共感
メイの出勤頻度はあたしと同じくらいのものだった。
まあ高校生バイトの勤務形態としてはありがちだし、店長もちょうどそのくらいの人手を求めていたようだし。出勤日も週の半分ほどは被る形。最早なにも言うまい。
……そもそも、あとになって冷静に考えてみると、ストーカー行為をなあなあで見逃したのはやっぱりヤバかったのではという気もしなくもないけれども。
兎にも角にも、初日に釘を刺したのが効いたのか、あるいはこいつにも最低限の常識というものはあったのか、メイは勤務中は痛々しいことを言うでもなく真面目に仕事に取り組んでいた。声音と視線は相変わらずだけど。あいつが触れたあとの本が湿気っていないかどうかが、目下の不安点だろうか。
物覚えも要領も良く、ついでにまあ器量も良いということで店長始め他のスタッフからも好意的に受け入れられている様子。他人と距離を縮めようとしないのは学校と変わらずだけれども、やはりあの脱力した雰囲気はオブラートとして良い具合に機能しているのだろう。
「──店長、お疲れ様です。お先に失礼します」
そういうわけで、メイといっしょに働くようになってから少し。あいつが転校してきてから、もう明日には月も跨ごうかというくらいの日が経っていた。
「はーいお疲れ様……って、櫛引さんは?」
「トイレだそうで」
「そかそか、二人とも気をつけて帰ってねー」
今日も事務室でPCと睨み合っている店長に声をかけて、バックヤードを後にする。
メイは……べつに待ってやる義理もないのだけれども。一応バイト先では“それなりに交流のあるクラスメイト二人”というふうに見られているため、置いていくのもそれはそれで不自然だ。なのでまあ、適当に売り場をうろつきながら待つ。不承不承ながら。
「…………」
そう広くもないフロアを見て回っていれば自然と、自分やメイの今日の仕事内容が思い起こされる。今日はもっぱら売り場棚の整理に在庫の整理、店内の掃除ばかりだった。あたしが新刊の補充をしたライトノベルコーナーに入ったところで、一冊の本が目に留まった。
「…………」
先ほども、新刊を積みがてら既刊棚の整理もしている最中に手に取ったもの。並び順がおかしかったから直しただけで、べつに意図して触れたわけじゃない。タイトルは『前世で婦婦だったと仰るスパダリお姉様に迫られていますがまったく記憶にございません』。
…………べつに、意図して、触れたわけじゃない。
ただまあなんだ。結構売れている作者らしいし、メイはまだ出てきていないし、ほんの時間潰しに、ちょっとぱらぱらめくるだけ。それだけ。
「…………」
がっつり読もうってわけじゃない。挿絵のあるページを目安にざっくりめくっては二、三行読み、またざっくりとページを飛ばす……というようなことを幾度か。わりと後半のほう、一人ベッドに横たわる主人公の挿絵のページで、あたしの手は止まった。
シーンとしては、毎日ひたすら前世の自分への愛を語るお姉様に対して(今の私と前世の私は違う……お姉様が愛しているのは“私”ではない……)とか思い悩んでいる感じの場面。今の主人公もお姉様を憎からず想っているからこそ、自分に前世を重ねられているのが苦しい、ということらしい。
「…………」
まあ確かに。記憶も自覚もないんじゃあ、いくら前世が云々と語られてもそれは自分ではない別人の話だ。好きな人には今の自分を見て欲しいと考えるのも、おかしなことではないのだろう。
かく言うあたしだって、信じられるはずもない前世の関係を引き合いに、変な女に毎日絡まれて迷惑している身だ。いやべつに好きとか嫌いとかそういうアレではないけれども、とにかく「んなこと言われても知らんがな」という気持ちだけは、この主人公にこれ以上なく共感できる。
「──ほんとにそう思ってる?」
「っ!?」
不意に右耳が水没した。いや違う、いつの間にか後ろにいたメイに囁かれた。
「な、ぁ、な、あんた……!」
忍び寄ってきた……というよりも、あたしが物思いに耽り過ぎていたのだろう。しかしとはいえ、近すぎる。耳に吐息がかかる距離。触れてこそいないものの、背中がメイの体温を、気配という形で感知できる近さ。いや、感知できていなかったからここまでの接近を許しているのだけれども。いやさ、許した覚えもないのだけれども。
「しーっ……ね?」
振り向くことすらできない位置関係のまま、メイがさらに吐息を漏らした。声の上擦ってしまったあたしを嗜めたつもりなのだろう。暖かく湿った息が、耳にまとわりついてくる。
「〜〜っ、……!」
変な声が出そうになったのを、どうにか抑え込む。本を閉じて棚に戻し、メイのほうを見ないようにしながら、あたしは出口へと向かった。
「あ、まってマリ、ごめんてー」
やはり小さく小さく、けれども楽しげに言いながら、メイが後ろからついてくる。あたしは振り返らない。いま顔を見せてしまえば、こいつは絶対に調子に乗る。そんな確信があったから。
そのまま店を出て、ほとんど日も暮れた町並みをいつもより早足で進む。バイトのある日は不本意ながら、メイとは駅までと、それから電車の中でも顔を突き合わせてなくちゃいけない。夜風を積極的に受けて、自分の顔面を平常に戻していく。
「……はぁ」
溜め息で残った熱を吐き出しきって、それでようやく、歩調をいつも程度に緩める。あたしの後ろをついていたメイが、するりと左隣に並んできた。
「そんなに効いた?」
「……効いたってなによ。近すぎて鬱陶しかっただけだけど」
「いやいや、わたしの声好きって、マリが言ってたからさぁ」
「……はぁああ……」
「クソでか溜め息」
当然、あたしはそんなこと言っていない。こいつの言うところの、こいつの頭の中の、前世のあたしとやらがそんな寝ぼけたことを抜かしたのだろう……転校初日にこいつの声についてなにか変なことを考えていた気もするけれども、たぶん記憶違いだ。
先ほどのライトノベルが思い出される。前世なんて信じちゃいないし、前世のあたしがどうだったかなんて知ったこっちゃないし、そんなんで言い寄られても迷惑なだけ。
だというのに。
“ほんとにそう思ってる?”
どうしたってあたしの頭の中では、あの主人公の苦悩なんかよりよほど色濃く、メイの声がリフレインしていた。




