夢 / 指先
──人生二度目の明晰夢を見た。見ているという感覚があった。
例によってあたしは蝶かなにかになって漂い、前世のあたしとメイの様子を眺めている。この夢の中、奥深い森の小屋にいる間だけは前世云々がすべて真実なのだと理解できてしまうし、それでいて今のあたしとしての羞恥心や悔しさは消えないから、なんというかこう……端的に言って拷問のようなものだった。赤い髪の女──前世のあたしが、アッシュグレーの髪の女──前世のメイへとべたべたべちゃべちゃメロついているさまを見せられるのは。
「ねぇ、メイ。メイ、あたしのメイ」
「……なに」
信じられないくらい甘ったるい、けれども間違いなく自分のものだと分かる声で、あたしがメイの名前を呼んでいる。対するメイは前回と同じく椅子に座って本を読んでいて、気怠げな眼差しを手元に落としたまま、しぶしぶといったふうに返事をしていた。前世のあたしはそれを、今回は用意されていたもう一つのロッキングチェアに座って眺めている。目つきの鋭さはさほど変わらず、けれども心底愛おしげに。現世のあたしたちとはまるっきり逆の関係だ。
「その本、転生の技法について書かれてるやつよね?」
転生、という言葉に、どきりと心臓が跳ねる。今のあたしに心臓があるのかは分からないけれども。
「……こんなの嘘っぱちのインチキでしょ。わたしでも分かる」
「まあ、そうね。それ、昔の魔女が酔った勢いで書いた創作物だし」
フィクションなんかい。なんでそんなものを蒐集しているのか、我ながら意味が分からない。
「……酔った勢いにしては、随分と分厚いけど」
「魔女は一度酔うと長いのよ」
とろりと蕩けた意味深な流し目を送る前世のあたし。メイは目を逸らして「……あっそ」と呟くだけ。前世のあたしは、そんなメイの態度にもまったくめげずに、死ぬほどもったりした吐息を漏らす。
「ああでも……もしもあなたが天寿を全うしたら、その次の命でも、あたしに逢いに来てくれる?」
「…………はぁ?」
「逢いに来てくれるわよね?」
「やだよ面倒くさい。ってか、さも今生でもわたしのほうから近寄ってきたみたいな言い方しないで。あんたが勝手にわたしを見つけて拾ったんでしょ」
「そういえばそうだったわね」
なにを言われても堪えない。メイの塩対応すらも愛おしい。そんな態度を隠そうともしない前世の自分の姿は、やはりこっ恥ずかしくって見ていられない。前回同様に、目が覚めれば忘れているんだろうなという確信だけが、今のあたしにとってのせめてもの救いだった。
……というか、ウザ絡みしすぎて恨まれてるとかじゃないよね?
◆ ◆ ◆
今日もなんとなく寝覚めが悪かった。
昨日のメイの“復讐”という言葉が、寝る直前まで頭の中を漂っていたせいかもしれない。当のメイは何事もなかったように〈おはよマリ〉とかメッセージを送ってきていた。まあこれ自体は毎日のことで、あたしはもうとっくに、目覚ましのアラームをオフにしている。
……メイの言っていることが理解らない。
いやまあ、電波女の発言なんて理解できるほうがおかしいのだけれども。
しかしそれにしたって、あたしとは前世で恋人同士で、というか今も恋人同士のつもりで、そのくせあたしへの復讐心がある、なんて言われてもまったく、一ミリも、爪の先ほども理解できない。どういうことだ。
好意なのか復讐心なのか。どちらにせよ、向ける感情は一つだけにして欲しい。相反する二属性は厨二病患者の嗜みではあるけれども、それはそれとして愛憎入り混じる複雑な想いみたいなのは御免なのだ。面倒くさいし。感情なんてシンプルなほうが良いに決まっている。
……という気持ちが、態度にも表れていたのかもしれない。
登校して、今日は先に来ていたメイを適当にあしらって。ホームルームと一限目を終えて、二限目、政経の授業中。担当教員が高齢でわりと緩い雰囲気が漂っている教室内で、さっきからメイは、先生が板書しているタイミングを見計らってあたしにちょっかいをかけてきていた。
“マリ”
「……、……」
背中に指で文字を書くなんていう、あまりにも古典的なやり方で。
“マリ、すき”
「っ」
ぞわぞわする。
メイの指の感触と、書かれた言葉の両方によって。“好き”と口に出して直接言われたことはなかった。それをこうもあっさりと背中に刻みつけてくる。あたしの名前と一緒に、何度も何度も。
“マリすき”
“マリ”
“ねぇマリ”
「っ、……ふっ」
今は授業中だ。いくら窓際最後尾とその前の席だからといって、こんなことをして良いような時間じゃない。いや、授業中じゃなければしても良いって話ではないけれども。
“すき”
指の腹でゆっくりと、一文字一文字に情念を込めて。それでいて触り方そのものはやさしく撫でるようですらある。メイの指先が脳裏に浮かぶ。常に短く切り揃えられた、艷やかな爪までもが。同時に、書かれた言葉がメイの声で再生される。いつも以上に甘ったるく聞こえるのは、あたしの想像上の声だからだろうか。
“マリ”
“すき”
「んん……っ……」
とにかくぞわぞわぞくぞくと、未知の感覚が絶え間なく襲ってくる。メイの指先から、制服もインナーも貫通して皮膚の下へと。潜り込まれて、脊髄をジャックされて、そこを伝って頭へと上がってくる。甘痒い痺れのようなものが、脳みそを支配していく。頭が回らない。段々とぼーっとしてくる。
“マリすき”
“すき”
“すき♡”
「ぁ、ぅ……」
ハートまで書き始めた。
思考もままならないはずなのに、なにを書かれているのかだけはこの上なく鋭敏に感知できる。書かれた内容がまた、あたしの頭を馬鹿にしていく。憤りや羞恥心や、それから「こんなもん振り払えばいいでしょうが」っていう真っ当な心の声が、どんどんと遠のいていく。なんか、口が半開きになってる気がする。
認めたくない。まったく認めたくはないけれども。
でもそうは言っても、メイの指先が、すごく気持ちい──
「……ちょっと、授業中に変なことすんのやめてくれる? 気が散るんだけど」
──大きくて不快なノイズが、その指先を止めてしまった。
「矢矧さん、どうかしましたか?」
「や、なんか櫛引が夜凪にちょっかいかけてるっていうか、遊んでるっていうか」
声をあげたのはメイの隣の席の……なんだっけ、いま先生が名前呼んでた気がするんだけど……まああの、気の強そうなギャル。しかしそうか、隣の席なら当然、メイがなにやってるかくらい見えるか。
「おやぁ。櫛引さん、親睦を深めるのは良いことですが、授業中は控えてもらえると嬉しいですねぇ」
「はーい、すいません」
とにかく、名指しでやんわりと注意されたメイがいつも通りの声音で謝って、このやりとりはあっさりと終わった。あたしの背中にはもう指が触れることもなく、薄らいだ余韻だけがじんじんと残るばかり。脳の痺れもすぅっと引いていって、思考が明朗に、感情が正常に戻っていく。口も閉じた。
……
…………
……………………
………………………………最悪の気分だ。
ていうか、“復讐”とか言っていたやつのすることなのか? これが。




