくれるなら――
何日か経った朝だった。
家を出た。
向かう先は――西。かつて、畑に忍び込んで野菜を盗もうとした、あの場所だった。
もう一度、あの人に会いに行くために。
妹たちに背を向けて扉を閉める時、胸の奥がずしりと重くなる。
けれど、それ以上に、踏み出さなければならない理由があった。
あの時、自分は間違えた。
腹を空かせた妹たちを理由に、盗みに走った。
――それはただの言い訳だった。
畑のある丘は静かで、風がやわらかく草を揺らしていた。
畦道に出ると、あの人の姿が見えた。
大きな背中。
焼けた首筋。
麦わら帽子の影に隠れた顔は見えなかったが、俺の胸はすでに締めつけられていた。
「……すみません」
声をかけると、男は一瞬だけ手を止めた。
「また来たのか」
その声に、刺がある。
「はい。……謝りに来ました。」
男は振り返り、じっと俺を見た。
「……何を今さら。妹がいるからって、人の畑に入っていいと思ったのか?」
その言葉に、俺の口が固まった。
男は目を細め、ゆっくりと近づいてきた。
「……俺が怒ったのはな、“妹たちを理由にした”お前にだ」
「……っ」
「妹たちが飢えてたから仕方なかった? 違うだろ。妹を言い訳にして、自分を許そうとしただけだ」
その言葉は、鋭くて痛かった。
けれど、全部、本当だった。
「……はい。おっしゃる通りです」
俺は頭を下げた。
「……“妹がいる”ことを盾にして、自分の罪を軽くしようとしていました。 でも、本当は、誰のせいにもできません。あれは……俺がやったことです」
土の上に、手をつく。
「……申し訳ありませんでした」
風が吹く。
男は何も言わず、しばらく俺を見下ろしていた。
やがて、少しだけ息をつき、目を伏せた。
俺は胸元の包みを取り出した。
包みを開くと、ふたつの小さな、梅干し入りのおにぎりが顔を出した。
「これ……食べてください。何の詫びにもなりませんが……俺が作ったものです。 味は、保証できませんが……」
男は視線だけで、包みを見つめた。
そして、何も言わずにその一つを取り、包みを閉じた。
ひと口、かじる。
梅の酸味が、風の中にふわっと広がった。
「……しょっぱすぎず、悪くない」
「……ありがとうございます」
「手間、かけたな」
「いえ……これくらいしか、できないので」
しばしの沈黙。
男は帽子を取って、額を拭いた。
そして、ぽつりと言った。
「……また来たら、話くらいは聞くぞ」
その言葉に、胸が熱くなる。
「ありがとうございます……あなたの畑、あの時、本当にごめんなさい」
男は目をそらして、言った。
「……名前は?」
「……真一です」
「……俺は井村。次は勝手に畑に入るな。ちゃんと、ここから声かけろ」
「はい。井村さん……」
井村さんはそれきり何も言わず、再び畑のほうへ戻っていった。
風が吹く。
青い空の下、野菜の葉がさらさらと揺れていた。
俺は、ようやく一歩を進めた気がした。
守るべきもののために、失ったものに向き合って。
それから数日は、穏やかだった。
料理を作り、妹たちと笑い、時々、近所の子どもにも分けていた。
けれど――
その“しあわせな日常”は、突然、終わりを告げた。
二週間後。
朝、パンを出したあと、俺はふらりと床に手をついた。
「……おにいちゃん?」
美咲が心配そうに声をかける。
「……ああ、大丈夫。ちょっと、寝不足なだけ……」
無理に笑ったけど、胸の奥はひどく重たく、足に力が入らなかった。
それでも、見た目には何の異変もなかった。 鏡を見ても、顔色は普通だし、傷一つない。
でも、分かる。
体の中で、何かが失われている。 どこか奥の奥で、命の芯のようなものが、すこしずつ削り取られていく。
一歩歩くごとに、背中に重りが乗ったようだった。
だけど、言えない。 妹たちには、絶対に――
「にいちゃん、今日も、すっごくおいしかったよ!」
「ありがとう……おにいちゃん!」
笑顔でおかわりをねだるふたりの前で、俺はまた、笑って頷いた。
「……昼は、オムライスにでもしよう」
まだ、立てる。
まだ、動ける。
ならば俺は、出し続ける。
たとえ見えなくても、確実に終わりが近づいているとしても。
守るべきものがある限り、俺は、もう止まらない。
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