バイト
結局、“復讐”という言葉の真意も詳細も分からないまま、また一週間ほどが過ぎた。メイが教室にいるのも当たり前という空気になり、さりとてこいつの意味不明な言動は変わりなく。そしてまた、メロメロにべしょついた……違う、べしょべしょにメロついた……いやどっちだって良いんだけれども、いや良くはないけれども……ああとにかく、メイという女があたしを恋人だと思い込んで接してくるのも変わりなく。
そんな不本意な日常に起きた、少しの変化。
いつもはあたしに「今日こそ一緒に帰ろう」とか絡んでくるメイが、今日は「そんじゃお先に」と足早に帰っていった。
珍しいこともあるものだとは思ったけれども……まあどうせ、なにを言われたって一緒に帰るつもりもないし、そもそも今日バイトあるし。だから気にすることではない。むしろダル絡みされなくてラッキー。そんな気持ちで誰もいない後ろの席をひと睨みしてから、あたしは教室をあとにした。
◆ ◆ ◆
あたしのバイト先は、家の最寄りから一駅となりの小さな本屋だ。
本は好きだ。いや、べつに活字が好きというわけではなく。本には人を静かにさせる力がある。なのであたしは、本のある空間が好きだ。あまり読みはしない。だからこそ小規模な店を選んだ。
今どき本当に本と文具くらいしか売っておらず、かといって貴重な古書を取り扱っている古本屋というわけでもなく。タブレット型の検索機は二台だけ、それでさほどの不便もなく回ってしまうような、こぢんまりとした店構え。清潔感はあるけれども、建物自体はそれなりに年季の入った雰囲気。当然、店員の数も規模相応。
「おはようございます」
「おはよう夜凪さん、丁度いいところにっ」
あたしの出勤頻度はそう高くない。平日は二から三回、一日数時間程度。休日は土日のどちらかだけ。学業との兼ね合いやらなにやらという名目で、両親を納得させられる限界がこの辺りだった。そんな二日ぶりの出勤、“程々に朗らかな成人女性”を体現したような店長が、あいさつもそこそこに声をかけてきた。
「前も話した新しいバイトの子、今日から出勤だからねっ。てかもう来てるからっ」
そういえばそんなことも言っていた。以前からあった「もう一人二人、夜凪さんくらいの出勤頻度のバイトさんが欲しいところなんだよねぇ」「バイト探してる友達とかいない?」といった声かけが「バイト希望の連絡あったよやったーっ」に変わったのはたしか……先週だったか先々週だったか。よく覚えていないけれども。
「しかもよくよく考えたら夜凪さんと同じ学校の子でさ、さらには同学年」
……なんとなく、嫌な予感がした。
「で、もしかしてと思って聞いてみたらドンピシャ、夜凪さんと同じクラスなんだってっ。“マリからバイトの話聞いて”って言っててさ、もう夜凪さんってば友達いないとか嘘じゃん助かるーっ」
嘘だろ……と、そう思った。
本屋で働いてるという話はなにかの折にした、というかさせられたけど、具体的な店名までは言っていない。大まかな場所すら分からないはず。
「今ロッカールームで着替えてもらっててー、あ、ほらきたきた、櫛引さーんっ」
「──すみません、おまたせしましたー……あ、マリじゃん。今日から出勤のメイです。よろしくね?」
「……………………………………よろしく」
雇い主の手前ひとまずは大人しくした自分を、大いに褒めてやりたい。
◆ ◆ ◆
「──初日だし本棚の整理とかしつつ、ちょっとずつジャンルごとの場所を覚えてもらう感じで〜夜凪さんが一緒についてあげてね〜お友達同士のほうが緊張とかしなくてすむでしょ〜ああでも仕事中ってことは忘れないでね〜まあ夜凪さんなら大丈夫だと思うけどっ」
責任者としてのやりとりを終えたあと、店長はそう言って事務室に引っ込んでいった。
どうやら、あたしがここに入って以来……つまり一年半近くぶりの新人バイトにテンションが上がっているようだった。ドア越しに「これで私の残業も減る〜♪」みたいな声も聞こえてきたし。あたしのテンションは地の底にまで沈みきっているけれども。
まさかこれも“復讐”の一環か? と、ちょっと考えてしまった。
「…………なんでここが分かったのよ」
バックヤードを並んで歩きつつ、とにかくこのヤバ女を小さな声で問いただす。横目で睨みつけてもまったく効いていないのは、教室でなくとも変わりがなかった。
「そりゃ勿論、あと尾行たからだけど。マリがバイトしてるって言ったその日に」
「……きも」
紛うことなきストーカー行為だ。電波系転校生から電波系ストーカーにランクアップ。いやダウンか? 相変わらず、本人に悪びれる様子は一切ない。
「いやほら、わたしもバイト先探してたから。マリと同じ理由で」
同類として、それが本心だと分かってしまうのが腹立たしい。
それを無下に切って捨てることは、本っ当にむかつくことに、あたしにはできなかった。
「で、どうせならマリと同じ場所がいいじゃん?」
「…………良くないわよ、あたしは」
「ねぇ、お願いマリ。わたし、できるだけマリと一緒にいたい」
気付けば、目の前にはもうスイングドアがあった。あと二歩で売り場に出る。狭い通路で肩を並べて、あたしたちは立ち止まった。メイは上目遣いにこちらをうかがっている。身長差から成る必然の構図。その視線は、震えるほどに純粋だった。
「っ」
これまでの電波的な盲言とは違う、そこから一歩踏み込んだストーカー行為。普通に考えるなら危険だ。一瞬、店長に「こいつはあたしの前世の恋人を名乗る激ヤバストーカー女です」と伝えようかとも考えた。考えたけれども。
……あたしは他人が嫌いだ。つまりそれは、余計な迷惑をかけるという形ですら、人との距離を縮めたくないということ。こいつのことで騒ぎ立てて、店長やほかの従業員に“厄介事を抱え込んでいる”と印象付けてしまうことすらも嫌なのだ。そう、それだけの話。職場に迷惑をかけたくないという、極めて真っ当な理由。
そうだそもそも、よくよく考えてみれば、いちいち騒ぎ立てるほどのことでもないんじゃないか。むしろ過剰に反応するほうが負けた気がしてくやしい。教室にいるときと同じように、適当にあしらっていれば良いのだから。
「……仕事中に、変なこと言ってくるんじゃないわよ」
釘を刺しつつ前を向く。いや、熱量に耐えきれず目を逸らしたとかではなく。
壁にかけられた湿度計が視界の端に入り込んだ。湿気は本の大敵だ。仕事中にまでべしょべしょした声を出されては、商品がダメになってしまうかもしれない。
「うん。ありがと」
こういうときに限って妙に殊勝な、そしてやっぱり想いを隠そうともしない囁き声が、あたしの耳を撫でる。それを振り払うつもりで首を振って、でもそうすると余計に絡みついてくるような感覚にも囚われつつ……あたしはスイングドアの取っ手を引いた。




