愛
拓実に慰めて貰った、夜の翌朝だった。
目が覚めた瞬間、私は静かに隣にいる拓実の寝顔を見つめた。
そのぬくもりがまだシーツに残っていて、私はそれを確かめるように頬を押し当てる。
(これはもう、私だけのものだよね?)
そう思った。でも……同時に、胸の奥がざわついていた。
手に入れたはずなのに、なぜか不安が消えない。
むしろ、もっと強く、もっと深く、彼を“囲いたい”という気持ちが膨らんでいた。
正午
リビングには静かな空気が流れている。
でも、私の心は穏やかじゃなかった。
テーブルに並べた昼食の横、拓実のスマホが振動する。
私は何気ないふりでちらりと視線を向けた。
(また……通知。誰? 何を話してるの?)
スマホの画面にはメッセージアプリの新着が浮かんでいた。
名前までは見えなかったけれど、それだけで胸の奥が熱くなる。
「ねえ、最近誰とメッセージしてるの?」
何気ない口調を装ったつもりだった。
けれど、私の声には、抑えきれない“苛立ち”と“疑い”が滲んでいた。
「え? ああ、仕事の人とか……ちょっと相談とかでね」
「また…?ふうん……女の人もいるの?」
「いるけど……別に普通に仕事の話だよ?」
(“普通”ってなに? “相談”って、なにを?休日なのに どうして私じゃなくて、仕事を優先するの?しかも他の女の人もいるって……)
私は気持ちを抑えて笑って見せながら、彼のコップにお茶を注いだ。
少しだけ、手が震えたのを自覚していた。
(行動を制限しなきゃ。もっと私の方を見てもらわなきゃ)
「拓実……ねえ、お願いがあるの」
「なに?」
「これから、毎日メッセージの確認してもいい? なんか、最近変な夢見ちゃって。不安で……」
拓実は一瞬、言葉に詰まった。
でも私はすかさず、その隙間に微笑みを差し込んだ。
「信じてないとかじゃないよ。ただ、安心したいの。拓実の全部を、ちゃんと知っていたいの」
“安心”という言葉を使えば、だいたいのことは通ってしまう。
拓実が頷いたとき、私は静かに満足げに目を細めた。
(これで一つ、“外の世界”が削れた)
──でも、それでもまだ足りない。
もっと、もっと縛らなきゃ。
拓実の心の奥、誰も触れられない場所まで、私だけが入り込まなきゃ。
私はそう決意する。
それからの私は、夜、拓実がお風呂に入っている間にスマホを確認するのが日課になっていた。
メッセージアプリ、通話履歴、カレンダー、最近使ったアプリ──ひとつひとつを丁寧に確認する。
指紋認証はもう必要ない。彼は“私を信じて”すべてを委ねてくれている。
安心──のはずなのに、画面のどこかに他の女性の気配を感じた瞬間、胸の奥がきりきりと痛む。
笑顔のスタンプ。
やわらかい語調。
仕事の相談と称した、夜遅い時間のやりとり。
(本当にそれは“必要な関係”? 私以外の誰かが、あなたに“優しさ”を向けていいはずがない)
私はトーク履歴をスクロールしながら、無言で指を止めた。
そして、何のためらいもなく──消す。
必要のないやり取りを、元々なかったことにする。
(だって、そうすればもう迷わなくてすむでしょ?)
来週はクリスマスだ。
だから、余計に神経が研ぎ澄まされていた。
恋人同士が一番近づくこの季節に、もしも他の女の影が彼の中に少しでもあるとしたら──
私はきっと耐えられない。
(全部私だけに向けられるものでなきゃ意味がない)
拓実がバスルームから出てきた音がして、私はすぐにスマホを置いた。
「ねえ、クリスマスどうする? 外、混むしさ……今年は、部屋で過ごさない?」
「いいね、そうしよっか」
その返事を聞いて、私は笑顔を浮かべた。
でも、その笑顔の奥で、胸の奥に渦巻く感情が言葉を持ち始める。
(誰にも邪魔させない。クリスマスだけは、絶対に)
──彼の世界から、不要なものをすべて排除していく。
そんな作業が、今では日常になっていた。
ひとつひとつ、外の繋がりを削っていくたび、私は深く満たされていく。
でも、それでもまだ足りない。
(もっと深く、もっと強く、もっと……完全に)
私の愛は、もう「所有」では満たされない。
欲しいのは、“拓実のすべて”──
過去も未来も、記憶も、感情も、自由さえも。
全部、私の中に閉じ込めてしまえたらいいのに。
そしてクリスマス当日
外は粉雪が舞っていた。
静かな街並みに、ほのかなイルミネーションの光が滲んでいる。
だけど、私たちはその世界に背を向けるように、カーテンを閉じた部屋の中にいた。
ケーキ。チキン。シャンパン。
全部、私が用意した。彼の好きなものばかり。
テーブルの上にキャンドルを灯し、部屋には柔らかな音楽が流れている。
鏡の前で、自分の表情を何度も確認した。
優しく、穏やかで、愛しさを滲ませた顔。
そうでなければいけない。
狂っていると気づかれたら、壊れてしまうから。
「メリークリスマス、拓実」
「……メリークリスマス」
微笑み合って乾杯を交わしたけれど、私はその瞳の奥を探っていた。
視線は逸れていないか。
私をちゃんと“見て”いるか。
どこかに他の誰かの影を引きずっていないか。
「……拓実は、幸せ?」
私はグラスを置きながら、さりげなく尋ねた。
「うん。こうして、ふたりで過ごせてるから」
その返事に、私はふっと微笑んだ。
(“ふたりで”……それが、どれほど尊いものか、あなたはきっとまだわかっていない)
プレゼントを渡し合ったあと、私たちはソファに並んで座った。
私は彼の肩に頭をもたれかけ、そっと囁く。
「ねえ、拓実……ひとつだけ、お願いがあるの」
「なに?」
「……もう、誰とも連絡取らないで。私以外の人と」
沈黙が、降りた。
クリスマスの夜に、似つかわしくない空気が、ゆっくりと部屋を満たしていく。
「……それは、ちょっと無理かな。仕事もあるし、友達も──」
「……ダメなの」
私はゆっくり顔を上げた。
「ねえ、私、すごく怖いの。失うのが。他の誰かにあなたを奪われるのが」
「……由香……」
「お願い、私だけでいいでしょ? 他の人なんて、もう必要ないよ。だって、今こうして私と一緒にいるんだから」
私は彼の手を強く握った。
「スマホも、アプリも、アカウントも全部やめて。代わりに、私が全部、管理するから。拓実は、もう何も考えなくていいの」
拓実は少しだけ驚いたように瞬きをした。 だけど、すぐに笑って頷いた。
「……うん。由香がそうしたいなら、いいよ」
その笑顔に、私は胸がじんとした。
(やっぱり、優しい……だからこそ怖いんだ。こんな人、誰だって好きになっちゃう)
「ねえ……信じて。私はね、誰よりもあなたのことを考えてる。だから、あなたの全部を、私に預けて」
その瞳がわずかに怯えたのを見逃さなかった。
けれど私は、その恐怖すらも包み込むように微笑んだ。
「大丈夫。何も怖くない。だって、あなたはもう、私の中にいるんだから──」
私はそっと唇を重ねた。
部屋の外では、聖夜の鐘が鳴っていた。
だけど私の世界では、その音はまるで告別の鐘のように響いていた。
(もう大丈夫。これで、彼は完全に私のもの)
光も、時間も、他人も、何もいらない。
ただ、私だけの“拓実”が、ここにいてくれれば。
その夜、私は拓実のスマホを手に取り、私以外の女の連絡先をひとつひとつ削除していった。
削除するたび、胸がすっとする。
これは“愛”だ。
拓実を守るための、私なりの愛し方──
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